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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
四章 闇の果て
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80、無条件

 キペルで深夜から降り始めた雪は、朝にはしっかりと膝下辺りまで積もっていた。自警団本部の玄関前も一面真っ白になり、新人隊員たちが通路確保のための雪掻きに駆り出されている。


「さっさと終わらせようぜ。寒い!」


 カイが仲間にスコップを配りながら顔をしかめた。自警団から支給される防寒具といえば、外套と手袋だけだ。基本的に制服着用時の帽子とマフラーは禁止されている。帽子が禁止なのは顔が隠れることによる成りすましを防ぐため、マフラーはどこかに引っ掛かって首吊り状態にならないためとのことだった。どちらも過去に実例があったらしい。寒がりなカイにとっては、狙ったように自分を苦しめる規則だとしか思えなかった。

 本部にいる新人は彼の他に、フィルとレフ、クロエ、第二隊のシンシアと第四隊のルイスだ。そこにオーサンを加えて、全部で7人だった。それ以外はスタミシア支部にいる。

 クロエはまだ実家から帰ってきていなかった。朝には戻るとカイは聞いていたが、この雪では予定より遅くなるかもしれない。


「カイって、冬の間ずーっと寒いって言ってるよね」


 シンシアがスコップを受け取りながら笑った。彼女は栗色の長髪の、少し暗い影をまとったように見える美少女なのだが、性格は底抜けに明るく前向きだった。


「秋にも言ってた。なんだったら春先も言ってた」


 ルイスが口を挟む。同期で一番大柄な彼は、外套も着けず手袋もしていない。キペル最北の区出身で、寒さにはめっぽう強いらしい。その黒髪が冷たい風にそよいでも、全く平気な顔をしていた。

 更にしかめ面になったカイをよそに、フィルとレフは黙々と作業に取り掛かっていた。と、思ったのも束の間、雪玉が飛び交い始めたのだった。こういうときに真っ先にふざけるのは、意外にもフィルなのだ。


「おい、遊ぶなって。昼飯までに終わらないぞ」


 すかさずカイがたしなめる。学生時代からずっとこんな役回りだった。


「最終的に通路の雪が片付いていればいいんでしょ? カイは真面目すぎるよ。大丈夫、いけるって」


 シンシアが雪を丸めながらにやりと笑った。「大丈夫、いける」が彼女の口癖だが、実際に大丈夫だったためしがない。カイが助けを求めるようにルイスを見ると、彼はとっくに投げ合いに参戦しているのだった。


「ね? 私たち、悲しい思いばっかりじゃこの先やっていけないよ。もっと笑わなくちゃ」


 シンシアはじっとカイの目を覗いた。言外に込められているのは、オーサンの死に対する同期たちの深い悲しみだ。


「……そうだな」


 カイは頷いた。彼女の言う通り、オーサンだって同期に暗い顔で生きていって欲しいとは思わないだろう。笑えるときには笑った方がいい。


「でも、少しだけだぞ。これだけ積もってたら結構――」


 飛んできた雪玉がカイの後頭部に直撃した。崩れた雪が、首の隙間からするりと制服の中へ入り込む。


「……びゃあぁっ!?」


 その冷たさにカイはすっとんきょうな声を上げて身悶みもだえし、周りは息も絶え絶えになるほど笑い転げたのだった。



「何やってんだ、あいつら」


 新人たちの戯れを本部二階にある廊下の窓から覗き、フローレンスは笑いを溢していた。


「何見てんの?」


 第二隊のコーネルがそこへ近付いてきて、同じように外を覗く。親しげなのは、彼がフローレンスの同期だからだ。


「雪掻きそっちのけで楽しんでる。ガキっぽいけど、まあ、普通の16歳ってあんなものか」


 フローレンスが染々(しみじみ)と言うと、コーネルは彼に顔を向け、悲しげに笑った。


「俺たちもやれば良かったな、あれ」


「……まさか。そんな状況じゃなかっただろ。悪夢の後だぜ?」


 現在23歳の彼らが新人だった頃に起きたのが、あのガベリアの悪夢だった。自警団全体が地獄のような雰囲気に包まれる中で、笑う隊員など誰もいなかった。そして何よりも彼らの心をさいなんだのは、唐突に消えてしまった同期のことだった。


「そうだな。……でも、俺らだってこうして魔導師を続けているんだから。あいつらだってきっと乗り越えられるよ。仲間を失うのは辛いけど、泣いてばかりはいられない」


 コーネルはまた、はしゃぐ新人たちに視線を向けて優しく微笑んだ。


つまづくようなら俺たちが支えてやればいい。せっかく指導係も任されていることだしさ。……あ、帰ってきたみたいだぜ」


 彼は門の辺りを指差し、言った。


「ん?」


 フローレンスもそちらに視線を遣る。雪に埋まりながら一生懸命に門を入って来るのは、私服姿のクロエだった。同期たちが駆け寄り、笑顔で何か言葉を交わすと、彼女も雪玉を作り始めた。


「混ざるのかよ」


 そう突っ込んで、フローレンスは一人で吹き出した。面白かったからだけではない。クロエの心からの笑顔が見られてほっとしたのだ。

 実はクロエが泣いているのを目撃したあの夜、自分は両親に愛される資格がない、だから家に帰れないと話す彼女に、フローレンスはこう言葉を掛けていた。


 ――君さ、何かにつけて資格って言うけど、それがない奴は愛されちゃ駄目なのか? そんなはずないだろ。ていうか、その資格ってなんだ。自分で勝手に作ったものなんか捨てちまえばいい。誰かに大切に思われたり愛されたりするのは無条件でいいって、君はさっさと気が付くべきだ。


 思い出すとむず痒くなるような台詞だが、それで彼女の背中を押せたのだから問題はない、とフローレンスは自分を納得させた。


「……フローレンス、お前、彼女が帰ってくるのを待ってたんだろ?」


 コーネルがじっと彼を見ていた。その見透かしたような視線に、フローレンスは明らかに動揺した。


「えっ、別に……」


「まあ、リスカスで成人が未成年者と付き合うことに制限はないけど、一応忠告しておくぜ。未成年者の親が訴えた場合は、有罪になる可能性がある」


「知ってるよ、それくらい」


 フローレンスは決まりの悪そうな顔で視線を逸らした。リスカスの成人は、19歳だ。追い込むようにコーネルが言う。


「それにクロエ・フィゴットの父親、アンドレイ・フィゴットは未成年者保護協会の保護官だ。先は長いぞ。あと3年は下手な真似が出来ない。ハグ……くらいならぎりぎり許されるけど」


 意味深長な言葉に、フローレンスは少し眉根を寄せて彼を睨んだ。


「どこまで知ってるんだよ」


「第二隊の情報網を舐めないでほしいね。隊員たちのあれこれは、逐一ちくいち監視してる」


 コーネルが意地悪く笑った。


「でも、お前の努力も認めるよ。ピアス全部取ってるし。嫌だとでも言われたか?」


 確かに、今のフローレンスは鼻や唇、そして耳にいくつもあったピアスが綺麗さっぱり無くなっているのだった。それだけでだいぶ印象が柔らかくなっている。


「許せるのは耳だけだって。どうせだから全部取ってみた。……でも、こんなんで好かれるなら苦労しねーよ。向こうはたぶん俺のこと、世話焼きな上官としか思ってない」


 フローレンスは打ち沈んだように壁にもたれた。その素直さに、コーネルは意外そうな顔をした。


「へぇ、本気で悩んでるのか。そう思う心当たりでも?」


「前にさ、クロエの意地っ張りなところはカイと一緒で手が焼ける、なんて言っちまったから。つまり俺が、カイを見るような目でクロエを見てるってことになるだろ。墓穴掘った。最悪」


 フローレンスは腕を組んで考え込んだ。


「好きだって言ってもいいなら、いくらでも言えるんだけど」


「けど?」


「今じゃないよな、って。あれからまだ一ヶ月ちょっとしか経ってない。……クロエにとってのオーサン・メイって、特別な存在だったんだよ。じゃなきゃ、いくら医務官だからって同期の遺体の修復には関われないだろ。辛すぎる。でもそれを超えるほど、オーサンは大切な存在だった。俺にだってそれくらい分かる」


「分かっているなら待つしかないじゃないか。こっちはいい大人なんだから」


「そうなんだけど、しんどい……。とりあえず、あの笑顔を見られたから仕事に戻る」


 フローレンスは自分の膝を叩いて気合いを入れ直した。


「あ、ルース副隊長に密告するなよ。色恋沙汰にはめちゃくちゃ首突っ込まれるらしいから」


「犯罪的なことをしない限りは、黙っといてやる」


 そう言って笑い合い、二人は別々の方向に廊下を歩いていった。フローレンスが角を曲がって姿を消した頃、コーネルは不意に立ち止まった。


「……情報収集か?」


 彼が柱の陰に声を掛けると、そこから第二隊のビアンナが姿を現した。彼女も同期だ。


「声を掛けるタイミングを見計らってただけだよ」


「そう。……顔が暗いけど、どうした?」


 コーネルがじっとビアンナの顔を見た。彼女の表情は一見して普段通りだが、コーネルにとっては違うらしい。ビアンナは途端に涙を滲ませ、声を震わせた。


「イーラ隊長、もう目を覚まさないかもしれないって。あと一日持つかどうかっていう状態みたい。それを伝えに来た」


「……そうか」


 コーネルは呟き、励ますようにビアンナの背中を叩いた。新人の頃からずっとイーラの下にいた彼らには、彼女が死に目にぞろぞろと会いに来られるのを望むような人でないことが良く分かっている。知らぬ所で別れが静かにやって来て、淡々と去っていくのをただ待つしかないのだ。


「イーラ隊長ならこう言うはずだ。悲しむ暇があるなら仕事で応えてくれって。ほら、行くぞ」


 自分も微かに涙を光らせながら、コーネルはビアンナを連れて廊下を歩いていった。

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