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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
四章 闇の果て
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78、罪悪感

 フィルにクロエとオーサンの関係性を問われ、カイは数秒考え込んだ。同期として二人の仲が良かったのは間違いない。しかし、想い合っていたかどうかは――。


「それ、異性としてってことだろ? ……分からない」


 難しい顔でカイはそう答えた。記憶にある限り、オーサンと恋愛の話をした覚えはない。それに、カイが鈍感と言われればそれまでだが、クロエとオーサンの間に恋愛めいたものを感じたこともないのだ。

 そしてクロエは過去が足枷あしかせとなって、自分の幸せなど全て後回しにしていたはずだった。父親が反魔力同盟の一員で、9年前のクーデターに関わっていた――16歳の少女には重すぎる足枷だ。クロエがカイに真実を話してお互いに打ち解けたとはいえ、そう簡単に外れるものでもなさそうだった。

 ただ、フィルがそのことを知っているのかどうか分からない。自分がぺらぺら喋っていいことではないと思ったカイは、それ以上の言葉が出てこなかった。


「そうだよな。変なこと聞いてごめん」


 フィルは深くは突っ込まず、また片付けの手を動かし始めた。カイの煩悶はんもんを感じ取ったのかもしれない。少しして、こう言葉を続けた。


「もしそうだとしたらさ、クロエは凄く辛いだろうなと思って。同期として心配になっただけなんだ」


「うん……」


 カイはクローゼットの中にある数少ない服を畳んで木箱に詰めながら、呟いた。もしクロエがオーサンのことを好きだったとして、それを言葉にして伝えた可能性はほとんどないだろうとカイは思う。そんなことをすれば彼女は、自分で自分を許せなくなるはずだ。


「俺も心配はしてる。けど聞けないよな、本人には。聞いたところで何か出来るわけでもないし」


 自分で言ってみて、胸が締め付けられた。一体どんな言葉を掛ければクロエの傷が癒されるというのだろう。オーサンがもういないという事実は、くつがえらないのに。

 途端に、カイの目に涙が溢れた。受け入れた()()()()()()現実。激しく揺さぶられた心はどうしようもなかった。

 ふと視線を向けたフィルは、カイの顎先から床へと落ちていくものに気付いて慌てふためいた。


「ごめん、俺が余計なこと言ったから」


「いや……、大丈夫。もう仕方ないんだよ。悲しいものは悲しいんだから。フィズ隊長が言ったみたいに、今のうちにびーびー喚いておくことにする」


 カイは俯いたまま、そう言葉を発した。


「フィルって、腫れた目蓋、元に戻せるか?」


「え、うん」


「オッケー。じゃあ任せた……」


 そしてカイは力が抜けたようにしゃがみ込み、腕で顔を覆うようにして、そのまましばらく動かなかった。





 夜も深まる21時、隊長や副隊長たちの部屋が並ぶ隊舎二階の廊下を、ミネが歩いていた。制服姿だが白衣は羽織っていない。今日の仕事は終わったのだろう。彼女がこの階に入るのは初めてではないが、その表情は心なしか緊張していた。

 平隊員たちの階は端から端までずらりとドアが並んでいるのが見えるが、ここはドアが廊下から少し奥まった位置にある。それぞれの部屋への出入りが、容易には見えない造りになっているらしい。


(隊長とかになると、私生活も秘密が多くなるんだろうな……)


 ミネはそう思いながら廊下を進んでいく。目的は医長であるレナの部屋、ではなく、ルースの部屋だった。仕事が終わったら来て欲しいと言われていたのだ。

 別に規則に違反しているわけではないのに、ミネは早足になった。誰かに見られるのはなんとなく気まずい。ルースの部屋前にあるスペースに滑り込み、ドアをノックした。すぐにルースが顔を出し、微笑んだ。


「お疲れ様。入って」


「あ、うん」


 微かに動悸を感じながら、ミネは自警団に入ってから初めてその部屋のドアをくぐった。入ってすぐに広い居間があり、その左右にあるドアはそれぞれ寝室とバスルームだろうか。これも平隊員の部屋とは違う。彼らはシャワーもトイレも洗面所も全て共同だ。

 ルースは制服姿のままだった。部屋で寛いでいた感じではない。彼も、ついさっきまで仕事をしていたのかもしれなかった。


「来てくれてありがとう。上着脱いで楽にしたら?」


 居間の壁際にあるソファを手で示して、彼はそう言った。座り心地の良さそうな黒いビロード張りの二人掛けだ。さすが副隊長の部屋、いいものが置いてあるなぁ……と思いながらミネは上着のボタンに手を掛け、ちらりとルースを見た。


「……他意はないよ。何もしないから大丈夫」


 ルースはくすりと笑い、自身の上着をハンガーに掛けて壁のラックに吊るした。考えを見抜かれたミネは、言い訳するようにこう言った。


「だってこんな時間に部屋に呼ばれたら、少しは警戒すると思わない?」


「警戒されるくらいには、僕も男として見られてるんだ」


 ルースが一歩近付いてそう言うと、ミネは分かりやすく目を泳がせ、顔を逸らす。緊張か恥じらいか、彼女の胸は微かに高鳴った。


「良くないよ、そういうの。あなたってすぐに人のことからかうんだから」


「嬉しいっていう意味だよ。僕だけがミネにそんな顔させられるわけだし。……今日は大事な話があって君を呼んだんだ。どうぞ、座って」


 もう一度ソファを勧められ、ミネは彼の顔を見ないままそこに座った。大事な話とは一体何だろう。ルースがいずれガベリア支部へ行くということは噂で聞いているが、そのことだろうか。

 ルースは彼女の隣に腰掛けると、すぐに切り出した。


「僕はいずれ、ガベリア支部が復活したらそっちへ移ろうと思っている。大変だとは思うけど、魔導師として本当の意味でガベリアを甦らせたいんだ。僕の故郷でもあるし。それで、ミネの意見を聞きたくて」


「私の?」


 ミネは思わず顔を上げる。驚きよりも困惑が勝っていた。


「でもそれ、私が口を出せることじゃないよ。キペルとガベリアで離れてしまうのは寂しいけど、私に止める権利なんて――」


「ミネ、そうじゃなくて」


 ルースは彼女の手に触れ、言葉を遮った。


「僕と一緒に来てくれないかな」


「……それは、医務官として?」


 彼は自警団の魔導師としてそれを言っているのか、それとも個人的なものなのか――混乱するミネの目を真っ直ぐに見つめながら、ルースはこう続けた。


「ミネがそうしたいなら。君の大切な仕事を奪うつもりなんてないよ。僕はただ、どんな場所でも君が側にいてほしいと思っただけ。もちろん、ただの恋人という立場で一緒に来て欲しいなんて言うのは無責任だと思っている。でも家族としてなら、十分に責任を果たせるだろ? 僕はこれからもずっとミネと一緒にいたいし、命懸けで守っていきたい。結婚しよう」


 熱のこもったその言葉が耳に届くと、ミネの瞳にはみるみるうちに涙が溢れた。

 目の前にいるのは、クラウスしか見ていなかった自分のことを10年近くも想い続けてくれた人だ。その後ろめたさが拭いきれず、ミネはルースとの関係に線を引いていた。ガベリアが甦ってからおよそ1ヶ月、手すら握っていないのはそのせいだった。

 だから、彼がその線を軽々と越えてきてくれたことに驚き、同時に嬉しかったのだ。ミネは頷き、震える声で答えた。


「はい」


「……良かった。嫌だから泣いたのかと思った」


 ルースは弾けるような笑顔を見せ、ミネを抱き締めた。


「最近ずっと、ミネに避けられてるような気がしててさ。僕が忙しかったのもあるけど、こんなふうに抱き締められないのは結構苦痛だった」


「ごめんね。何だか後ろめたくて……」


 ミネはルースの肩に頭を預け、小さく言った。


「誰に対して? クラウス?」


「あなたに。だって、本音を言えるようになるまで10年も待たせたのに、それでも愛してるって言ってくれるから。私に同じことが出来るかって言われたら、分からないもん」


「出来るよ。この先10年、僕のことを愛してくれればいい。簡単だろ?」


「そうだね」


 ミネは笑った。本当に簡単なことだ。10年と言わず、20年でも30年でも、きっと彼のことを愛せるに違いない。


「……ところで、ミネって明日は非番?」


 少しだけ低くなったルースの声の調子に、ミネはその先を想像してどきりとした。


「そうだけど、なんで?」


「前言撤回しようと思って」


「……どの部分?」


「何もしないって言ったこと。あくまでもミネが良ければ、だけどね」


 数秒、無言の時間が流れた。それから蚊の鳴くような声で、ミネは呟いた。いいよ、と。もう十代の子供ではないし、それが何を意味するかも分かっている。

 ルースは腕をほどき、ミネの顔を覗いた。彼の頬は微かに赤かったが、それはミネも同じだった。


「そんなに緊張しないで」


 指先で優しくミネの頬に触れ、ルースは微笑んだ。


「色々と初めてなのは、お互い様なんだから」


「お互い様って……、ふふ。雰囲気が台無しだね」


 ミネは思わず笑ってしまった。おかげで、緊張がふっと解けたようだった。


「そう? ミネが笑ってくれたら、僕はそんなの気にしないけどね」


 ルースの手が不意にミネの後頭部に回り、髪をまとめていたリボンを外した。はらりとほどけた赤毛が彼女の肩にかかる。ルースはその髪を指先に絡めて、小さく息を吐いた。


「この綺麗な髪も、ミネの笑顔も、優しい声も、全部好き」


「すごい殺し文句……」


 ミネは顔を真っ赤にしながらも、視線は逸らさなかった。自分を見つめるルースの目がとても幸せそうだったからだ。


「でも、私もね、ルースの笑った顔が好きだよ。その声とか、優しいところとか、手が綺麗なところも好き。あとは……」


「一言でいいよ。愛してるって言って」


 ミネの頭を両手で軽く支えながら、ルースが言った。それを言えばどうなるかは、ここまでくればもう分かる。それでもミネの口は勝手に動いた。


「愛してる」


「僕も」


 重なった唇がそれ以上の言葉を塞き止める。誰も知ることのない幸せな夜が、ミネの心にほんの少し残った後ろめたさを全て溶かすように、静かに更けていった。

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