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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
四章 闇の果て
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82、君の隣

 冬晴れの空が心地よい朝。積もった雪はまだ溶けきらず、キペルの街は白一色に染まっている。

 そんな中、イーラの葬儀は少人数でひっそりと営まれた。近しい者だけで静かに送って欲しいというのが本人の遺言だ。各隊の隊長と副隊長、第二隊員、レナ、そしてガベリアへ向かった隊員たちに見送られ、イーラの棺は自警団本部の裏手にある墓地に埋葬された。

 別れを惜しみながら隊員たちが去っていく中、レナは最後まで墓石の前に残っていた。碑文はいらないとイーラ本人に言われていたから、そこには生年と没年、第二隊46代隊長の文字と、名前のみが刻まれていた。

 微かな足音でレナは振り返る。黒いコートを羽織ったコールが、花束を手に立っていた


「……来てくれたんですか」


「私のかつての部下だからね。本当は葬儀にも出たかったが、きっとイーラは嫌がったはずだ。せめて花くらいは手向たむけたい」


 コールはそう言って墓石の前に屈み、そっと花束を置いた。白い百合ユリの花だ。気高いイーラにはぴったりだな、とレナは思う。


「お疲れ様、イーラ。立派な魔導師で、素晴らしい隊長だった。君のおかげで、こうしてレナの隣にいることが出来る。ありがとう」


「……余計なことを」


 レナがぼそりと呟き、こっそりと目元を拭った。コールは立ち上がり、彼女に向き直った。


「今日はさすがに非番なんだろう、レナ。さっきエスカ隊長から、152連勤中だと聞いたよ。いい加減、家でゆっくりしたらどうかな。フリムもいる。親子三人で過ごすのも悪くないと思うが」


「家? 家なんて、いつの間に借りたんですか」


「私が獄所台を辞してからもう1ヶ月以上経つんだ。さすがに、あの高級な宿にずっと泊まるわけにもいかないだろう? それに君が医務官を引退した後、のんびり過ごせる場所を作っておきたくてね。少し奮発して、中央1区に一軒家を買った」


 コールがさらりと言った。獄所台の元刑務局長とくれば、家を買うための資金も信用も申し分ないといったところなのだろう。


「買った……。思い切ったことをしましたね。私はまだまだ現役を退しりぞく気はありませんけど」


 レナは突っぱねるように言ったが、本心では嬉しく思っていた。離れていた年月が長過ぎて、すぐには素直になれないだけなのだ。それに加えて、ここではイーラに聞かれているような気がしてしまう。にやりと笑う彼女の顔が浮かぶようだった。


「それもそうだな。しかし私たちの宝物は、いつか三人で一緒に暮らすのが夢だと言っていたよ」


 コールが優しく言った。


「フリムが? ……その前に、私はあの子の育ての両親に会いにいかないといけません。お礼と謝罪は、してもし足りないくらいですから。無責任な私に代わって、あの子を大切に育ててくれた人たちなんです」


 フリムをあそこまで真っ直ぐ優しい子に育ててくれた夫婦。レナの知人だったわけではなく、彼女の恩師が繋いでくれた縁だった。


「フリムから聞いているよ。とても愛情深い人たちだと。私も一緒に行く。父親として責任は負わなくてはね。それと、君の口から聞かせてくれないか。私と別れてからどんなふうに生きてきたのか。もう二度と、君を一人で苦しませたくないから」


 真剣なコールの目に射抜かれ、レナは思わず涙を溢した。


「……遅いですよ、今さら」


「分かっている。一生かけて償うつもりだ。さあ、帰ろう。今日くらいは、イーラだって君に休んで欲しいと思っているよ。仕事中毒仲間としてね」


 コールの言葉にレナはくすりと笑いを溢し、彼の手に肩を抱かれて墓地を後にした。





「……さて、これで完成!」


 ベロニカは机の上に散らばっていた書類を集め、端を綺麗に揃える。時計に目を遣ると午後2時を回るところだった。スタミシア支部の医務室は静かで、穏やかに陽の光が射し込む窓から、鳥の鳴き声も聞こえてくるくらいだ。


「はぁ。平和っていいですね……」


 独り言を言いながら、ベロニカは書類を手に立ち上がる。カイがメニ草畑から救出した子供たちについての最終報告書だった。これを第七隊のアルゴ隊長に提出すれば、この件に関してのベロニカの任務は完了となる。

 しかし、アルゴは書類を見てこう言ったのだった。


「これは直接本部の方に提出するやつだな。第二隊だ」


「ええっ。……後日でもいいですか?」


 ベロニカは困り顔で尋ねた。


「何故だ」


「だって……今朝、イーラ隊長の葬儀が終わったばかりじゃないですか」


「仕事は仕事だろう。彼らだってそこは割り切っている。それとも他に、本部に行きたくない理由でもあるのか?」


「いえ。行ってきます」


 書類を受け取り、ベロニカは隊長室を出た。行きたくない理由……それは、第二隊に近付きたくないからだ。あそこには()がいる。出来れば顔を合わせたくなかった。


(まあ、今日はいないかもしれないし、用があるのはエスカ隊長だし)


 すぐに気持ちを切り替え、ベロニカはキペル本部へと向かった。

 運良くその彼には出会わず、第二隊の隊長室まで辿り着いた。エスカは普段と変わらぬ様子でベロニカを迎え、書類を受け取った。


「お疲れ様。俺たちがガベリアへ向かってから今まで、君には色々とお世話になったね。どうもありがとう」


 彼はそう言って微笑む。やはり魅惑的な笑みだが、その裏にやりきれない気持ちを隠しているのだろうと思うと、ベロニカは胸がちくりと痛むのだった。


「いえ。医務官として当然の仕事ですから。では、失礼します!」


 彼女はすぐに踵を返し、隊長室を出た。エスカも一人になりたいだろうし、さっさと支部に戻らないと、会いたくない人に遭遇するかもしれない。早足に廊下を進んでいると、前を歩いていた隊員が不意に振り返った。ベロニカは思わず足を止め、その隊員の顔を見つめた。


「……お疲れ様です、カレンデュラさん」


 何でもないふうを装って挨拶し、彼の横を通り抜けようとする。カレンの方が一期上だから、敬語で話すのが特に余所余所よそよそしい態度というわけでもないはずだ。


「ベロニカ」


 カレンの手が、咄嗟に彼女の腕を掴んだ。


「離して下さいっ!」


 ベロニカはその手を振り払ってから、自分の行動を恥じるようにカレンから顔を逸らした。


「……ごめんなさい」


「謝るのは僕の方だよ。少し、時間ある?」


 カレンが静かに言い、ベロニカは恐る恐る視線を上げた。彼の表情は冷静に見えるが、その心の中は窺い知れない。いつもそうだったとベロニカは思う。本心など、一度も聞かせてもらったことがないはずだ。


「少しだけなら」


 断ることも出来たのに、そう答えていた。


「ありがとう。こっちへ」


 カレンはベロニカを手近な部屋に案内し、ドアを閉めた。二人きりの部屋に少し緊張した空気が流れる。彼らが別れてから5年、姿を遠くから見掛けたりはしても、顔を突き合わせて話をすることは一度もなかったからだった。

 ベロニカは俯いて押し黙っていたので、カレンの方から口を開いた。


「今日はどうして本部に? そこの廊下を歩いていたってことは、第二隊に用があったんだろう」


「はい。エスカ隊長に、書類を提出しにきたんです」


「そっか。お疲れ様。……実は5年前のこと、僕はずっと引っ掛かってて。君は――」


「都合のいい情報提供者。分かってますよ、もう子供じゃないので。謝る必要もないです。あなたはただの任務だったのに、私が勝手に恋人だと思って、調子に乗っただけなんです」


 そう話すベロニカの声は、心なしか震えていた。そして、カレンとは絶対に目を合わせようとしなかった。


「確かに、君に近付いたきっかけは任務だった。それは認める」


 カレンは言い、続く言葉に熱を込めた。


「でも、僕はちゃんと君が好きだったよ。ただの情報提供者だなんて思ってはいなかった」


「第二隊の方は嘘が得意ですから。信じません。そうやってまた、私から情報を引き出そうとしているんでしょう」


 顔を上げてカレンに強い視線を投げつつ、ベロニカはその目を涙で曇らせていた。


「何が知りたいんですか。別に恋人じゃなくたって、聞いてくれれば答えますよ。わずらわせるつもりはありません。あなたは、嘘の恋人にはキスも、手を繋ぐことも出来ない人なんですから!」


「馬鹿にしないでくれ」


 カレンはベロニカの両肩を壁に押し付け、真剣な目で彼女を見た。ベロニカの心臓が、今までにないくらい大きく跳ねた。


「君が心のどこかで僕を疑っているのを知っていたから、出来なかっただけだ。僕を信じさせる手段としてそういうことをするのが嫌だったんだよ。君こそどうなんだ。僕の顔が良くなきゃ、見向きもしなかったんだろ」


「確かに私は面食いですよ。綺麗な顔立ちの男性には全員ときめきます。それでも……本当に好きだと思ったのはあなただけだった」


 涙が静かに彼女の頬を伝い落ちた。


「私たちは、お互いを信じられなかったんです。だから自然と離れていった。今さらどうにもなりませんよ」


「それでもどうにかしたい。僕は今でも君が好きで、隣にいたいと思っている。ベロニカ、君はもうほんの少しでも、僕を好きにはなれない?」


 悲しく歪んだ彼のその顔を、ベロニカは演技だとは思わなかった。本当は分かっているのだ。耳に届く彼の言葉は全て真実。そして自分も、ずっと彼に未練があったのだと。


「……ほんの少しどころか、とても、好きですよ」


 彼女は泣き笑いの顔でそう言った。


「今度は、ちゃんと手を繋いで、キスもしてくれますか?」


「当たり前だろ」


 カレンはほっとしたように表情を和らげ、次の瞬間、顔を寄せてベロニカの唇を塞いだのだった。


「……ちょっと」


 反射的に彼を押し遣り、ベロニカは顔を真っ赤にして言った。


「別に、今ってわけじゃないです……」


「機会は逃したくない。後悔しないように生きるって、難しいことだからさ。どんな瞬間も大切にしたいんだ」


 それは、イーラの死を目の当たりにして感じたことだった。病気にしても任務中の事故にしても、自分の命がいつ消えるのかなど誰にも分からないのだ。

 カレンは優しい眼差しをベロニカに注ぎ、彼女の手を握った。


「もう僕を疑ったりしないでほしいな」


「もちろんです。あっ、それなら一つ、教えて下さい」


「何?」


「5年前、あなたの任務の対象が私だった理由です。私からどんな情報を得ようと?」


 カレンは苦い顔になり、こう言った。


「あー……。厳密に言うと、監視だったんだよ」


「監視?」


「そう。君、ちょっと際どい方法でレナ医長の個人情報を探ってただろ? それが第二隊員の目に留まったんだ。何か良からぬことを考えているんじゃないかってね。まあ、誤解だったわけだけど」


「う゛っ」


 ベロニカは、腹を殴られたみたいに変な声を出した。


「バレてたんですか」


「バレないと思っていたことに驚く。もうあんなことはするなよ?」


「しません。だから、私のことも疑わないでくださいね」


 カレンの手を握り返し、ベロニカはそのまま少し背伸びをする。軽い口付けの後、二人は目を合わせて照れたように笑った。

 その直後、壁を抜けてきたナシルンがカレンの頬に激突したのだった。

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