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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
一章 思惑
24/230

24、変貌(+登場人物まとめ)

※後書きに簡単な登場人物のまとめを載せています。

 セルマの視界はまた暗転し、代わり映えが無い洞窟の景色の中で、目の前にエイロンが立っていた。

 また数年が経過したのか、彼の容姿は更に渋味を増したように見える。晴れやかだった眉間には、うっすらと皺が刻まれていた。


「セルマは、無事ですか」


 タユラの声がそう尋ねた。エイロンは頷き、手の平を上にして片手を差し出す。そこにもやが浮かび、幼い少女の顔を形作った。自分の顔だ、とセルマはどきりとする。


「ご覧の通りです。母親代わりとなった女性は既に病気で亡くなりましたが、あなたの言うように、セルマは一人で力強く生きているようです。泥をさらい、街中でゴミを集め……」


 エイロンの表情が曇る。


「小さな手で一生懸命に金目の物を探している姿を見ると、胸が痛みます。あの子はまだ4歳ですから」


「それで、ボタンを落としてきたのですか」


 タユラは言い、視線がエイロンの袖口に向けられる。二つ付いているはずの制服の金ボタンは、今は一つしかなかった。


「貴方らしい助け方ですね」


「本当に、保護しなくてよろしいのですか? あんな生活ならば、王宮に閉じ込められていた方がまだ――」


「ましだと言いたいか」


 タユラが言葉を荒げると、セルマは何かが胸につかえているような息苦しさを覚えた。お前には理解出来ない、私の苦痛など――そんな彼女の心の叫びを、耳元で聞いたような気がした。


「もう下がりなさい」


 彼に背を向けた視界が、微かに曇っている。俯くと、自分の爪先に滴が弾けるのが見えた。


「出過ぎたことを申しました。忘れて下さい」


 背後でエイロンの声が響いた。


「私は運命を変えたいと言ったあなたを、命を懸けて支えたいと思っています。……どれほど思ったとしても、あなたと心が通じることは無いのでしょうが」


「通じる心など持たない。私は巫女の役目以外のことは、何一つ知らない。感情など必要ないのです」


 嘘だ、とセルマは思った。通じる心が無いのなら、なぜ今これほど苦しいのだろう。なぜ声が震え、視界は曇っているのか。

 ゆっくりと瞬きをするように、景色が明滅する。そのまま、セルマの視界は暗くなった。



 次に見たのは、また別のエイロンの姿だった。近衛団の制服ではなく、自警団の制服を着ている。だが良く見ると、色は紺ではなく黒だ。


「魔術学院の教官に任命されました。三年ほど、近衛団を離れます」


「……そうですか。貴方なら、立派に教官の務めを果たすことでしょうね」


 タユラは言ったが、心はどこか上の空だ。エイロンは、寂しげに微笑んだ。


「しばらくお目にかかれなくなります。しかし、セルマを見守ることは続けますから、ご安心を」


「心配などしていません。それに三年の月日など、私にとってはほんの数ヶ月の出来事でしょう」


「私にとっては、三年より長いかもしれません」


 エイロンはまっすぐにタユラの目を見た。セルマは熱のこもったその瞳に、胸が高鳴るのを感じた。巫女として決して口にしてはならない言葉が、喉元まで出掛かっている。


「……では、行きます。どうかご無事で」


 エイロンは背を向け、洞窟を出ていこうとした。


「エイロン」


 タユラが呼び止めた。


「貴方も……どうか無事でいて下さい」


「ええ、きっと。今度はまた、近衛団の姿でお会いしましょう」


 彼は微笑み、洞窟を出て行った。彼の背中を見送ってからしばらく、セルマの目に映る風景は静止していた。

 やがて、視界はゆっくりと洞窟の奥へ移動する。タユラは壁の窪みに手を差し入れ、そこから何かを取り出した。

 赤いシュープの実だった。何年も前に、エイロンがくれたものだ。表面はまだ瑞々しく、艶やかさは一つも失われていない。この洞窟では、全てのものが時を止めるようだった。

 あなたに見せたかったのです――無邪気にそう話したエイロンの姿が思い浮かぶ。セルマには分かった。タユラはあの頃からずっと、彼のことを想っていたのだと。



 また場面は変わる。タユラは洞窟の入口を見つめていた。来る日も来る日も、そうしてエイロンを待っていたのだろう。三年のはずが、既に五年以上の月日が流れていた。

 入口に人影が近付いて来た。だが、聞こえてくる足音はいつもと違って粗野で、タユラの胸はざわつき始める。

 姿を現したのは待ちわびた人だった。しかし。


「エイロン……。何があったのですか」


 一目で分かるほど、彼の顔は険しく、目付きは鋭くなっていた。黒髪は艶を失い、頬は不健康にけている。近衛団の制服を着てはいるが、どう見ても以前の彼ではなかった。

 タユラは思わずエイロンの肩に触れようとするが、彼はそれを払いのけた。


「今の俺に、あなたに触れられる資格などない。自分の発言を撤回させてくれ」


「何を……ですか」


 タユラの声は震えた。言葉遣いすら変わってしまった彼に、一体何があったというのか。


「あなたを支えたいと言ったことをだ。もう、それは出来ない。俺にはやるべきことがある。裏切り者を、地獄に落とさなければならない」


 エイロンは歯噛みするように声を絞り出した。肌に刺さるような憎しみをそこに感じ取り、タユラは痛切な声を出して、彼の腕を掴んだ。


「貴方に何が――」


 掴んだ腕から、彼女の頭に記憶が流れ込んで来た。

 反魔力同盟への潜入を指示するエヴァンズの顔、暗い路地を抜けた場所にあるアジト、魔力を持つ者を口汚く罵る言葉、運び込まれた銃の手入れをする人間、裏切り者への拷問……次々に、禍々しい映像が流れ込んで来る。

 死が常に側にある恐怖、潜入が発覚してはいけないという緊張感、「この任務を解いて下さい」と懇願する彼の声、そしてノーを突き付けるエヴァンズ。

 彼の魂が崩れていった。もはや、元の彼はそこにはいない。憎しみに支配され、エヴァンズへの復讐だけが生きる意味となっていた。

 もう一つ、別の記憶が流れ込んで来た。薄闇の中、エイロンの手にサーベルが光り、それが目の前の人影に振り下ろされる。血飛沫が――。

 まさか、と驚愕するタユラを突き飛ばし、エイロンは唾を飛ばしながら喚いた。


「俺に何を言っても無駄だ。新しい巫女が全てを変えてくれる? 笑わせるな! 変わるわけがない。所詮は人間の世界だ。どいつもこいつも卑しい心に支配されて、他人を捨て駒にする。魔力の有無以前の問題だ」


「エイロン」


 タユラは立ち上がり、涙を流しながら言った。


「私は貴方を信じていました。誰よりも、強い心を持った人間だと」


「心ほど当てにならないものは無いだろう?」


 エイロンはせせら笑う。もはや、僅かに残っていた元の人格すら失っているようだった。


「あらゆるものの中で最も脆く、移ろいやすい。それを信じたお前は」


 そう言ってタユラを指差す。


「この世で一番の愚か者だ」


「愚かなのは貴方です、エイロン。魔導師でありながら、なぜ人をあやめたのですか」


 タユラの涙は止めどなく頬を伝い落ちていく。信頼し、そして愛した人の変わり果てた姿は、どんなナイフよりも鋭く彼女の胸をえぐった。


「貴方は後戻り出来ない場所へ行ってしまった。それを分かって――」


 エイロンがサーベルを抜く。彼女の言葉はそれ以上、続かなかった。


 憎しみに支配されたその切先が、タユラの胸を深々と貫いていた。



登場人物


〇セルマ(16)

 スラム街で育った少女。ガベリアの巫女を継ぐ者。自分を助けたカイに、心を開いている。



《自警団》


〇カイ・ロートリアン(16)

 監察部第一隊の新人隊員。スタミシア出身。小生意気だが根は真面目。


〇ルース・ヘルマー(25)

 第一隊の副隊長。ガベリア出身、親友と家族をガベリアの悪夢で亡くす。


〇ミネ・フロイス(25)

 医療部の医務官。ルースの同期。ガベリアの悪夢で生き残るが、右脚の膝から下を失う。


〇クロエ・フィゴット(16)

 医務官。カイの同期で、魔術学院の入学時から仲がいい。


〇オーサン・メイ

 第三隊の隊員。カイの同期。幼い頃から嗜虐性がある。


〇エーゼル・パシモン(20)

 第一隊、カイの四期先輩。ルースを尊敬しすぎるあまり、カイに数々の嫌がらせをしてきた。


〇エドマー(24)

 医務官で、ミネの後輩。


〇ロット・エンバー

 第一隊の隊長。過去に近衛団におり、エイロンの部下だった。


〇イーラ

 第二隊長。非の打ち所がない美貌の持ち主。


〇フィズ

 第三隊長。粗暴だが、ミネに対しては優しい。


〇エヴァンズ

 第四隊長。元近衛団副団長。カイの父親の死に関わっていた。


〇レナ・クィン

 医療部の医長。奇抜な容姿で、イーラと同期だが学生時代から不仲。


〇エスカ

 第二隊の副隊長。イーラに引けを取らない美青年。


〇クラウス・ヴィット

 ルースの親友で、ミネの想い人。ガベリアの悪夢で犠牲になった。



《近衛団》


〇ラシュカ・メイ

 オーサンの父親。近衛団員。


〇ベイジル・ロートリアン

 カイの父親。9年前に起きた反魔力同盟のクーデターで、凶弾に倒れた。


〇エイロン・ダイス

 元近衛団員、魔術学院の教官で、ルースたちの担任も務めていた。ガベリアの悪夢で体の一部が爛れ、声も嗄れている。反魔力同盟への潜入で人格が変わり、タユラを殺害するに至った。

 


《その他》


〇イプタ

 キペルの巫女。千年あまり、巫女として務めを果たして来た。巫女の中では最古参。


〇タユラ

 ガベリアの巫女。彼女が死んだことでガベリアの悪夢は起きた。


〇パトリー・ロートリアン

 カイの母親。

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