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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
一章 思惑
30/230

30、逃げ

 第四隊の副隊長、ブライアンはきりきりと痛む胃を押さえながら、隊長室の前に立った。中には隊長であるエヴァンズが軟禁されていて、扉には外側から鍵穴の無い南京錠が掛かっている。魔術で開閉するものだ。


(ろくな隊長ではないと思っていたが、まさかあんなに残酷なことをしていたとは……)


 エヴァンズの横柄さには第四隊全員が頭を悩ませていた。しかし元近衛団副団長という肩書き故に、彼は各方面に幅を利かせている。目を付けられれば、今後魔導師を続けられなくなる可能性もあった。

 部下と隊長の間に立つブライアンはまだ32歳と若いのに、過度な精神負担によって総白髪になっていた。40半ばの男性、と言われても違和感はない。

 横のガラス窓に映った姿を見ても、溜め息しか出なかった。この萎びた容姿では、自分があのエスカよりも年下と言ったところで誰も信じないだろう。


「……隊長、ブライアンです。失礼します」


 ブライアンは錠を手に取り、誰かが開けた形跡が無いことを確認して、かちりと解錠した。ゆっくりと警戒しながら扉を開く。切羽詰まったエヴァンズが襲ってくる可能性がなきにしもあらずだ。

 だが、部屋の中は異様なほどに静かだった。呼吸音や、衣擦れすら聞こえないほどに。そして、ざっと見た限りエヴァンズの姿は無かった。

 逃げ出したとは考えにくい。防犯上の理由で隊長室には窓がないし、鍵も開けられた形跡はないのだから。


「隊長……?」


 ブライアンは警戒しながらエヴァンズの机に寄る。そしてすぐに息を呑んだ。

 机の向こう、倒れた椅子の横で、彼は床に伏して息絶えていた。



「自害だろう。追い詰められて、最悪の手段を取ったか……」


 報告を受けたロットが、レナを引き連れて隊長室に来ていた。彼は悔しそうに言って、エヴァンズの手に握られたペーパーナイフを見る。

 血に塗れたそれは真鍮しんちゅう製で、喉を一突きするには十分な強度と鋭さがある。エヴァンズはこれで、自らの命を絶ったのだ。


「申し訳ありません。私がきちんと監視していなかったばかりに……」


 ブライアンは深々と頭を下げるが、遺体を検分していたレナがすぐに否定した。


「お前のせいだと言う奴がいたら、そいつの目は節穴だろ。気にするな。しかし隊長ともあろう者が、率先して逃げるとは呆れたな」


「死者は冒涜ぼうとくするべきではありません、医長。……今は滞りなく処理することが先決でしょう」


 レナもロットも冷淡だと思いつつ、ブライアンは指示に従って遺体を運び出す準備を始めた。ナシルンを使い、信頼の置ける第四隊の隊員を三名ほど呼びつける。彼らはすぐ、担架を手に隊長室に現れた。


「副隊長、緊急事態って――」


 三人は床の血溜まりに横たわるエヴァンズを見て、言葉を失う。


「……死んでます?」


「ああ。死んだ」


 ブライアンの言葉も無味乾燥だった。それが本心だ。


「自殺ですか? なぜ?」


「余計なことは聞かない方が身のためだ。失血死に間違いはないが……一応詳しい検案が必要だな。地下に運んでくれ」


 レナがそう指示した。三人は何か呟いて顔を見合わせたが、それ以上は何も言わず、粛々と準備を始める。普段からエヴァンズがいかに嫌われていたかを如実にょじつに示していた。


「では、私は行くぞ。ここは任せた」


 レナと隊員たちは担架に載せたエヴァンズと共に部屋を出ていった。

 残されたブライアンは、床に視線を落としたままのロットを見つめた。彼の表情からは何も読み取れない。


「……大変なことになりましたね」


「そうだな。今から、君を第四隊の隊長とする他ない」


 ロットはゆっくりとブライアンに顔を向けた。


「引き受けてくれるか? さっきの様子を見るに、隊員は皆、異存は無いと思うが」


「隊長不在時は、副隊長が隊を率いるのが決まりですから。でも、出来るだけ早く後任を。私は隊長の器ではないので」


「ああ。今度は、近衛団下がりじゃない人間をな」


 ロットは薄く笑った。ブライアンはそれに、何故か背筋が寒くなるようなものを感じたのだった。





「ロット隊長が嘘をくなんて、有り得ません」


 洞窟にいる全員に本部の方針を説明した後、自身の見解を話したエスカに、エーゼルが鼻息も荒く食ってかかった。


「それに、別隊の人間にそんなことは言われたくありません!」


「エーゼル、落ち着いて」


 ルースにたしなめられ、エーゼルは顔を真っ赤にして俯いた。カイは口答えこそしなかったものの、エスカの言うことに納得はしていない表情だった。


「あくまで俺の想像だ。気に食わないなら聞かなかったことにしていい。ただな……ロット隊長は、何としても自分の手でエイロンを捕らえようとしている気がしてならないんだ。組織としてではなく、()()()に。エイロンの情報は我々が知る以前から得ていたようだし」


 そう言ってイプタを見ると、彼女は頷いた。


「ええ。ひと月ほど前に一度、誰かがこの洞窟に侵入を試みたことがありました。私はオルデンの樹を通して、その人物がエイロン・ダイスであることを知った。それを近衛団と、自警団に異動してからも時折顔を見せていたロットに伝えました」


「あなたはずいぶんとロット隊長に肩入れしているのですね」


 エスカの言葉で空気がひりついた。だがイプタは表情を変えず、穏やかにこう答えた。


「信頼の置ける者に必要な情報を与えるのは、私の役目としておかしくはないでしょう」


「はい。失礼を申しました。我が隊の隊長と仕事をしていると、口答えが染み付いてしまって」


 エスカは微笑み、それ以上の追及はしなかった。空気が緩んで周りがほっとする中、セルマだけはじっとイプタを見ていた。

 エスカはルースに話を振った。


「お前はどう思う、ルース。第一隊の副隊長として」


「……分かりません」


 ルースは頭を振った。


「肯定も否定もしたくありません。僕は今、人を信じられない状態です」


 そう言って視線を落とした。かつて慕った担任に拷問され、殺されかけた後だ。仕方のないことだった。


「変なことを聞いたな。悪かった」


 エスカは本心からそう言って、今度はセルマに視線を移す。


「自警団としては、勝手ながらあなたを保護することに決めました。受け入れるも断るも、あなたの自由です」


 セルマは苦い顔で彼を見返した。


「普通に話して欲しい。巫女になったからって何か大きく変わった訳でもないし、何だか落ち着かない。見た目もスラム街の住人のままだろ?」


 優しい笑みで、エスカは頷いた。


「では、普通に。我々は君の意志を尊重したいと思う。だが、このままこの洞窟にいる、というわけにもいかないだろう。君はガベリアの巫女なのだから。つまり――」


「私はガベリアへ行く。タユラは、私が必ずガベリアの巫女の洞窟に辿り着くと言ったんだ」


 そして、全てを変える。そんな大それたことを考えていた訳ではないが、セルマの胸には決意があった。


「今は呪われた地だなんて言われてるけど、かつては間違いなくそこに住人がいた。たまたま、その地を訪れていた人もいた。理不尽に消されてしまったその人達は、今生きている誰かの大切な人に違いないんだ。何年経っても、いなくなったことに納得なんて出来ないと思う。だから、私は私の力でガベリアを甦らせたい。遺された人が、例え僅かでも、消えた人達の痕跡を辿れるように」


 ルースが顔を上げ、セルマをじっと見ていた。彼の頭に浮かぶのは、自分の家族、そして親友のクラウスの顔だ。なぜ彼らが消えなければならなかったのか、この7年間幾度も考えた。だが答えが出たことは一度もない。

 真実を求めて第一隊に入り、ひたすら上を目指した。そして副隊長になった今、ようやく真実に辿り着こうとしている。自分が何をすべきかは明確に分かっていた。

 魔導師としてエイロンに立ち向かわなければならない。かつての恩師であろうとも、彼の人格が変わるほどの凄惨な理由があったとしても。


「僕も、ガベリアへ行きます」


 ルースは言った。


「必ず、セルマを巫女の洞窟へ。命を懸けても構いません。僕は魔導師として、やるべきことをやります」

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