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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
一章 思惑
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29、訪問者

「セルマが巫女に?」


 事の経緯をオーサンに聞いたカイは、弱々しい呼吸で目の前に横たわるルースを見つめた。

 死に瀕している彼を助けるには、セルマが巫女になるしかない。理解は出来るし、カイは何よりもルースを助けたかった。

 だが、それが意味するところを考えずにはいられない。カイは顔を上げて尋ねた。


「でも、そうしたら……セルマは役目を終えるまで生き続けるってことだろ」


「ああ。そういうことになる」


 カイはもう一度ルースの顔を見つめた。今はイプタの力で何とか持ち堪えているらしいが、まだ時間はあるだろうか。


「セルマと話してみる。何か――」


 そのとき、ルースが軽く咳き込んだ。もしや目を覚ますのかと二人は希望を抱くが、それはすぐ絶望に変わった。彼の口の端から赤いものが伝っていたのだ。


「副隊長!」


 思わずカイが叫ぶと、セルマがうろの中へ駆け込んできた。彼女は喀血したルースの姿を見て、はっと息を飲む。


「カイ、その人……」


「助けてくれ」


 カイはすがるような目で彼女を見た。


「セルマが苦しむことになるのは分かってる。でも、俺は副隊長を死なせたくないんだ。頼む」


 彼の目から雫が落ちる。オーサンもセルマも、初めて見る彼の涙だった。


「……大丈夫」


 セルマはそう言って、ルースの横に膝を着いた。彼女の胸元に、あの黒水晶の首飾りが揺れる。


「死なせないから」


 そう呟き、ルースの胸に手を置いた。するとどこから現れたのか、光る羽虫が一斉にルースに群がる。その光が目もくらむほどになったかと思うと、次の瞬間には跡形もなく消えていた。

 洞の中がしんと静まり返る。


「……っ」


 横たわったままのルースが、微かに身じろぎをした。口元の血は綺麗に消え、顔色も戻っているように見える。


「副隊長、副隊長!」


 カイが肩を揺すって呼び掛けると、ルースはゆっくりと目を開き、視線を左右に動かした。そしてカイの姿を捉え、安堵したように表情をゆるめた。


「……無事だったんだね。良かった」


「良くないです、馬鹿じゃないですか。部下を放っておいて何してるんですか」


 涙声でそう言い、カイは目元を拭った。彼がいくら生意気といえども、今までルースに馬鹿と言ったことはない。乱暴な言葉は今までの不安の裏返しだった。


「ごめん」


 ルースは弱々しく笑い、腕を伸ばしてカイの膝を軽く叩いた。体を動かせる程度には回復しているようだ。


「悪かったと思ってるよ。泣くな」


 魔導師とはいえカイはまだまだ新人だ。それでも予想だにしない事態に、勇敢に立ち向かったのだろう。上官としてその心中は察していた。

 ルースはそれから、かたわらのセルマに視線を移す。


「助けてくれてありがとう。さっきので、君の覚悟が伝わったよ。……僕のせいで辛い選択をさせたね」


「後悔はしてない。それに、あなたは必要な人だから」


 セルマはそう言ってから、カイに顔を向けた。以前よりも蒼く澄んだように見えるその目には、恐怖も迷いも浮かんでいない。


「自分で決めたことなんだ。私はタユラの記憶を見て、その苦しみも悲しみも知った。だから彼女が願ったみたいに、この世界の運命を変えたい。これ以上、私の……誰かの大切な人が泣かないように」



 洞窟の奥まった場所に、小さな泉があった。一体何処に繋がっているのか、底は見通せず、夜闇のように暗い。

 カイはその水に両手を差し入れ、ばしゃばしゃと顔を洗った。水は手がかじかむほどに冷たく、火照った頭を冷静にさせる。

 あの後エーゼルも目を覚まし、イプタは全員に事の次第を説明した。カイ達を襲ったのがエイロンであること、彼はリスカスを滅ぼそうとしていること。

 自分を殺しかけた人物がかつての恩師であることに、ルースはしばし言葉を失っていた。少し一人にしてほしいと、今は皆から離れた場所にいる。


「その泉はカムス川と繋がっているのです。近衛団の一部の人間は、それを知っています。エイロンも」


 すっと、イプタが彼の隣に立った。


「それで、俺はここに? でも……エイロンが俺や副隊長を川に投げ入れたのは何故ですか?」


 カイは疑問に思った。殺すつもりならば、わざわざ助かる可能性のある行動を取るはずがない。


「憶測ですが、僅かに残った彼の良心がそうさせたのかもしれません」


「あなたは、全てを知っているわけじゃないんですか?」


 カイの問いに、イプタは微笑で返した。


「巫女の役目はただひたすらに、あのオルデンの樹を制御することにあります。我々は永く生きることで得た知見から、物事を推察することは出来る。しかし、未来は見ることが出来ない。

 今回のことについて私が知り得るのは、断片的に見たタユラの記憶と、知見を元にした(きた)るべき結末。それすら、予期せぬ登場人物たちのおかげで、分からなくなっています」


「予期せぬ登場人物……」


「例えば、貴方あなた。それに」


 イプタはふと泉を見遣った。誰も触れていないのに、微かに水面が波打っている。


「……?」


 カイは目を凝らす。次の瞬間、激しい水飛沫と共に何かが泉から飛び出してきた。人間だ。カイは驚きに目を見開くが、イプタは眉ひとつ動かさなかった。


「あなたは……」


 ずぶ濡れのその人物は、自警団の制服を着た見目麗しい青年だった。彼が埃を払うように肩を撫でると、濡れた体はすぐに乾いていく。彼はイプタの前にすっと片膝を着き、頭を下げた。


「不法に侵入して申し訳ありません、イプタ様。自警団第二隊、エスカ・ソレイシアと申します」


「今日は訪問者が多いですね。顔を上げて。ひざまずく必要などありません」


 イプタが微笑むと、エスカは少々躊躇ってから立ち上がった。


「ご無礼をお許し下さい。本来なら洞窟に入ることは許されないと分かっていますが、部下が心配でしたので」


「構いません。ここへ入れたということは、オルデンの樹が認めたということです」


「その言葉、有り難く受け取ります」


 エスカは会釈し、それから、カイを見た。


「君が、第一隊の……」


 ロットからカイの父ベイジルの話を聞いた後だと、その視線に思わず哀れみが混じる。だが、カイはそれには気付いていないようだ。


「カイ・ロートリアンです。……エスカ副隊長、どうやってここへ?」


 やや怖じ気付きながら尋ねた。エスカとは初めて話すし、同じ容姿端麗でも彼はルースとは違って人を寄せ付けない雰囲気があった。


「一か八か、カムス川に飛び込んでみた」


「当てずっぽう、ですか」


「まさか。ロット隊長がどうやって君たちをここへ運んだのか、考えてみたんだ。そういえば本部に戻ったロット隊長の、懐中時計が微かに濡れていたと思ってな。彼が時間を確認するときに、ちらりと見えた。服の内側に入れているものだ、そう簡単には濡れないだろう? 不思議に思って、こっそり追跡の魔術を応用して探ってみたら、カムス川に辿り着いた」


 エスカはいたずらっぽく微笑むと、こう付け加えた。


「他の人には内緒で頼む。勝手なことをするとうちの隊長はかなり怒るからな」


 カイは頷きつつ、感心していた。流石は情報収集専門の第二隊だ。人の心を掴む表情の使い方を良く分かっている。それに魔導師相手に追跡の魔術を使えば、普通は本人に気付かれて弾かれるものだ。魔導師はそういった訓練も受けていた。


「ルースは無事か?」


 エスカは真顔に戻ってそう尋ねた。


「はい。でも……」


 カイは洞窟の隅にいるルースに顔を向けた。彼は壁の方を向いて、何をするでもなく悄然しょうぜんと立っている。


「どうした」


「副隊長を襲ったのが、かつての担任教官だったみたいで。エスカ副隊長、この件に関してどこまで知っていますか?」


「エイロンについては一通り、ロット隊長から説明があった。奴はリスカスを滅ぼそうとしているらしいな。そのために、邪魔者であるセルマを狙っている」


「はい。本部は、どうするつもりなんですか」


「目下の任務はセルマの保護と、エイロンの確保ということになる。ただ、獄所台には悟られないように動く」


 真実を明らかにするため、とエスカは言ったが、その言葉に自分が納得していないようだった。


「どうしたんですか?」


「いや。俺の思い過ごしかもしれないんだが……ロット隊長は何か隠しているんじゃないだろうか」

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