21、悪夢の真相
「……脅してるのか。私が巫女にならなければ、その人は死ぬって」
セルマの声は震えていた。巫女として途方もない年月を生きるか、目の前のルースを見殺しにするか――究極の選択を迫られて恐怖が湧き上がり、吐き気すら覚える。
「巫女になることが、恐ろしいか」
イプタはセルマの側へ行き、その震える肩に触れようとする。だが、彼女はそれを払いのけて叫んだ。
「当たり前だ! 洞窟に閉じ込められて、何百年も生きるなんて……その間に、大切な人はどんどん死んでいくんだろ?」
感情を剥き出して訴えるセルマの、その頬には涙が伝っていた。
スラム街で一人生き抜いていた頃ならば、大切な人を失う辛さなど味わうこともなかった。だが、今は違うのだ。
――お前が何か酷い目に遭わされるのを黙って見てろって言われたら、それは出来ないと思う。
カイの言葉が頭に浮かぶ。生まれて初めて、誰かに大切にされた瞬間だ。セルマの中で、彼は既に失いたくない人だった。
「星の数ほど見送ることになるだろう。故に、巫女の器を持つ者は人の営みから隔絶されて育つのです。人に愛情を、執着を持たぬように。私がそうだ。私には大切な人などいない。誰が死んでいこうと、心は痛まない」
イプタは寂しげに目を伏せた。
「残念だが、貴女の心を理解してやることは出来ない。だが、タユラならきっと、分かってくれただろう。彼女には人の心がある」
そう言って、タユラの首飾りを差し出した。
「受け取りなさい、セルマ。もう一度、タユラの意志を確かめるのです」
医務官の中に反魔力同盟の内通者がいると判明し、会議室はただならぬ空気になっていた。
「おい、医長のレナはどこにいる!」
報告をしにきた第一隊員に向かってフィズが怒鳴った。隊員にしてみれば謂れのない扱いだが、彼は冷静に答える。
「まだ中央病院だと思います」
そのときだった。部屋の扉が開き、小柄な女性が白衣を翻して入って来る。身長で言えばフィズの半分くらいだ。
「ここだ。うるさい野郎め」
鮮やかな青に染めた短髪、剃り落とした眉とその下にある大きな目。見た者に強烈な印象を残す彼女が、医療部のトップ、レナ・クィンだった。
さらに驚くのは、その白衣に点々と赤い染みが付いていることだ。
「なんだ、その血飛沫は……」
「病院勤務から疲れて帰って来たら、私の部下がお取り込み中でな」
レナはポケットに手を突っ込み、ポキポキと首の骨を鳴らした。
「つい手が出た」
「話をはしょるな、半魚人。説明しろ」
イーラの半魚人という暴言はあながち間違いとも言えず、レナの大きく丸い目は、まばたきが少ないこともあって魚のそれを思わせるのだった。そして二人の仲が悪いのは、同期だった学生時代からだ。
「聞きたいか、クソ魔女」
レナは小馬鹿にしたように笑い、すぐ真顔に戻って言った。
「エドマーがミネを拷問していた」
「どういうことか、説明を」
ざわつく隊長たちを宥めるように、ロットが冷静に言った。
「そのままだ。帰ってきたら、私の部下であるエドマーが、その先輩であるミネを魔術で拷問していた。何を聞き出そうとしていたのか……私が見付けなければ、ミネは今頃廃人だ」
「くそっ、エドマーはどこにいる!」
フィズが怒り心頭で部屋を飛び出そうとするのを、レナが手で制した。
「落ち着け。もう事態は収拾した」
「まだ生きてはいるんだろう。どこだ!」
「とりあえず地下に拘束してある。目覚めるまでは少々掛かるかもな。私がぶん殴ったから……」
レナは血の付いた白衣を摘まみ、こう続けた。
「何はともあれ、ミネは無事だ。それに、まず直属の上司である私がエドマーに話を聞く。この会議の内容は全て盗聴、もとい、聞かせてもらったから問題ない。手出し無用だ」
彼女が指を鳴らすと、部屋の隅に置いてあった花瓶が突然、一羽のナシルンに変わった。何名かの隊長に非難の目を向けられたのに気付き、彼女はすぐさま言った。
「ええ、ええ、分かってますよ。本部内での隠密行動は禁止。でもまぁ、緊急事態だろ? 一人だけ蚊帳の外ってのもね。で、エイロンが何をしようとしているって?」
レナはロットに主導権を渡した。話が進まないことに多少、彼が苛立っているのを察してのことだ。冷静であるように見えて、案外、ロットは短気だということを彼女だけが知っている。
「お気遣いありがとう、レナ医長。では続けよう。……エイロンが過去に反魔力同盟にいたということは、紛れもない事実だ。だが反魔力同盟の最たる目的は、魔力を持つ者を掃討し、誰もが平等な国を作ること。その過激な思想故に、これまでに何人も魔導師が犠牲になっている。
そんな組織の中に、なぜ魔導師であるエイロンが入っていたのか。彼は、スパイとして潜入したのだと私は思っている。そうだろう、エヴァンズ隊長」
ロットは、じっと黙り込んで今や空気と化しているエヴァンズに問う。エヴァンズは恨めしそうな目をロットに向け、答えた。
「……そうだ。反魔力同盟の動向を探らせるために、私が潜入させた。10年前、エイロンが魔術学院の教官から近衛団に戻った頃の話だ」
「彼は王族の安全のためならと、危険を承知で従った。ええ、そうです。そのときはまだ、彼は高潔な人物だった。巫女にも信頼されるほど。そして、任務に忠実だった。
エイロンは身分を偽り、架空の人物、クリシュター・マイスとして同盟に潜入した。ほんの短期間の予定だったが、同盟がクーデターを画策している情報を得て、潜入は予想以上に長引いた。
その時期、体調が良くないと彼が内勤になっていたのは、同盟に潜入していたからでしょう。外で顔を見られると危険だから。我々は誰一人として潜入のことを知らなかったが、実際に彼の顔色は悪かったし、誰もが疑わなかった。
三ヶ月が経って、エイロンの性格は徐々に変わり始めた。誰にも媚びることなどなかった彼が、あなたに弱音を吐き、すがり付くようになった。同盟の人間に潜入が露見すれば殺されるかもしれない極限の状態で、頼れる人はあなたしかいない。当然といえば当然だ。
そこで潜入をやめさせれば良かった。だが、あなたはそれに気分を良くした。嫉妬もあったことだろう。自分は副団長にも関わらず、巫女に謁見出来なかったから」
「心が汚ないからだろ。巫女にはそういうの、分かるんだよ」
レナが軽蔑するように吐き捨てると、ロットは否定も肯定もせずに続けた。
「結局、エイロンが自由になったのはそこから更に数ヶ月経ってからだった。あなたに裏切られた彼は、その間に完全に変わった。良心の欠片もない、化け物になってしまった。
近衛団に復帰した彼は、常にあなたの機嫌を取ることで信頼を得た。あなたをいいように操り、いつの日か復讐するためだ。自分がされたのと同じように裏切り、絶望させるために。
彼にはもはや正義も何もない。元のエイロンを演じながら、魔導師の規律を破り、犯罪者をその場で斬り捨てたりもしていた。それを、ベイジルに見られたんだ。
彼はエイロンの様子に、同盟潜入時から違和感を抱いていた。そのベイジルに報告を受けたあなたは、エイロンを守るためにクーデターにかこつけて彼を口封じした。……私はエイロンがそれを望んでいたとは思いたくない。彼は誰よりも、部下を大切にする人間だった」
一瞬、ロットは遠い目をした。かつて自分もエイロンの下で働いた。尊敬する上官だったのだ。
「故に、ガベリアの巫女タユラは彼を信頼していた。その正義と優しさを信じて、巫女の器を見守る役目を与えた。
ところがだ。7年前、久々に顔を合わせたエイロンの、変わり果てたその姿を見て、彼女は心を痛めた。復讐などやめさせようとした。
だが、エイロンは……タユラを殺した。いくら不老不死といえども、首を切り落としたり心臓を貫いたりすれば殺すことが出来る」
会議室は静まり返っていた。謎に包まれていたガベリアの悪夢の真相が、今ここで明らかになったのだ。
しばらくして、フィズがかすれた声を出した。
「巫女を殺した……。それで、制御を失ったオルデンの樹が暴走し、ガベリアは消えた。つまり、ガベリアの悪夢を引き起こしたのはエイロンだと?」