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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
一章 思惑
22/230

22、比較

「今すぐに決心が付くとは私も思いません。恐らくは、貴女の人生で最も過酷な選択だろうから」


 イプタはそう言って、慈しむような目をセルマに向ける。セルマは差し出された首飾りから、目の前に横たわるカイへ視線を移した。

 今、あのルースという人を見殺しにすれば、カイは私を責めるだろうか。大切な人に恨まれるのは辛い。でも、巫女として何百年も生き続ける苦痛に比べたら、それも些細なことなのか……。


「タユラが貴女を人の営みの中で育たせたのは、運命を変えるためなのでしょう」


 黙り込むセルマに、イプタはそう言った。


「運命を変える……?」


「ええ。この世界の運命を、です。誰も魔力によって虐げられず、悲しむことのない世界。人の心を持つタユラは、そんなゆめまぼろしのようなことを考えた。

 だが、私は冷たく突き放しました。我々はそのような感情を持ってはいけないし、持つ必要もないと。巫女には未来を見る力も変える力もない。ただひたすらに、オルデンの樹の力を制御するという役目を果たすだけなのです。

 貴女はどう思う、セルマ。タユラと同じように、これを虚しい役目だと言うか? 人の心を解さずに千年も生き続けた私は……哀れなんだろうか」


 呟くような言葉の後、イプタの視線は宙に漂った。セルマは彼女の黒曜石の瞳に、迷いと恐れを見た。途方もなく長い年月の間、正しいと信じ続けたことが、彼女の中で揺らいでいる。


「何のために……私は……」


 イプタの手から地面へ、首飾りが滑り落ちた。彼女はふらふらと、樹のうろから外へ出ていった。

 セルマは立ち上がって追い掛けようとするが、握っていたカイの手がほどけずに転びかけた。


「……起きてるのか?」


 見ると、カイはうっすらと目を開けていた。


「やっぱりセルマか……。無事で良かった」


 弱々しい声音でそう呟く。セルマは思わず涙ぐむが、感動の再会も束の間、すぐにオーサンが口を挟んだ。


「悪いが俺もいるぜ。無事で良かった、じゃねーだろ? お前が呑気に寝てる間に、いろいろあったんだぞ」


 そう言って短く息を吐く。呆れたのではない。口に出すのは彼のプライドが許さないが、実は安堵の溜め息だった。


「悪かったよ、感謝してる。それより、ここ、どこだ?」


 少し意識のはっきりしてきたカイは、視線を左右に動かし、自分の隣に倒れているエーゼルに気が付く。


「先輩……。そうだ、俺」


 エイロンに斬られ、川に投げ込まれた。カイは飛び起き、慌てて自分の首を触る。そこに傷は無かった。本当なら、刀傷がぱっくりと口を開けているはずだ。

 そして体を起こした視線の先に、青白い顔で横たわるルースを見付けた。現実味のないその姿に、あの日、棺の中に見た父親の顔が重なる。


「副隊長、まさか……」


「大丈夫だ、生きてる」


 すぐにオーサンが言った。


「何があったか知らんが、全員、キペルの巫女に助けて貰ったんだぜ」


「巫女に? じゃあ、ここって」


 カイは辺りを見回す。広いうろの中を無数に飛び回っていた光る羽虫は、いつの間にか数える程になっていた。彼らはイプタの心に呼応するのかもしれない。


「キペルの巫女、イプタの洞窟だよ。ここはオルデンの樹の中で――」


「副隊長は目を覚ますんだよな?」


 カイは被せるように訊いた。もはや、それ以外のことは取るに足らないようだ。彼は返事も待たずに立ち上がり、ルースの側へ行く。


「副隊長……」


 そう言って何度か肩を揺するが、ルースの閉じられた目蓋はぴくりともしない。

 オーサンはそこでちらりと、セルマを見た。彼女は視線を落とし、唇を結んで、何かに葛藤しているようにも見えた。巫女になるべきか、ならざるべきか、恐らくはそれだ。

 あまり時間はない。彼女を犠牲にしなければルースは助からないということを、カイにどう伝えるべきか――オーサンがそう考えていると、セルマは地面に落ちていた首飾りを拾い上げ、何も言わずにうろの外へ出ていった。

 セルマがオルデンの樹を回り込むと、そこにイプタが立っていた。目を閉じて幹に手を添え、祈っているかのようだ。セルマが近付くと、彼女はすっと目を開いた。


「……役目から解放された巫女はどうなるか、知っていますか」


 そう言って、セルマに顔を向ける。


「跡形も無く消えるのです。骨すら残さず、その魂はオルデンの樹の一部となる。我々は生まれてから死ぬまで、死んでからもなお、この樹に支配されている。自由などない。だがそれを、おかしいと思ったこともない。130年前、タユラに言われるまでは考えたこともなかった。

 ……そう、彼女はそんな顔で私を見ていた。教えてくれませんか、セルマ。なぜ涙を流しているのか。巫女の器として生まれたのならば、その役目を果たすのは当然のことではないのか。なぜ拒否する」


 オルデンの樹が微かに揺れ、枝葉がざわめき始めた。彼女の混乱を表しているかのようだ。


「あなたにも分かるはずです」


 セルマはそう言って、濡れた自分の頬を拭った。


「あなたは自分で言いました。私は永く生き過ぎただけの人間だって。本当は、人の心も理解している。でも、分からないふりをしている。そうしないと――」


「やめろ」


 イプタは顔を歪めて後ずさったが、セルマは更に一歩近付いた。手には首飾りがしっかりと握られている。いつの間にか、光る羽虫が彼女の周りを飛んでいた。


「……タユラ」


 そう呟いたイプタの目は、セルマの顔を透かして、どこか遠くを見ているようだった。


「私を憎んでいるのか。だから、セルマの体を借りてまでこんなことを」


「いいえ。貴女(あなた)を憎む理由など、どこにもない」


 セルマは言った。声も容姿も彼女のままだが、その口から出る言葉はタユラのものだ。


「運命を変えるべきだと言った私を突き放したことを、後悔しているのでしょう。それは間違っていなかった。貴女の言う通り、私は何も変えられなかったのだから。未熟な心で人間に干渉しようとして、その手であやめられるとは」


 セルマは一度言葉を切り、深く息を吐いた。


「私が死んだせいで、数多あまたの犠牲を出してしまった。そしてガベリアは今や死の地。憎まれるのは私の方なのです」


「貴女を殺した人間は……エイロン・ダイスは、なぜ生き残った。タユラ、貴女が助けたのか」


 イプタが語気を強めた。


「彼は今も人を傷付けている。そして一人の人間を殺めかけた。辛うじて命は繋いだが、私やスタミシアの巫女の力では、これ以上何も出来ない」


 声には悲痛な思いが滲む。今のイプタは、どう見ても人の心を解さない巫女ではなかった。


「ええ、私が助けました。残念ながら元の姿は留めていませんが……」


「なぜだ。なぜ自分を殺めた人間を、オルデンの樹の暴走から庇った」


 セルマは目を伏せ、沈黙の後、こう答えた。


「愛していたからです」

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