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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
四章 闇の果て
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84、夢占い

 朝食を終えたカイは本部の図書室に来ていた。目的は本ではなく、そこで仕事をしているブロルだ。


「あっ、おはよう、カイ!」


 天井まで届く書架に掛けられた長い梯子の上から、ブロルの声が降ってきた。彼は紺色の制服を着ている。カイたち魔導師とは少し違うデザインで、上衣は立襟ではなくジャケットのようだった。


「今降りるから、ちょっと待っ――」


 足を踏み外したブロルの体が、勢いよく落下していく。カイはすぐに駆け出してその下に入り、軽量化の魔術をかけながら間一髪で彼を抱き止めた。


「……朝から心臓縮んだぞ。大丈夫か?」


 ブロルを床に下ろし、カイはほっと息を吐いた。


「ごめんね。木登りは得意だから気が緩んじゃって。この間も落ちて、エーゼルにキャッチしてもらったんだけど」


 ブロルは申し訳なさそうに言って、頬を掻いた。


「山と違ってここの床はコンクリートなんだから、気を付けろよ。……それ、結び方間違ってないか?」


 カイは少し笑ってブロルの裏返ったネクタイを直してやった。紺の無地だと思っていたが、表には自警団の印である鷲の姿が銀糸で刺繍されていた。彼が自警団の一員であることの証だ。


「えっ、上手く結べた感覚だったんだけどな」


「感覚じゃなくて、ちゃんと鏡で確認しないと。見た目も気にしようぜ」


「みんな、そんなに頻繁に鏡を見てるの?」


 少し前まで山で原始的な暮らしをしていたブロルには、鏡で身なりをチェックするという習慣がないのだった。


「頻繁ってわけじゃないけど。自警団にいるなら、ある程度はちゃんとした格好をしておかないと。寝癖と間違えられる頭の俺が言えたことではないけどさ」


 カイは自分の毛先を指で摘まんだ。好き勝手な方向に跳ねる、父親譲りの頑固な癖毛だ。ブロルはふふっと笑いを溢し、言った。


「本当に寝癖のときもあるでしょう? そういえばエーゼルが黒髪になってたね。見た?」


「見た見た。びっくりしたよ。でも、あれが地毛らしいぜ。今まではルース副隊長に憧れてブロンドに染めてたんだって」


 カイが初めて黒髪のエーゼルを見た時は、一瞬誰だか分からないくらいだった。髪色でずいぶん印象が変わるものだ。しかしブロンドよりは、そっちの方が似合っているように見えたのだった。


「へぇー。じゃ、エーゼルはもうルースに憧れなくなったってこと?」


「そういうことではないと思う。ありのままでいいと思えるようになったんだよ、たぶん」


「それって恋の力かな。恋愛小説みたいで面白いねぇ」


 ブロルがにやけ、カイがくすりと笑った。


「仕事さぼって恋愛小説読んでるのか」


「まさか。そんなことしてたら、これ剥奪されちゃう」


 ブロルは自分の左腕にある腕章を指差した。白地に黒い『特別職員』の文字が見える。彼は自警団長ウェインの判断で、この図書室の管理と、古代ガベリア語の資料の翻訳を任されていた。


「ここで見付けた居場所だもん。大切にするよ。山も恋しいけど、僕はこの先もずっと街で生きていく。それが使命だと思ってるし、カイみたいな友達も出来たし。……それで、僕に何か話したいことがあったんだよね」


 ブロルはその瑠璃色の目で、じっとカイを見た。


「嫌なことでもあった?」


「実はさ、今朝の話なんだけど……」


 そして、カイは自分が死んでいる夢を見たことについて話した。ブロルは真剣に話を聞き終えると、すぐに表情を和らげた。


「大丈夫だよ、カイ。それっていい夢だから。環境が大きく変わったり、新しいことが始まったり、それから、何かの再生を意味するんだって。夢占いの本に書いてあった!」


「夢占いって……。これまた変なものにはまってるな」


 カイは思わず笑った。恋愛小説に夢占いに、どうやらブロルは少女趣味らしい。それにしても、ブロルの知識の吸収率には目を見張るものがあった。彼に頼めば目的にぴったり合った本を教えてくれると隊員たちが話すほどに、今や立派な司書だ。彼の好奇心と地頭の良さを見抜いていたから、ウェインは彼をこの仕事に就かせたのかもしれない。


「馬鹿にしちゃ駄目だよ、結構当たるんだから。一日に何人か僕のところへ聞きにくる人もいるし。肩書きに占い師って付けようかな」


 ブロルは得意気にそう言った。最早、それも仕事の一部になっているようだ。人の目にはその容姿も相まって、彼が魔力とは違う不思議な力を持っているように見えるのだろう。いや、実際に持っているのかもしれない。単にブロルの人柄や性格のせいとも言えるが、彼と話すと心が癒されるということはカイも実感していた。


「とにかく、不吉な予兆ではないから大丈夫。元気出してね」


「分かった、安心したよ。ありがとな。じゃ、これから仕事だから。また変な夢見たら聞きに来る!」


 カイは晴々とした表情で図書室を出ていった。


「……再生か。縁起のいいこと聞いた」


 本棚の陰からルースが姿を現した。最初から図書室にいたが、カイが来たのを見て隠れていたのだ。彼は腕に10冊ほどの本を抱えていた。


「あっ、盗み聞きは良くないよ、ルース。……お目当ての本は見付かった?」


「ああ。貸し出し手続きを頼む」


「オーケー。でも、勉強熱心だね。今だってずいぶん博識なのに」


 ブロルはカウンターで貸し出し名簿にペンを走らせながら、感心したように言った。本のタイトルは『地域巡回における魔導師の視点』『防犯体制の構築』などで、残りは全てガベリアに関する書物だった。今まではページが全て黒く変色していたが、ガベリアが甦ったと同時に元の姿に戻ったのだ。


「僕なんてまだまだだよ。ロット隊長やダイス教官の足元にも及ばない。ガベリアを人が安心して住める場所にするには、自分自身が成長していかないと」


「責任感あるね。やっぱり副隊長だから?」


 ルースは苦笑し、肩をすくめた。


「ガベリア支部へ行くなら隊長になってもらうって、ウェイン団長に言われていてさ。荷が重いな」


「大丈夫。どんなに大変でも、ルースならやり遂げられるよ。その目でちゃんと、光を見ているから」


 ブロルは確信を持って微笑んだ。


「光?」


「そう。セルマがこの世界に残してくれた希望と……カイっていう光芒こうぼうをね」





「……っていうことが、今朝あって。みんな、少しずつ前を向いているんだなって実感した」


 ブロルはウェインと向き合って椅子に座り、楽しそうにそう話した。人々が寝静まった夜の時刻、明かりを消した団長室には暖炉の柔らかな光だけが揺れている。


「毎日が楽しそうで何よりだ。図書室の仕事に就かせたのは、正解だったね」


 ウェインは揺り椅子にもたれながら、優しい眼差しを彼に向けた。


「これからもっと沢山の人と話してごらん。人から学べるものは、知識だけではないよ」


「人の心、とか? それってタユラがセルマに教えたかったことだよね。僕、たまに考えるんだ。もしセルマが巫女としてきちんと保護されて、人と隔絶されて育っていたらって。きっと、ガベリアを甦らせる程の強い力は生まれなかったんじゃないかな。

 誰かと心が通うって、とても大切なことだ。僕はそれをエイロンに教えてもらったし、みんなからも学んだ。それで……僕も恋してみたいなぁ、なんて思っちゃってる」


 ブロルは椅子の上で膝を抱え、照れたように笑った。


「みんな幸せそうなんだもん。ねえ、ウェインは恋したことある?」


「ああ。遠い昔の話だけどね」


 ウェインは少し声のトーンを下げる。ブロルは表情を曇らせた。


「……失恋だったの?」


「もっと酷いかもしれない。彼女は私が初めて、魔力を消してしまった人だから」


「魔力を消してしまった……。ウェインだけが持っている力だよね」


「そうだ。そして彼女は、魔術学院の同期だった」


 ウェインは長く息を吐いた後、遠くを見つめながら続けた。


「二年生の頃だった。私は一介の学生で、まだ、自分に相手の魔力を消し去る力があるなどとは知らなかった。ある日、魔術の実技訓練があったんだ。当時は今と違って、かなり危険な魔術も学生に使わせていたんだけれどね。彼女は自分の魔力を制し切れずに、級友を殺しそうになった。それを私が必死で止めようとした結果、彼女の魔力を全て消してしまったんだ。

 翌日になってその事実が明らかになると、私はすぐさま隔離された。危険人物扱いだ。それもそうだろう、魔力がなければ魔導師にはなれないのに、その魔力を消してしまう人間がいるんだから。問答無用で退学だろうと思った。しかし、そうはならなかった。

 彼女が教官に話したそうだ。ウェインは自分が人殺しになるのを止めてくれただけだと。恨んでなんかいない。立派な魔導師になって、私の分もリスカスを守って欲しい……。辛かったよ。魔導師になるという彼女の夢をこの手で奪ってしまったことが。

 しかし、私に出来るのは彼女の願いに応えることだけだった。級友からはかなり距離を置かれたが、人に対する魔術は絶対に使わないようにして何とか学院を卒業できた。教官たちも、もっと上の人間たちも、私を野放しにするよりは監視下に置いた方が安全だと思ったのだろうね。卒業後に配属されたのは、自警団ではなく獄所台だった」


「えっ、あの監獄の?」


 ブロルは目をしばたいた。


「経験のあるベテランしか行けないって教えてもらったけど」


「例外だったんだ。後にも先にも、16歳であそこに入ったのは私くらいだろう。私は獄所台で魔導師の基礎を学び、刑務官として魔力を持つ囚人の……魔力を消す仕事をしていた。自分でその力を制御出来るように、囚人を利用させられていたんだ。そのことは今でも悔やんでいるし、自分を軽蔑する。

 30年ほどそんな生活をしたかな。自分の忌々しい力はすっかり制御出来るようになって、私は初めて獄所台の外に出た。まるで刑期を終えて出所したみたいな気分だったよ。しかし、用意されていたのは自警団の団長という立場だった。私は引き続き、外界から隔離されていたんだ。

 私が口を利けるのは歴代の隊長たちだけだったが、個性豊かな彼らには多くを学ばせて貰ったな。それに、こっそりと山に入って君たちの民族とも話せたしね。……君の言う通りだ、ブロル。誰かと心が通うのは大切なこと。それが人を動かす大きな力になる」


 ウェインは穏やかな顔でブロルを見つめた。本来なら決して交わるはずのない山の民族の少年、各地の巫女、そしてセルマと魔導師たち。誰かが一人欠けても、この結末には至らなかっただろう。

 少なくはない犠牲と、それぞれが味わった痛みや悲しみが薄れるには、まだまだ時間が掛かる。それでもいつかは、穏やかな心で振り返ることの出来る日が来る。

 ブロルの瑠璃色の瞳は、深い静けさをたたえたように美しく輝いている。それを見ると、ウェインはこの先の希望を願ってやまないのだった。


「我々も、ようやく闇の中から抜け出せたのかもしれないね」

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