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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
四章 闇の果て
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64、大嘘

 カイがスタミシアへ帰省した日の翌朝、彼とエーゼルとルースはエスカに呼び出されていた。隊長室の机の向こうから、エスカは三人にそれぞれ白い封筒を手渡した。


「何ですか、これ」


 カイは封筒を裏返し、息を呑む。黒い封蝋にされた印は馬――つまり獄所台を示すものだ。エーゼルも同様に、緊張の面持ちになった。


「証人としての呼び出しですね」


 ルースが冷静に言うと、エスカは頷いた。


「お前たちに事前に話してはおいたが、詳細はそこに書かれている。俺は開けることが出来ないから、今ここで、自分で確認してくれ」


 三人は封を開けた。カイはその事務的な文章に少々恐ろしさを感じながらも、じっくりと読み込む。ルースが内容を音読するが、全員同じもののようだった。エイロン・ダイスに受けた被害について、獄所台審理局に出頭し詳細を話すこと。日時は明日の正午となっている。


「なるほど。思ったより急だな」


 エスカは姿勢を正し、三人の顔を見ながらこう続けた。


「以前も話したが、獄所台の聴取はただ話を聴くだけではない。要するに尋問だ。証人に対して手荒な真似はしないだろうけどな。魔術で記憶をほじくられて、嫌な気分になることは覚悟しておいたほうがいい」


 軽く話すエスカだったが、実際は彼らのことが心配だった。獄所台では昨日、9年前のクーデターの件でエディトとレナの聴取が行われていた。レナは吐いただけで済んだが、エディトは終わった瞬間に倒れ、まだ支部の医務室にいる。ベイジルの死に絡んだ記憶を掘り起こされたことで、精神的に衝撃を受けたようだ。

 ただ、それをカイの前で話すというような残酷な真似は出来なかった。エスカは出来るだけ明るく、こう付け加えた。


「支部から医務官のベロニカが帯同することになっている。ぶっ倒れても大丈夫だから、安心して行ってこい」


「あっ」


 カイが声を上げた。


「なんだ?」


「いえ、ベロニカさんに返事を送ってなかったなって。スタミシアで俺が保護した『無垢な労働者』の子供たち、元気だから会いに行ってあげてほしいって連絡貰ってたんです。支部に近い病院にいて、昨日寄って来ました。本当に元気いっぱいでしたよ。もみくちゃにされて死ぬかと思うくらい」


 そう言って、カイは表情を和ませたのだった。


「お前はその子供たちのヒーローってことだな。ぜひ、彼らに恥じないように魔導師として精進してくれ。さ、俺からの話は終わりだ。行っていいぞ。ルース、ちょっと」


 彼に意味ありげな視線を寄越してから、エスカはカイとエーゼルを下がらせた。


「……すまないな。カイの前で言うのはどうかと思ったから」


 そう前置きして、エディトとレナの件を説明した。ルースは静かに頷き、こう言った。


「カイが尋問で、昔の辛いことを思い出すかもしれない。エスカ隊長はそれを心配しているんですよね。僕もです。でも、大丈夫だと思いますよ」


 思いの外、ルースは明るかった。


「今のカイには心を開ける相手がいます。母親とも、やっと正面から向き合えたみたいですし」


「そうか……。俺の取り越し苦労か」


 エスカも肩の力を抜いて笑った。


「カイは、決めたのか? スタミシア支部へ異動するって」


「はい。カイの母親は、退院してからしばらくは弟夫婦の家で暮らすそうです。そして彼女が外の生活に慣れたら、元の家に二人で住むと。異動はそのときに」


「まあ、あの少年ならどこへ行っても生意気に振る舞えるから大丈夫だろ。分かった、とりあえずは安心したよ。……で、お前はどうなんだ?」


 エスカは机に頬杖を着いて、少し前のめりになった。


「何がですか?」


「ミネのことだよ。そろそろ結婚するんじゃないのか?」


「え……」


 ルースは微かに頬を染めたが、冷静に返した。


「まだそんな話はしていませんよ。いつになるか分かりませんが、僕はガベリア支部が復活したら、そこへ行くつもりでいますし。なんで急にそんなことを」


「少しでも明るい話題があった方がいいだろ? それにイーラ隊長も喜ぶ」


 その声の響きに、微かに悲しみが混じっているのをルースは感じ取った。


「イーラ隊長、状態は……?」


「レナ医長の見立てだと、長くて一ヶ月だそうだ。とはいえ本人が面会を拒絶しているから、なかなか会えないんだけどな。あの人らしいだろ? 弱っている所は他人に見せたくないのさ。だから俺は、せめて隊長が心置きなく休めるように結果で応えたいと思っている。第二隊を預かったわけだし。……もう行っていいぞ」


 エスカはくるりと椅子の向きを変え、ルースに背を向けた。彼が今どんな顔をしているのか分かった気がして、ルースは静かに、部屋を後にした。





「アーレン・デミアに対する判決を下す。一同、全ての罪人に平等なる判決を」


 今日も獄所台の審理室で、審判が下されている。総監のアークが審理官たちの頭上に浮かぶ文字を見回し、頷く。


「全会一致だ。アーレン・デミアの監獄への収容期間は、終身とする」





 レナは未だに胃の辺りがむかむかするのを堪えながら、医長室で椅子にもたれていた。獄所台の尋問で想像以上に精神を追い込まれ、昨日は最悪な気分で帰ってきたのだ。


(こっちは証人だぞ、クソが……)


 心の中で悪態を吐きながら、窓の外に目を遣る。今日も穏やかな陽射しの差す昼下がりだ。そこへ、ノックの音に続いて医務官のルカが入ってきた。


「失礼します。医長、手紙が届いてます」


「ああ、ありがとう。……医務室は平和か?」


「平和ですね。珍しくベッドが空ですよ。医長、休暇を取って頂いても大丈夫ですけど」


 ルカが微笑んで部屋を後にし、レナは受け取った封筒に目を落とす。丁寧な字で『自警団キペル本部 医長レナ・クィン様』とある。見覚えのあるその筆跡に、思わず裏の差出人を確認した。


「コール……」


 心臓が早鐘を打った。彼が何のつもりで手紙を送ってきたのかは分からない。迷惑だと破り捨ててしまいたかった。しかし、ずっと待っていたような気もする。自身の心に混乱しながら、レナは結局、封を開けた。


 親愛なるレナ・クィン


 もう一度会って話をしたい。私のことは許さなくても構わない。ただ、私たちの大切な存在のために、どうか願いを聞き入れてはくれないだろうか。今晩、19時、レストラン『ファム』で待っています。コール・スベイズの名で。君も変装する必要はない。


 大切な存在。フリムのことに違いない。コールはもう彼女に会ったのだろうか……。レナは目を閉じ、深呼吸する。コールには会いたくないが、フリムのためならばその意地も捨てることが出来た。

 目を開け、立ち上がった。そのまま医務室に向かい、机で包帯を丸めていたルカに声を掛ける。


「病院の方へ行ってくる。それから今日の夜は、急患以外で私を呼び出すな」


「了解しました。任せておいて下さい」


 レナが仕事より自分の都合を優先させることなど今まで皆無だったから、彼女を気遣う部下にとっては嬉しい変化だ。ルカはにこりと笑って、付け加えた。


「そのまま二、三日旅行に行ってもらっても構いませんよ」


「……馬鹿か。医務室は暇でも病院には患者がいるんだ」


 少し困惑気味に言って、レナは踵を返したのだった。



 イーラは病室のベッドで穏やかな寝息を立てていたが、レナが側に来るとぱちりと目を開け、彼女に視線を向けた。


「……そんなにしょっちゅう見に来なくても、私の息が止まっていたら誰かが教えてくれるだろ」


「縁起でもないことを言うな。体調はどうなんだ?」


 レナは側にあった椅子を引き寄せ、腰掛けた。


「まあまあ、だな。音の間隔が少し、開いたような気もする」


 イーラは時計に目を遣った。秒針の規則的な音が静かな部屋に響く。致死性刻時病の最期は、脳内に響く秒針の音の間隔が広がっていき、やがて聞こえなくなったその時に心臓も止まるというものだ。少なからず症状が進んでいることを、イーラも自覚していた。

 彼女は難しい顔をするレナを見て、言った。


「そんな顔はやめろ。心は穏やかだよ。別にやり残したことはない。今日は何の用だ? 話があって来たんだろう」


「……ああ。今晩、コールに会おうと思う」


 レナが呟くように言うと、イーラは小さく頷いた。


「なるほどな。また、洒落込(しゃれこ)むのに手を貸せという話か」


「違う。ただの報告だ。私はコールに会いたいわけじゃない。むしろ会いたくない。フリムのことを話したいというから、仕方なくだ」


「25年経っても強情だなんて、世話の焼ける女だな」


 イーラは呆れたように言った。


「この世でコール・スベイズほどお前を大切に思っている人間はいないぞ。分かっているんだろう。隊員たちがガベリアへ入る手引きをしたことについて、お前が獄所台に引っ張られなかったのは何故なのか」


 レナは黙ったまま、イーラから目を逸らした。


「レナ。私は腐れ縁の友人として、お前がコールとフリムと、幸せな家族になれることを願っている。自分を罰するのはもう十分だろ?」


 その言葉に、レナは思わず目頭を熱くした。コールの思いを撥ね付けるのも、フリムに会わないのも、全て自分への罰。腐れ縁の友人には見抜かれていたらしい。レナは弾かれたように椅子から立ち上がり、窓際に寄った。


「お前は卑怯だ、イーラ。状況をとことん利用しやがって。さすが第二隊だな」


「利用させてもらうさ。絶好の機会だ。お前が何を言ってもどんな顔をしても、文字通り墓場に持っていけばいいんだから。それに、やっぱり心残りがあったよ。お前がどうなるのかを見届けないと、死んでも死にきれない」


「このクソ魔女。お前は死んだら地獄行きだ」


 振り返ったレナの頬には涙が光っていた。イーラはそれを見て、笑った。


「お前もな、半魚人。嘘吐きは地獄行きだと昔から決まっている」


「嘘なんて吐いてない」


「いや、ついさっき。コールに会いたくないなんて、大嘘だ。さっさと帰って準備しろ。化粧が出来ないなら第二隊の女性に頼めばいい。ある程度経験年数がある奴なら、口は固いから」


「余計なお世話だ。帰る。言っておくが私がいない間に――」


「くたばらないから安心しろ。ほら、行ってこい」


 そう言ってイーラは目を閉じ、すぐに寝息を立て始めた。会話で気力を使い果たしたのかもしれない。


「……分かったよ、馬鹿」


 そっとイーラの額に触れて無事を確認してから、レナは部屋を出ていった。

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