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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
四章 闇の果て
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73、由来

 夕刻、セオとデイジーをデマン家に送り届けたカイは本部に帰還していた。肩の雪を払いながら玄関扉の前に立った時、背後で馬の蹄の音を聞く。振り返ると馬車が一台、そこに停まっていた。


「あ……」


 カイは気付いた。キャビンのドアにある印は近衛団のものだ。そこがゆっくりと開き、まず降りてきたのはエディトだった。


「エディト団長。何かあったんですか?」


 カイは思わず駆け寄って尋ねた。通常の連絡ならナシルンを使えばいいわけで、わざわざ本部まで足を運ぶ必要はないからだ。


「ええ。……ちょうどいいですね、カイ。団長の所まで案内してもらえますか?」


 エディトは微笑んでそう言うと、馬車を振り返ってレンドルの名を呼んだ。彼はキャビンの中から腕を伸ばし、エディトに何かを手渡した。臙脂色の布に包まれた箱のようなものだ。エディトは大切なものを扱うように、それをしっかりと腕に抱く。それからレンドルもキャビンを降り、馬車は静かに去っていった。


「あの……」


 それは何ですかと尋ねようとして、カイは言葉を飲み込んだ。紺色に沈んでいく空と無機質な外灯が見せた幻覚だろうか。エディトの目に、何か光っていたような気がしたからだ。


「……こちらです、どうぞ」


 カイは二人を本部の中へ案内した。広間にいる隊員はまばらだった。状況が落ち着いているときはいつもこんなものだが、本当に平穏なのかどうかカイにはまだ分からない。隊員の誰かも言っていたが、嵐の前の静けさなのではないかとも思える。隊員たちはエディトの姿を見ると、やや緊張の面持ちで会釈して通り過ぎていった。

 エディトもレンドルも無言だから、先頭を歩くカイも自ずと緊張していた。そのまま階段を4階まで登り、廊下の奥にある団長室の前に着く。


「ここが団長室です。あの、俺はこれで……」


 そう言って、カイは逃げるようにその場を去った。エディトに色々聞きたいこともあったのだが、さっきのはとても質問出来るような雰囲気ではない。


(何なんだろう、あの箱……)


 考えながら2階の階段を降りていると、ブロルがちょうどその階段を駆け上がって来るところだった。


「あっ、カイ!」


 彼の顔は喜びで輝いているようだった。カイは怪訝な顔で尋ねた。


「どうしたんだよ、そんなに走って」


「今、呼ばれたんだ。団長室に。帰ってきたんだって!」


「誰が?」


「エイロンだよ! 骨になっちゃってるけど、でも、帰ってきたんだ」


 ブロルは目にじわりと涙を浮かべてカイの手を握った。


「君たちが頑張ってくれたおかげだね。本当にありがとう。行ってくる!」


 そう言うと、また全速力で階段を駆け上がっていった。



「デイジー、デイジー、私のいとしい子……」


 カイは第一隊の、普段はあまり使われない部屋にいた。明かりも点けないまま、暖炉の前に膝を着いて炉床に燃料を放り込み、無意識にセオが歌っていた子守唄を口ずさむ。帰りの馬車の中でデイジーが何度もねだり、その度にセオが歌っていたから覚えてしまったのだ。

 魔術で火を入れると、すぐに柔らかな光が部屋を照らした。カイは揺れる炎を眺めながら、このまま何も考えずにぼんやりしていたい気分だった。

 エイロンの遺骨が戻ってきたということは、獄所台で彼の審判が終わったということだ。恐らくセレスタ・ガイルスにも判決が下されているはずだった。

 ベイジルの死の原因となったクーデター。セレスタは何故それを起こそうとしたのか――知ったところで何もないということを、カイはもう分かっていた。理由を知ってセレスタを恨み続けたいわけではないし、ベイジルが帰ってくるわけでもない。感情の遣り場は無く、きっと虚しいだけなのだろうと。

 カイはまた、子守唄を最初から口ずさむ。不意に人の気配を感じて部屋の入口を見ると、そこにルースが立っていた。


「その子守唄、よく知ってるね」


 彼は側へ来て、カイと同じように暖炉の前に屈む。美しいその横顔に影が揺れ、カイはふと、あの深夜の巡回を思い出した。セルマと初めて会った日のことだ。ルースの横顔を見ながら、この人は何を考えているのだろうと思っていた。今も何を考えているかなんて分からないが、あの時よりは親しみを感じることが出来る。


「セオがデイジーに歌ってあげていたんです。母親がよく歌ってくれたって。副隊長も知ってるんですか?」


「うん。僕も母によく歌ってもらった。たぶん、ガベリアに伝わる子守唄なんだと思う」


「じゃあセオのお母さん、ガベリア出身だったのかもしれません。あの……副隊長、もう聞きましたか? さっき俺、玄関でちょうどエディト団長たちに会って……」


 カイが口ごもると、ルースは彼に顔を向けた。


「エイロン……のことなら聞いてるよ。遺骨はブロルに返して貰えるって、事前に連絡が来ていたから。僕の顔、ひどいか?」


 質問を返されて、カイはまじまじと彼の顔を見る。確かに少しだけ目元が赤いような気もした。エイロンは彼の恩師でもある。骨となって帰ってきたことに何も思わないはずはないし、本当ならダイス教官と呼びたいはずだった。


「ちょっとだけ……」


 カイは見てはいけないものを見たような気がして、顔を逸らした。ふっとルースが笑ったようだった。


「お前は正直で助かる。スタミシア支部に行ってしまうのは、寂しいね」


「まだ時間は掛かりますよ。副隊長も、ガベリア支部が復活したらそっちに行っちゃうんですよね」


 カイは床に腰を落ち着けてそう言った。ルースとじっくり話せる機会もなかなか無いから、今のうちに話をしておきたかったのだ。ルースもそれを感じたのか、同じように床に腰を下ろした。


「そうだな。僕の故郷だし、人が住んで生活出来るようにならないと本当の意味で甦ったとは言えないから。大変だろうけど、やってみせるよ」


「本当の意味で甦る……」


 カイは呟いた。


「確かに。セルマはガベリアを甦らせてくれたけど、そこから先は俺たちの仕事ですもんね」


「意外だな。カイの口からセルマの名前が出てくるなんて」


 ルースがそう言ったので、カイは思わず彼に顔を向けた。


「え?」


「セルマの話をするとお前が辛いんじゃないかと思って、僕は避けていたんだけど」


「あー……、辛くないとは言えないですけど」


 カイは少しだけ眉間に皺を寄せたが、すぐに表情を和らげた。


「大丈夫です。セルマの名前もオーサンの名前も出してもらって。俺は二人が生きて、ちゃんとこの世界に存在していたことを忘れたくないですから。心は一緒に生きていくってセルマと約束したし、オーサンには胸張って生きてやるって言ったし。魔導師として、やりきらないといけないなって思います。とりあえず、俺の目標はルース副隊長みたいになることです」


「え、僕?」


 一瞬驚いてから、ルースは笑った。


「手本としてはあんまり良くないと思うけど。結構ひどい上官だろ?」


「そんなことないです。父さんとの約束、守ってくれたじゃないですか。俺が魔導師になったら面倒見てほしいって頼まれてたんですよね。母さんに聞きました」


「当たり前のことをしただけだよ。あの時ベイジルさんに助けられてなかったら、僕は魔導師を辞めていたかもしれないんだから」


 ルースは少し恥ずかしそうに俯いたが、カイはこの機会を逃すまいと突っ込んで尋ねた。


「副隊長。昔、父さんと何があったのか聞いてもいいですか? 前から気になってたんです。新人だった副隊長と、近衛団の父さんがどこで出会ったのかとか」


「……他の人に言わないって約束出来るか?」


「もちろんです」


 カイが大真面目に頷くので、ルースは仕方なく、恥を忍んで話し出した。


「自警団に入ったばかりの頃、飯をおごってやるっていう知らない上官にのこのこ着いていって、バル街の裏路地で襲われかけたんだ。相手は体格のいい男だったし、僕も新人だったから抵抗出来なくてね。そこを通りがかったベイジルさんが助けてくれたんだよ」


 カイがぎょっとした顔になった。新人の頃のルースはさぞや美少年だったに違いない。『襲われる』が、殴る蹴るとかの単純な意味ではないことを察したのだ。


「人生で一番怖い思いをしたかもしれない。だから、ベイジルさんには本当に感謝してる。彼はその後バルに連れていってくれて、僕にハニー・シュープスを奢ってくれたんだ。落ち着けるようにって。あの時のほっとした気持ちは、今でも覚えてる」


 ルースは優しく笑った。


「そこで色々と話をして、カイがもし魔導師になったら、その時は頼むってお願いされた。真っ直ぐすぎて周りに敵を作るのが目に見えているから、心配だって。図星だろ?」


「父さん、そんなことを……」


 少しだけむっとしたが、カイは嬉しかった。自分が知らなかった父の姿を知ることが出来たからだ。頭にはベイジルの優しい笑顔が浮かぶ。きっと、ルースのこともそんな顔で見ていたに違いない。


「ベイジルさんは本当にカイのことを大切に思っていたよ。もう十分、分かってると思うけどね。……これはバルのマスターに聞いた話なんだけどさ。カイの名前の由来、知ってる? ベイジルさんが彼に話したことがあるんだって」


 ルースが微笑むと、カイは目をしばたいた。


「由来なんてあるんですか? カイなんて、リスカスのどこにでもある平凡な名前だと思いますけど。呼びやすくてこの顔にしっくりくるから付けた、って母さんは言ってましたよ」


「ベイジルさんは、名前の由来を家族には秘密にしていたらしいよ。期待を込めすぎているようで気恥ずかしいし、カイの負担になっても嫌だからって」


 そんなふうに言われると気になってしまう。カイはじっとルースの目を見て、次の言葉を待った。


「カイは、古代スタミシア語で『光芒こうぼう』という意味だ」


「光芒……?」


 あまり聞き慣れない言葉に、カイは首を傾げた。


「曇り空の時に、雲の隙間から地上に光の線が伸びていることがあるだろう? それのことだよ」


「それって『天使の梯子はしご』って言われているやつですよね。……俺の名前、それなんですか?」


 幻想的で美しい光景だとは思う。しかし、それが期待を込めた名前とはどういうことなのだろうか。怪訝な顔をするカイに、ルースは言った。


「困難に覆われた時、そこに射す一筋の光のように、この世界の希望であってほしい。そういう願いを込めたらしいよ」


「……重すぎません?」


 カイは複雑な表情になる。思っていたよりも壮大な願いだ。父さんて意外とロマンチストだったのか……と軽く衝撃も受けていた。

 その反応に、ルースは思わず吹き出した。


「ほら、やっぱりそうなるだろう。だからベイジルさんも秘密にしていたんじゃないかな。……でも、重すぎるなんてことはないよ。自警団にカイが入ってくれたことは、僕にとって光芒が射したようだったから。お前には何度も助けられた。ちゃんと言ったことはなかったけど、本当にありがとう」


 真面目な顔でそう言われて、カイは素直に照れた。今までだと有り得ない反応だ。彼は立てた膝の間に顔を埋めて、くぐもった声を出した。


「副隊長にお礼言われるなんて、思いませんでした」


「そんなに照れなくていい。僕の調子が狂うよ」


 ははっ、と声を上げてルースが笑う。以前なら絶対に聞くことのなかったその笑い声に、カイは驚いて顔を上げ、彼の顔を見つめた。揺れる暖炉の火を映した目の奥に、今はちゃんと光があるような気がした。


「……副隊長って、本当はすごく明るい人なんですか?」


「そうかもしれない。今はもういい歳だから、大人しくなったつもりでいるけど。人の色恋沙汰に首を突っ込むのが好きで、学生の頃は女子に嫌われてたな」


「えー、意外……」


 カイの中では誰にでも好かれていそうなイメージだったが、確かに、ルースは人をからかいすぎる節があるかもしれなかった。


「だから実は、部下の恋愛事情は気になってるんだよね。エーゼルはユフィさんに夢中で、お前はフローシュお嬢様に夢中だから」


 そう言って、悪い笑顔を見せるのだった。


「キスくらいはしたのか?」


 カイは瞬時に耳まで赤くなった。


「副隊長、他の部分は完璧なのに……そういうところ最っ低ですよ!」


 憤慨しながらも、これは女子に嫌われるわけだと妙に納得して、笑ってしまった。エスカもしかりだが、容姿も中身も完璧な超人など中々いないのだ。


「上官に対して馬鹿とか最低とか、お前は言いたい放題だね。まあ、そのままでいいけど」


 ルースは本当に楽しそうに笑っていた。それを見て、カイは思う。少し重い名前だけど、自分の存在が少なくとも彼の光芒になっているのなら、そんなに悪くはないかなと。


名前の由来


カイ……古代スタミシア語で『光芒』。


オーサン……古代キペル語で『慈悲深い』。


フリム……古代キペル語で『宝物』。

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