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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
四章 闇の果て
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75、褒め言葉

「……仕方ない」


 鏡を見ながらカイが呟いた。濃緑の従者の服はともかく、撫で付けた七三分けの髪型は自分には壊滅的に似合わないと思う。しかし、今はそんなことを言っている場合ではない。階下ではデマン家に押し掛けた無神経な訪問者たちが、レンダーとセオを悩ませているところだ。

 カイは部屋を出てすぐに玄関へ向かった。玄関前の広間にはざっと10人くらいの客がいる。一人で来たらいいものを、それぞれが夫婦揃って訪ねてきたらしい。セオもレンダーも、驚きや焦りは顔に出さず冷静に彼らに対応していた。そして他にも、執事の格好をした青年と従者の格好をした少年が客を案内していた。


(カレンさんと、フィル……!?)


 予想外の事態に面食らったカイだが、今は力強い助っ人だ。彼も急いで仲間に加わり、続々とやってくる客人たちを何とかさばききったのだった。

 偽の使用人、もとい魔導師たちは、使用人の休憩室に集まってぐったりと椅子にもたれていた。


「一体何人来たんだ? 俺、途中から数えてないぞ……」


 カイが言うと、フィルがげんなりした顔で答えた。


「全部で25人。たぶん全員、昼飯まで食っていくつもりだぜ。しかも何なんだあのご夫人方は……」


 男性客は会議室でデマンの主人から説明を受け、彼らのご夫人方はティールームで噂話に花を咲かせていた。カイとフィル、そしてセオの三人でティールームの給仕を担当したが、そこでのフィルの人気といったらなかった。あちこちの席に呼ばれ、私の従者にならないかとスカウトまでされていたのだ。カイは無愛想に、その場で空気と化していた。


「愛想良くしすぎるから絡まれるんじゃないか?」


「あのな、従者はその屋敷の顔でもあるんだぞ。失礼を働いてデマン家の悪評が流れたらどうする」


 もっともなことを言われて、カイは黙るしかなかった。カレンがふっと笑い、こう言った。


「何にせよ昼の給仕が終わるまで帰れないな、僕たち。まあ、エスカ隊長は夜まで帰って来ないと読んでいるみたいだけど」


「二人とも、エスカ隊長の指示で来たんですか?」


「そりゃあね。流石は隊長、号外が出たらデマン家がこうなることは予想していたみたいだ。人使いは荒いが、先を読む力は尊敬するよ」


「そういえばカレンさん、いつの間にアルノ・ワース氏と仲直りしたんですか?」


 フィルが尋ねる。確かにそれはカイも気になっていたことだ。カレンの正体を知ってショックを受けていたアルノだが、それでも彼は縁を切ることは望んでいなかった。カレンは微笑み、こう言った。


「パーティーの一週間後くらいかな。彼をスタミシアの家まで送って行く間に、馬車の中で色々話をしたのさ。僕は魔導師でも執事でもなく、人としてアルノ坊っちゃんの友達でいたいんだとね」


「そんなに深く関わっていいものなんですか? だって、潜入先の相手じゃないですか」


 カイが疑問を口にした。第二隊なら尚更、線引きが大切なのではないかと思ったのだ。ベロニカとの間にさえ一線を引いていたのだから……ということは考えないようにした。彼女は失恋のおかげでカレンデュラという花が大嫌いと言っただけで、カレンとは明言していない。とはいえ、ほぼ間違いないとカイは思っていた。カレンの本名はカレンデュラである。


「僕も人間だから、誰かに心を動かされることだってあるよ。第二隊員としては良くないことだし、エスカ隊長にも説教されたけど」


 カレンは苦笑しつつ、こう続けた。


「アルノ坊っちゃんはワース家の三男坊で、魔力も持たないけど、上二人はどちらも魔力があって優秀なんだ。親から期待されているのはその長男と次男だけで、家庭内での扱いの差も歴然だった。坊っちゃんは3年前、僕がワース家に潜入し始めた頃に暗い顔でこう言っていたよ。僕が自由に振る舞えるのは、何も期待されていない証拠なんだ、って。

 そんな空っぽな目で見られると、僕としても放っておけなくてさ。出来るだけ話し掛けるようにしていたら、いつの間にか仲良くなっていた。坊っちゃんは確かに少し抜けているところもあるけど、努力家だし、君たちも知っての通り勇敢な人だよ。何より、一緒にいると楽しい。友達でいたいと思うには十分な理由だろ?」


 彼はそう言って、何の気取りもない素直な笑みを見せた。第二隊員たちが普段見せている魅惑的な笑みと、本心からの笑みはやっぱり違うんだなとカイは思う。どちらがどきりとするかと言えば、後者だ。もしかしたらベロニカも、この笑顔を見たことがあったのかもしれない。


「まあ、仲直り出来たならそれで良かったです」


 カイも笑いながら、カレンに後でこっそりベロニカのことを聞いてみようと思っていた。この人が任務のためにベロニカを利用したとは、どうしても思えないのだ。それに、ベロニカの方もまだ未練があるような雰囲気だった。

 人の色恋沙汰に首を突っ込みたがる悪い上官の気持ちが、カイは少し分かったような気がした。





 イーラが眠るベッドの側に、レナが座っていた。彼女はあの号外を広げ、淡々と内容を読み上げている。途中、視線をイーラに向けて確認した。


「起きてるか?」


「……大丈夫だ、聞いている。続けてくれ」


 目を閉じたままイーラが答えた。以前より痩せたその頬や力の無い声に、レナは胸が締め付けられる。恐らくもう彼女の命は長くない。イーラ自身が1ヶ月程度と言っていたように、その時期が近付いているのだ。


「分かった。あと少しだ」


 レナは小さく唇を噛んでから、内容の続きを読み上げた。気が滅入るような真実だ。それでも彼女は、イーラの意識がある内に明らかになって良かったのかもしれないと思う。元隊長として心残りのあるまま旅立たれては、寝覚めが悪い。

 レナが読み終えると、イーラは目を開き、ゆっくりと彼女に顔を向けた。


「ありがとう、レナ。私はリスカスが激動する時に、ぎりぎり生きていることが出来たな。これで思い残すこともない」


 そう言って、微笑んだ。レナはしかめ面で返した。


「馬鹿が。そっちにはなくてもこっちには心残りのある奴がいるんだ。病室の外にエスカが来ている。会わないのか?」


「私が部下にこんな死にかけの姿を見せたいと思うか。帰らせろ」


 イーラはそう言ったが、表情は穏やかだった。レナには分かるのだ。ああ見えて心の弱いエスカに、最後の言葉くらいは伝えてやりたいのだと。


「会うんだな、呼ぶぞ」


「その前に、少し見た目を整えてくれると助かる。私は、お前が洒落込むのに何回も手を貸したつもりだけどな」


 イーラが笑い、レナは苦笑した。


「じゃあ、これで貸し借りゼロだ。目を閉じてろ」


 そう言って、レナは指先でイーラの目蓋に触れた。くすみが取れて少し健康的に見える。次に頬と唇の血色を良くし、髪に櫛を通して、病衣を整えた。それから少し枕を高くして、相手の顔を見やすいようにしてやった。


「……まあまあだな。呼ぶぞ。私は廊下にいるから」


「ああ、頼む」


 レナは廊下に出て、そこに佇んでいたエスカに声を掛けた。


「会うらしい。あいつに聞きたいことは今の内に聞いておけ。やたらと素直だから」


「それは貴重ですね。では」


 エスカは余裕の微笑みを見せて、病室に入った。



 弱り切った姿を覚悟して来てはみたが、イーラには思ったよりも生気があった。エスカは少しほっとしていた。


「お久しぶりですね。面会拒否なんて、そんなに俺の顔が見たくなかったんですか?」


 そう冗談を言って、椅子に腰掛ける。


「もう見飽きるくらいに見てきたからな。……号外、読んでもらったよ。ようやく一段落というところか。自警団は大丈夫か?」


 イーラは真面目な顔で尋ねた。やはり、元隊長としてそこは気になるところだった。


「ええ。今はウェイン団長もいるし、俺だって優秀ですから。イーラ隊長がいなくてもなんとか回ってますよ。ご心配なく」


「相変わらず腹の立つ部下だ、お前は」


 そう言って、イーラは少し笑った。


「ナンネルも、元気か?」


「はい。お腹の子供も順調に育っているみたいです」


 他人には滅多に見せない幸せそうな顔で、エスカは答えた。


「何よりだ。お前はいい父親になれる。色々文句は言いつつも、逃げなかったからな。いい報告が聞けて良かった」


「褒めないで下さい。叱られるより怖いんですから」


 笑って細められたエスカの瞳が、微かに揺れていた。


「トップに立つと誰も褒めてくれなくなるぞ。賛辞は大人しく受け取っておけ」


 イーラの視線が、彼の上着にある隊長の襟章に向いた。


「お前にはこれから、部下を育てる苦労を味わってもらわないと。そうすればお前に振り回された私の苦労も分かるはずだ」


「俺くらい生意気な部下は、今のところ第二隊にはいないですよ。まあ、別隊にカイ・ロートリアンって奴がいますけど。……これでも俺、イーラ隊長に感謝してます。第二隊に引き抜いて貰えて良かった。あなたの下で魔導師をやっていられたことは、俺の誇りです」


 イーラはまじまじとエスカの目を見て、言った。


「お前から感謝の念を感じたことは一度もないけどな」


「えっ」


「冗談だ。ガベリアへ向かってからセレスタ・ガイルスが捕らえられるまで、お前は本当に良くやってくれたと思っている。それだけで十分だよ。安心して私の後を任せられる。自信を持って第二隊長と名乗ればいい」


 イーラの中では最上級の褒め言葉だった。エスカの目はもう、明らかに赤くなっていた。


「泣いても構わないぞ。秘密は私が墓場まで持っていってやる」


「まさか……」


 俯いたエスカの目から涙が溢れ落ちた。それは一つ、二つと止まることなく、膝の上に染みを作っていった。


「それでいい。素直さは、いつか死ぬその瞬間まで残しておくべきだと私は思うな」


 その言葉に、エスカは涙に濡れた顔を上げた。そして、イーラの目にも光るものを見た。


「エスカ……いや、ユージーン・セルジュ・クスティ・オーガストか。最後に一言だけ贈る。お前なら大丈夫だ」


 本名を覚えていてくれたこと、そして、最も欲しかった言葉をくれたこと。エスカが涙を止めるには、それで十分だった。


「さすが、イーラ隊長。最後まで完璧です」


 二人は顔を見合わせ、すぐそこまで来ている別れが悲しいものにならないように、心から笑ってみせたのだった。

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