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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
四章 闇の果て
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74、号外

 沈む心を励ましてくれるような快晴の朝だった。ブロルとルースにとっては、これで三度目になるエイロンとの別れの時間だ。洞窟で彼が亡くなった時、獄所台へと見送った時、そして今、彼の骨を埋葬するこの瞬間。

 自警団本部の裏手にある墓地には、彼らの他に十数名の隊員たちが集まっている。ひっそりとしたその墓地は、本人がそこに埋葬されることを望んだり、身寄りがなかったりした歴代の隊員たちが眠る場所だった。

 木箱に納められたエイロン・ダイスの骨は、彼を愛する家族と、彼の教え子たちに見守られながら静かに土の中に眠った。墓石に刻まれた『気高き人、尊き我らの師』という碑文と共に――。



 日々は静かに流れていく。そしてガベリアが甦ってから一ヶ月が経ったその日、リスカスの国民は唐突にその事実を知ることとなった。


『前近衛団長セレスタ・ガイルスに死刑執行』


 朝から街中で配られるだけでなく、各家庭にまで投げ入れられた号外には衝撃的な見出しがおどった。誰もが足を止め、動きを止め、その内容に見入ってしばらく言葉も出せなかった。

 同時刻、デマン家の門へと駆け込む人物がいた。カイだ。彼は乱れた呼吸のまま玄関の呼び鈴を鳴らす。扉を開けたのは、レンダーだった。


「カイ……。どうしたんだい? そんなに息を切らせて」


 彼の少しかすれた声と赤い目を見て、カイはすぐに悟る。彼は既に号外を読んだのだ、と。


「ミスター・レンダー、あの……」


「私はそんなにひどい顔をしているかい? 執事失格だね」


 レンダーは悲しげに微笑み、カイを中へ入れて扉を閉めた。


「君が来たのは、今朝の号外のことかな」


「はい。デマン家の皆さんのことが心配になって……」


 実は、自警団には昨日の内に先立って号外が届けられていた。全員が記事に目を通していたし、隊員たちは市民に何か聞かれれば答えられるようにはしてある。カイは言いにくそうに続けた。


「ミスター・レンダーの……奥様の名前も載っていたので」


 号外にはセレスタが犯した全ての罪の内容が記されていた。そして、彼の被害者として数人の実名が挙げられていた。その内の一人がレンダーの妻チェルスだったのだ。

 仲間のために行動したチェルスは、その正義感故にセレスタの毒牙にかかり、口封じのために悪夢の渦中に投げ入れられた。レンダーが知るには余りにも残酷な真実だ。それがどれほどの衝撃だったかは、彼の憔悴した顔を見れば想像が付く。


「君は優しいね。でも、私は大丈夫。確かに妻の名前が載っていたことには動揺したし、少しも辛くないと言えば嘘になるけど。あの記事によって妻をけなされたわけではないし、仲間を助けるために行動していたなんて、むしろ彼女らしいとも思えた。……そうだな。チェルスは、君みたいに真っ直ぐな人だったよ。カイ」


 レンダーの頬に一筋、光るものがあった。ただ、その表情に苦痛は浮かんでいなかった。


「私は今でも心から妻を愛している。それだけで、この世界を生きていく理由になると思わないかい? 私が生きていれば、私の中で彼女も生きている。自己満足かもしれないけど、それでいいんだ。私がそうしたいからね」


「俺も、そう思います」


 そう答えたカイは、少し涙目になっていた。セルマの言葉を思い出していたのだ。


 ――でも、心はカイと一緒に生きていく。私がそうしたいから。


「自己満足だとしても、もういない大切な人たちのために、精一杯生きて色んな景色を見てやろうと思っています」


 レンダーは優しく笑い、頷いた。


「君には周りを変えていく力がある。きっといつか、今まで誰も見たことがないような景色を見ることが出来るよ。とりあえず今は……フローシュお嬢様の側にいてあげて欲しい。お部屋にいらっしゃるから。号外を読んで、少し気分が悪くなられたようだ」


 カイははっとした。あの気丈なフローシュの具合が悪くなるのだから、相当な衝撃だったのだろう。元婚約者の父親が死刑……現代のリスカスでそんな経験をしたのは、恐らく彼女だけだ。


「俺、フローシュの部屋に行っても大丈夫ですか?」


「もちろん。ご主人様には私から伝えておくよ」


「ありがとうございます!」


 カイは階段を駆け上がり、フローシュの部屋へと走った。控え目にドアをノックしてみると、フローシュではなく世話役のアンナがドアを開けた。


「まあ、カイさん……。お嬢様は眠っておられますが」


 小声で言って部屋の中を振り返るが、カイを追い払うつもりはないらしい。そのままドアを大きく開いて彼を迎え入れた。奥のベッドには、静かな寝息を立てるフローシュの姿が見える。


「きっといらっしゃると思っていましたよ。私は隣の部屋におりますから、何かあればお呼び付け下さい」


 そう言って、アンナは静かに部屋を出ていった。少し前までカイのことを警戒していたのに、ずいぶんな変わりようだ。カイが無事に彼女の信頼を得たのか、それともフローシュが何か言ったせいなのかは分からない。

 カイは外套を脱いでベッドの側に寄り、フローシュの顔を見下ろした。それほど顔色は悪くないし、表情も穏やかだ。少しだけほっとした。

 額にはらりと掛かっている髪をけてあげようと手を伸ばしたところで、フローシュがぱちりと目を開けた。


「……あなたに起こして貰えるなんて、素敵な目覚めだわ」


 そう言って微笑み、体を起こそうとする。カイがすかさず手を貸した。


「具合、大丈夫なのか?」


「ええ、ほんの少し目眩がしただけだもの。でも私、ファルンのお父様が死刑になったことに動揺したのではなくってよ」


 フローシュはベッドサイドに足を下ろし、自分の隣をぽんと手で叩いた。ここに座れということだろう。カイが遠慮がちに腰掛けると、フローシュはその肩に頭をもたせかけ、カイの腕を握った。


「……」


 カイはどぎまぎしながらも、何も言わずにそのままでいた。フローシュの手が小さく震えていたからだ。


「今まで散々、悪逆非道なことをなさってきた方だもの。死刑になって当然と思うわ。私はただ……レンダーのことと、あなたのことを思って苦しくなったの」


「俺のこと?」


「ええ。だって、セレスタ・ガイルスがクーデターを起こした理由が……『好奇心』だなんて。あなたのお父様が死ななければならなかった理由がそれだとしたら、あまりにも……」


 フローシュは声を震わせ、その先は言葉にならなかった。代わりに小さな嗚咽を漏らす彼女の肩を、カイはそっと抱き寄せて言った。


「ありがとう、フローシュ。俺のことまで気遣ってくれて」


 彼女が言ったことは確かに、号外を読んだときにカイも思ったことだ。あまりにも……虚しい。それでも、フローシュを泣かせるほど落ち込んだわけではない。


「泣かなくていいよ。真実を知ったところで、傷付いたりはしてないから。ただ受け止めただけだ。それ以上でもそれ以下でもない」


「辛くはないの?」


「うん。どっちかって言うと、フローシュが泣いていることの方が辛いな」


 カイが笑うと、フローシュはぱっと体を離して目元を拭った。


「大丈夫、泣いてはいないわ。ほら」


「目、真っ赤だけど」


「……そういうことは正直に言うものではないのよ、カイ」


 フローシュが唇を尖らせる。


「ミスター・レンダーなら『では、私の気のせいですね』と流して下さるところなのに」


「そりゃ、彼は大人だし、礼儀もわきまえてるだろうさ」


 顔を逸らしたカイの言葉には、ふて腐れた響きがあった。実際、彼女が他の男性を褒めることに少し引っ掛かったのだ。レンダーが自分では到底敵わない紳士だと知っている分、余計に。


「もしかして、いてらっしゃるの?」


 図星を指され、カイは眉間に皺を寄せて彼女を見返した。


「まさか」


「またそんな顔なさって。でも、意外だわ。アンナでさえ認めるくらいの立派な魔導師さんも、やきもちを焼くのね」


「アンナさんが? そういえば、俺への態度がずいぶん丸くなってたけど」


「それはそうよ。あの号外を読めば、カイがどんなに恐ろしい人から私を守って下さったのか分かるもの。本当に……お母様なんて、見出しの文字をご覧になっただけで卒倒なさったのよ。お父様も腰が抜けてしまったし。冷静なのはお兄様とセオだけだったわ」


 フローシュの兄、ユーゴが冷静だったのは何となく分かる。彼は聡明で、元々、ファルンの本性も見抜いていたくらいだ。


「セオも?」


「ええ。そもそもしっかりしている子だけれど、デイジーが来てから更にしっかりしたみたい。セオは時間があれば妹の面倒を見てあげて、とてもいいお兄様なのよ。デイジーは乳母の言うことはあまり聞かないのに、お兄様の言い付けはきっちり守るのだから、見ていて面白いわ」


 その光景が簡単に想像出来て、思わずカイの頬は弛むのだった。


「ふふ。大切な存在が側にいるって、とても幸せなことなんだと思うの。ね?」


 フローシュの淡いブラウンの瞳が、カイの目を覗き込む。カイの鼓動が小さく跳ねた。


「……そうだな」


「まあ、顔が赤い」


 そう言ったフローシュの方が、照れたように俯いてしまった。


「カイがこんなに素直になって下さるなんて、出会った頃は考えもしなかった。私、こうやってあなたの色々な顔が見られて嬉しいわ。あのね、カイ……」


 彼女は黙り込み、膝の上でそわそわと指先を動かした。


「ん?」


「ずっと、あなたに伝えたい言葉があったの。まだ一度も言えていない言葉。いつでも思っているのだけれど、口には……、あっ、こんなことを言うのは決してロマンス小説を読んだからではないのよ?」


 慌てて顔を上げ弁明する彼女を見て、カイは思わず笑った。実はベッドの枕の下に、ロマンス小説であろう本の表紙が覗いていることには気付いていたのだ。だが、ここで知らない振りをするのが紳士なのだろう。カイは何も言わず、頷いて先を促した。


「ちゃんと、子供扱いしないで聞いて下さる?」


 フローシュが少し涙目になって、不安そうに尋ねた。カイの鼓動がまたも跳ね上がる。いつも思っていて、けれど口にはしていない言葉――そんなものは分かっていた。カイだって、いつかはっきり言おうと思っていたのだ。


「そんな顔するなよ。俺も人を子供扱い出来るほど大人じゃない」


 そう言って、フローシュの手を握った。


「だからさ、君の言葉を横取りしても怒らないでくれ。あ――」


「愛してる」


 フローシュがカイの言葉を遮った。目を潤ませたままの、嬉しそうな笑顔だった。


「言わせないわよ。あなたを好きになったのは、私が先なのだから」


「……ロマンス小説だったら、ちゃんと俺に言わせるところだぞ」


 カイも笑った。もう、どちらが先に言ったかなんてどうでもいい。お互いにこうして想い合っていけるのなら。


「あら、昨今のロマンス小説は心に闇を抱えた登場人物が、愛を告白されて救われる場合が多いのよ?」


「俺が闇を抱えてるってか」


「そうではなくって? 私くらいの度量がなければ、あなたのお相手にはならないと思うわ。それにね、私のお相手もあなたしかいらっしゃらないと思うの。元婚約者は獄所台送りで、その父親は死刑になった女なんて、不吉すぎて誰も近寄らないわ」


 重い言葉をさらりと言って、フローシュは笑うのだった。実際、そうなるのだろう。本当に大変なのはこれからだ。批判されることはなくても、あちこちでフローシュが人の噂になるのは避けられない。


「フローシュのことは俺が守る。いや、格好つけてるわけじゃなくて、本当に」


「またしばらく、カイには戦友になってもらわなくてはね。……あら、さっそく戦いが始まるかもしれなくてよ」


 窓の外から、馬車の軋む音が聞こえてくる。一台ではなさそうだ。二人は急いで立ち上がり、窓の外を覗いた。馬車が三台連なって、門を入ってくるところだった。


「あちらはギーズリー、あちらはフランズ……デマン商会と関わりのあるお家の方ね。ほら、馬車に紋章が。号外を読んで、急いでいらっしゃったのよ」


 フローシュが顔をしかめて言った。


「何のために?」


「お父様を気遣って、という表向きの理由で、野次馬しに来たのね。本当に気遣うなら、昨日の今日で押し掛けたりしないわ。お客様をお世話するのはレンダーとセオしかいないのに、あんなに来られては……ああ、またいらっしゃった!」


 門の外から次々とやってくる馬車を見て、フローシュが悲鳴のような声を上げる。いつものレンダーなら何とか客をさばけるのだろうが、あの憔悴した彼にそれをやらせるのは酷だ。そこで、カイは考えた。


「俺も手伝うよ。今日だけ、また従者に戻る」

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