25、獄所台
上長会議を終え、イーラは足早に第二隊の隊長室へと戻った。会議でロットの口から聞かされたことには耳を疑うばかりだったが、事は既に動き出している。決定した方針に従って動く他ない。
その方針とは『エイロンを確保すること』と『セルマを保護すること』だ。失ったガベリアを取り戻す、我々の唯一の希望――ロットはセルマをそう形容した。
たった一人の少女によって、その場に立ち入ることすら出来ない呪われた地が一体どうなるというのか。失われた人々が戻って来るとでも言うのか。
イーラは微かに唇を噛んだ。彼女の頭には、嫌でもガベリアの悪夢で失った大切な人々の顔が浮かぶ。
「失礼します」
副隊長のエスカが部屋に入ってきて、周囲を警戒しながらドアを閉める。それからイーラの表情を見て、こう言った。
「間が悪かったなら、出ていきましょうか」
「いや、構わない。……ロットの話は全て真実と思うか、エスカ」
イーラは彼に背を向け、うずたかく書類が積まれた机の向こうに腰を下ろした。
「ガベリアの悪夢は再び来たれり。エイロン・ダイスの目的は、残る巫女を殺してこの国を破滅させることだと」
「嘘を吐く理由は無いでしょう。現に、我々は彼から攻撃されています」
そう言って、エスカは壁一面に備え付けられた棚に目を走らせた。そこには同じような装丁の本が所狭しと並べられている。黒表紙に銀文字でタイトルが書かれているそれは、自警団に関わる重要な情報を纏めた資料だ。
エスカはすっと片手を上げる。すると、棚から本が一つ飛び出して彼の手に収まった。
「それは、反魔力同盟の記録か」
「ええ。ガベリアの悪夢以前の物ですから、古い情報ですけど」
そう言いながらぱらぱらとページを捲る。
「監獄に収容されていた同盟の人間は45名、そこには9年前のクーデターに関わった者も含まれます。残党はクーデターを契機に全員捕まり、エイロンはそこで晴れて自由の身になったわけですね。過去の潜入が露見したとしても、命を狙われる危険が無くなりましたから」
エスカがもう一度手を上げると、別の本が手元に飛んでくる。隊員の異動についての記録だ。彼は近衛団のページに目を留めた。
「エイロンが内勤から、外へ出て一般的な任務に携わるようになった時期とも一致します。ただの異動でも、裏を知れば思惑が色々あるものですね」
本を閉じ、エスカは呟いた。
「そして7年前、監獄にいた人間は全てガベリアの悪夢で死んだ、と。反魔力同盟との戦いは終わった」
「だが実際、同盟の人間は生き残っていたわけだ。……我々の手落ちか」
それが今回の医務室襲撃に繋がったかと思うと、イーラの声には悔しさが滲む。
「そんなことはありません」
エスカはきっぱりと否定し、本から手を放す。二冊はそれぞれ弧を描くように宙を飛び、元の場所に収まった。
「クーデターが起きてすぐ、俺たちはかなりの危険を犯して同盟の情報を集めました。手を抜いた者は一人もいない。……あのときはまだ、この隊にルースがいましたね。新人ながら、誰よりも捜査に必死だった」
「殺されたベイジル・ロートリアンは、ルースの恩人だからな」
「恩人?」
エスカが怪訝な顔をすると、イーラは頷いた。
「ああ。ルースが隊に入ってすぐの頃、あいつは別隊の野郎にのこのこ着いていって、襲われかけた。そこを通りがかって助けたのがベイジルだったというわけだ。ご丁寧に、私にナシルンで連絡を寄越して来た」
「ありましたね、そんなことが。隊長がずいぶんきつく説教するから、ルースはちょっと泣いてましたよ」
「それが今や第一隊の副隊長か。……成長するものだな」
イーラの表情には微かに憂いが浮かんでいる。その成長が、普通の経験からなるものでないことを知っているからだ。
「彼はガベリアの悪夢の前後で、まるで別人です。悪夢の後、第一隊への異動を希望したのは、より真実に近付くためだったんでしょうか」
「それ以外にないな。そして今回、真実に近付きすぎてエイロンに襲われた。無事とは聞いているが」
「心配なのは俺も同じですよ、隊長」
エスカは小さく息を吐いた。
「可愛がっていた後輩ですから」
どん、と机に拳を叩き付ける音が響き、イーラが言った。
「ロットの野郎、エイロンのことも巫女の器のことも、最初から自警団で共有していればこんなことにはならなかったんだ。それなのに一人でこそこそと。その理由が、エイロンを獄所台に送りたくなかったから、だと。お人好しすぎて反吐が出る」
獄所台とは、この国で罪人の処罰を一任されている組織だった。歴二十年以上のベテランの魔導師が在籍し、自らの判断で動く自警団とも、国王の命で動く近衛団とも違う存在だった。数ある魔導師の組織の中では、歴史が最も古い。
本部はガベリアに存在し、監獄も彼らの管轄だった。しかし、ガベリアの悪夢でその多くを失い、生き残った者は僅かだ。今はスタミシアの奥地に本部を構え、規模の小さい監獄を管理している。
完全に独立している彼らの存在は、多くが謎に包まれていた。毎年何人かが自警団から引き抜かれていくが、獄所台所属となった彼らは自分たちの仕事について「守秘義務がある」の一点張りだ。
自警団が捕らえた罪人は、全ての調書と共に獄所台へ送られる。送致した罪人がどのような処罰を受けたのかについては、一切知らされることがない。出所時に簡単な連絡が来るくらいだ。
一つ確かなのは、例え国王でも彼らに干渉は出来ないということだった。
「獄所台が今回の件を知れば、普段は塀の向こうで胡座をかいている彼らも、必ず確保に動き出します。エイロンはそれだけのことをした。ですが我々より先に獄所台がエイロンを捕らえれば、真実は全て闇の中。俺は、ロット隊長の考えに賛同しますね」
「どういうことだ」
「処罰よりも、真実を求めた。そういうことでしょう。隊長だって本当は分かっているはずです。だから、獄所台には内密に動くという今回の方針に反対しなかった」
「生意気言うと降格させるぞ、エスカ。新人からやり直すか」
眉間に皺を寄せたイーラが凄むが、エスカは飄々と答える。
「俺以外に、副隊長に相応しい人間が?」
「黙れ。さっさと巫女の洞窟に行ってルースの無事を確認してこい」
「俺じゃ中に入れませんよ」
「頭を使ってどうにかしろ。第二隊の副隊長なんだろ?」
イーラはそう言って、意地の悪い笑みを見せた。エスカは少し肩を竦めただけで、反論はしない。何かしらの策があるようだ。
「では、隊員の被害の状況調査ということで。行ってきます」
颯爽と踵を返し、彼は部屋を出ていった。