33、魔導師の掟
「エヴァンズ隊長が……」
エスカの記憶から上長会議の内容を知ったルースたちは、皆一様に言葉を失った。カイの父、ベイジルがなぜ死ななければならなかったのか――口封じのためとは、あまりにもお粗末な理由だ。
ルースの目は虚空を見つめたまま動かない。怒りを通り越した先に渦巻く感情は、あと少しで彼の冷静さを奪うところだった。
「大丈夫か、ルース」
エスカが声を掛けると、ルースは青白い顔で頷いた。
「はい。……考えていたんです、これをカイに伝えるべきかどうか」
「そうだな。もしかすると、復讐に走ってエヴァンズを手に掛け――」
「それは絶対にないです」
オーサンがきっぱりと否定した。
「カイはそんな奴じゃない。俺は学生の頃から一緒にいるんです。分かります」
エスカは彼の目をじっと覗き込み、ふと笑った。
「まあ、君の言うことにも一理あるだろう。俺はカイ・ロートリアンが実際、どんな人物なのか良く知らない。お前はどう思う、ルース。上官として」
「彼と同じ意見です。カイは短気ですが、感情に流されて魔導師の掟を破ったりはしません」
「魔導師の掟、か。学生時代に毎朝復唱させられたな」
そう言って、エスカはすらすらと暗唱してみせる。
――魔導師はその力を用いて国民の安寧を守ることを使命とする。常に己を律し、正当な理由なくその力で他人を害してはならない。また、魔導師は如何なる理由があろうとも、人を殺めてはならない。
「常に己を律し、の部分は第三隊の隊員たちに百回言って聞かせたいね」
エスカがちらりとオーサンを見ると、彼は苦笑して目を逸らした。確保時に犯罪者を必要以上に痛め付けるのは、第三隊の悪いところだ。
そして、エスカはエーゼルにも意味ありげな視線を送った。第二隊は自警団内の人間関係にも目を光らせている。彼はエーゼルからカイへの嫌がらせを、とっくに知っていたのだ。ルースへ匿名で告げ口したのも、実は第二隊の隊員だった。
「あの……何か?」
「いや。君は先輩としてどう思う。身を挺してまで守った後輩だろう?」
意地悪もしていたが、というのはルースの手前、黙っておいた。彼が悪人でないことはエスカにも既に分かっている。単にルースのことが好きすぎるのだ。
「それは別に……。俺は、副隊長の意見と同じです」
そう言って耳まで赤くし、俯いた。
「カイへは、僕から伝えます」
ルースが言った。
「あの子の父親……ベイジルさんは、僕の恩人ですから。そのことも含めて、ちゃんと伝えます。その上で、ガベリアへは連れて行けないと。カイだけは、死なせるわけにはいきません」
「素直に聞くとは思えないが、お前に任せよう」
エスカが一息吐いたところで、オーサンが口を開いた。
「あの、エスカ副隊長」
「ん?」
「医務室襲撃の犯人は、まだ生きてるんですよね」
「ああ、当然だろう。なぜ?」
「いえ。うちの隊長がやり過ぎてないかと心配になって……」
オーサンは煮え切らない返事をして、それ以上は何も言わなかった。
彼の頭にあったのはクロエのことだった。もし、非常事態として彼女がサーベルを手にしていたら……。
彼女が魔導師をやめなければならない事態に発展しているのではないかと、心配になったのだ。だが、犯人は死んでいない。ひとまずは安心した。
思い出すのは、魔術学院での出来事だった。
――1年生も終わりに近付いた頃、剣術の基礎訓練を終えた生徒たちは、次の実技試験に向けて放課後に自主練習する日々を送っていた。
怪我をしないよう教官に監督してもらうのが決まりだった。だが、それでは本気で斬り付け合うことが出来ない。死ぬ気でやらなければ面白くないだろうと、オーサンはいつも不満に思っていた。
そんな時に目を付けたのがクロエだった。訓練で一度手合わせして、オーサンは彼女にも自分と同じ匂いを嗅ぎ取っていた。心の底に抑え込んだ殺意だ。
「なぁ、クロエ」
オーサンは彼女が一人になるのを見計らって、廊下で声を掛けた。
「剣術の練習、付き合ってくれないか」
「……オーサン、強いでしょ。私じゃ相手にならないから、他の人に頼んで」
クロエの目は明らかに警戒していた。
「俺はクロエがいい」
「なんで?」
「強いだろ。それにサーベル持つと、人が変わる」
「馬鹿なこと言わないでよ」
語尾が震え、彼女は踵を返そうとする。オーサンは素早くその腕を掴み、正面から彼女の目を捉えた。
「相手してくれないなら、教官に言おうかな。クロエは危険思想を持ってますって。そしたら、もう魔導師になんかなれないぜ」
さっと青ざめたクロエの顔を見て、オーサンは小気味良くなった。普段はカイに戒められている嗜虐性も、彼がいないところでは急に顔を出してくるのだった。
「どうする? 教官抜きで、ちょっと相手してくれるだけでいいんだけど」
「……分かった。だから、教官に変なこと言わないで」
目にうっすらと涙を浮かべて、クロエは言った。オーサンはそれに胸を痛めるどころか、更に気持ち良くなっただけだった。
「ありがと。じゃ、行こう。もう準備してあるから」
彼女の腕を引いて、校舎裏の雑木林へ向かう。普段、走り込みの訓練で使う場所だ。奥へと進み、少し開けた場所に、訓練用のサーベルが二振り置いてあった。本来持ち出し禁止のものだ。
「ほら」
オーサンは一つをクロエに投げて寄越し、自分はもう一つの鞘を投げ捨てて構える。
「殺すつもりでやってくれ。ムカつくだろ? 俺のこと」
ぎらついた目で、オーサンはサーベルを素振りした。
「やっぱり、嫌――」
言い終えるより先に、切先がクロエに振り下ろされた。
甲高い金属音。間一髪で、クロエは彼の剣を受け止めていた。
「やるじゃん。なんで普段、出来ないふりすんの?」
一旦距離を取り、オーサンは躊躇なく顔面に突きを入れる。クロエはそれを躱し、彼を睨み付けた。自分から攻撃するつもりはないようだ。オーサンはそれに苛立ち、更に乱暴に斬り付けていく。金属音が雑木林に響く。
「かかってこいよ、クロエ! 手を抜くと殺すぞ」
「あなたみたいなのが魔導師になるなんて、信じられない!」
クロエが初めて反撃した。切先はオーサンの肩をかすめ、制服がすっぱり裂ける。彼は動きを止め、にやりと笑った。
「……それはお互い様。なあ、俺は他人の苦しむ様を見たいからサーベルを振るんだけどさ。お前は何? 何がそんなに憎いんだよ」
「犯罪者」
クロエの目は据わっていた。そこにさっきまでの感情は無く、獲物を狙う猛禽類のように、じっとりとオーサンを見つめていた。
「いいね。そういうの」
「死ね」
短く呟き、クロエは地面を蹴った。自分に向けられた紛れもない殺意に、オーサンの動きは微かに鈍った。一瞬の油断。右腕に、刀身がめり込む嫌な感触があった。
「……っ」
サーベルが彼の手から離れて地面に落ちる。そこへ、ぼたぼたと血の雫が滴った。
「やば……骨までいったかも」
オーサンは腕を押さえて地面に膝を着き、苦痛に顔を歪めた。
「オーサン……?」
クロエは目を見開き、声を震わせる。そしてすぐ、手にしたサーベルを投げ捨てて彼に駆け寄った。
「オーサン、ごめんなさい。傷を見せて、早く」
深く斬り込まれた上腕はかなりの出血量だ。クロエは血に塗れるのにも構わず、その傷口に両手を当てた。
「何して……」
オーサンは驚いた。クロエが添えた手の下で、すっと痛みが引き、傷口が塞がっていくように感じる。彼女が手を離すと、一直線の傷跡が薄く残っている以外は、すべて元通りになっていた。
「良かった……良かったぁ」
クロエは力無く地面に座り込み、ぼろぼろと涙を溢した。
「私、こんなことしたら、もう……どうしよう」
「泣くなよ。俺は大丈夫だから」
涙に濡れる彼女の顔を見て、オーサンはやっと自分のしたことに罪悪感を覚えたのだった。
「俺が煽ったんだから、お前は悪くない」
「お願いだから、誰にも言わないで」
「言わない。それは約束する。でもさ……どうしてそんなに犯罪者が憎いんだ?」
クロエは頬を拭い、ぽつりぽつりと話し出した。父親が反魔力同盟だったこと、そのせいで酷く虐げられたこと、保護官のアンドレイ・フィゴットの養子となり、名前を変えたこと。
「名前を変えて別の人間になるまでは、すごく辛かった。死んだ方がましだと思ってた。でも父親のことは、一度は許したんだよ。もういない人間を憎んでも仕方ないって。だけど、カイのことを知って」
「カイ?」
「うん。カイのお父さんは……」
皆まで言わなくても、オーサンには分かった。カイの父親のことは本人から聞いている。反魔力同盟によるクーデターで殉職したと。
「殉職したのは知ってる。お前の父親は、それに関わってたのか?」
クロエは苦しそうに表情を歪めながら、頷いた。
「直接手に掛けたわけじゃないけど、無関係じゃない。私はカイと友達になって、初めて知ったの。被害者の子供って、カイだったんだって。
口には出さないけど、カイはどれだけ辛かったんだろうと思ったら……自分の父親が憎くて堪らなかった。犯罪者は、みんな死ねばいいって思った。
その感情が、サーベルを持つと抑えられなくなる。これで憎い奴らを全員斬り捨てられたらって。……でもやっぱり、こんな人間が魔導師になるなんて間違ってるよね」
「サーベルを持たなきゃいいだけの話だろ?」
オーサンは軽く答えて、立ち上がった。
「医務官になればいい。ほら、治療も出来るんだしさ。俺が言うのも変だけど、クロエの力を正しく使えば、色んな人を助けられると思うぜ」