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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
四章 闇の果て
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62、9年分の涙

「眺めのいい部屋だね、ここ」


 カイはスタミシア第三病院の精神棟にある、母パトリーの病室にいた。二階にあるその個室の窓からは、庭に繁る木々や冬の花、その向こうにはスタミシアの街並みが見える。

 カイが時間の流れをゆっくりに感じるのは、いつも本部で目にしている忙しない隊員たちの姿が無いからだった。ここにはあの喧騒も、時間に追われる仕事もない。それと、久し振りに制服を脱いで私服姿でいるせいもあるかもしれない。

 パトリーはベッドに腰掛け、窓際に立つカイに優しい眼差しを向けていた。


「……男の子って、あなたくらいの歳になるとお母さんの隣に座ったりしないのかな」


「え?」


 カイが振り向くと、彼女は自分の隣をぽんと軽く叩いて笑った。


「こっちにおいで、カイ」


「うん。……あんまり座らないんじゃないかな、たぶん」


 困ったように笑いながら、カイはパトリーの隣に腰を下ろした。微妙に距離を開けて。やはりこの年齢になると恥ずかしさが勝って、ぴたりとくっついていた子供の頃のようにはいかない。下を向いて落ち着かなげに爪先を上下させるカイに、パトリーはこう言った。


「『大事な仕事』を終えてどうですか、立派な魔導師さん?」


 カイは思わず顔を上げ、彼女を見た。


「どういうこと?」


「手紙には書かなかったけど、お母さん、夢の中でお父さんに会ったんだよ。あれが夢だったのかどうか分からないけど……。だからガベリアが甦ったことも、あなたがそれに関わったことも、知ってる」


 パトリーの瞳が、微かに潤んだように見えた。


「ガベリアへ行くなんて知ってたら、さすがに私も止めたかもしれない。それでもあなたは行くって言ったんだろうけどね。無事に帰ってきてくれたから、もうそれでいいの。ずっとあなたのことを信じていたし、これからも信じる」


 そう言って、幸せそうに笑うのだった。


「そう……だったんだ。父さんと、どんな話をしたの?」


「ふふ。それは私とお父さんの秘密。でもやっぱりカイのこと、心配してた。意地っ張りだからなぁって」


「人のこと言えないくせに」


 カイはあの夢での別れ際、ベイジルが絶対に泣き顔を見せまいとしていたのを思い出して、ふと頬を弛めた。


「似た者同士だよ、あなたたち。頑固で負けず嫌いで、優しくて勇敢。……カイは本当に、お父さんに負けないくらい立派になった。もっと子供らしくてもいいんじゃないかって思うくらい。でも、あなたの子供らしいところは全部、私が奪ってしまったんだね」


 パトリーは優しくカイの髪を撫で、その目から一つ、涙を落とした。


「ごめんね、カイ。お父さんがいない分、私があなたを守らなくちゃいけなかったのに」


「何百回でも言うけど、母さんは悪くない。それに謝られるより、笑っててくれた方がいい」


 そう言ったカイの頬にも、静かに伝うものがあった。


「今までずっと、普通の親子ではいられなかったかもしれないけどさ。これからは違う。あの家で一緒に暮らそうって言ったの、俺は本気だから」


「でも、あなたの仕事は?」


「それは何とかしてくれるって、ルース副隊長が言ってた。あ、俺がいる隊の副隊長なんだけど」


 カイは頬を拭って微笑む。パトリーはルースの名を聞き、はっとしたように言った。


「ルース・ヘルマーさん?」


「知ってるの?」


 彼のことをパトリーに話した記憶は、カイにはなかった。


「名前だけ。夢の中で聞いたんだけど、お父さんは昔ルースさんに、カイがもし魔導師になったときは手助けしてほしいって言ったらしいの。ちょっと重かったかな、なんて反省してたけど……。とても素敵な方なんだろうね、ルース副隊長」


 パトリーも目元を拭い、嬉しそうに笑った。


「そんな話、知らなかった」


 カイは驚愕しながら記憶を辿ってみる。ルースは確かに、新人の頃にベイジルに助けてもらったことがあると話していたかもしれない。ベイジルとの約束があるとも言っていた。その後のごたごたで、詳細はずっと聞きそびれていた。


「知らなくて良かったんじゃないかな。あなた、そんなこと聞いたら怒るでしょう? 余計なことするなって。私もいつか一度お会いして、お礼をしなくちゃね。今までずっとお父さんに関わる人達とは接して来なかったから、少し緊張するけど。先生にも止められていたし、思い出すのが辛くて……。今はもう、大丈夫な気がする」


「今まで、一度も?」


「あ、当時の近衛団長の方とは、お父さんの葬儀で話したことはあったかな。その時は何も耳に入らなくて、どんな話をしたかは全く覚えていないんだけど」


「そっか」


 冷静に答えながら、カイは苦虫を噛み潰したような気分になった。あのセレスタが、一体どんな顔をしてパトリーに話をしたというのか。彼の上辺だけの言葉など、むしろ覚えていなくて良かったとさえ思った。

 カイが黙っていると、パトリーは彼に体を向けて座り直し、こう切り出した。


「それとね、これは退院してからのことなんだけど。クレイグと彼の家族とも話し合ったんだ」


「叔父さんと?」


 クレイグとはパトリーの弟で、パトリーから保護した9歳のカイを魔術学院に入るまで育ててくれた人物だ。カイにとっては恩人だが、学院に入ってからは手紙のやり取りしかしていなかった。義理を欠いているようで胸は痛んだ。しかし、会えば必ずその優しさに甘えてしまう。だから、一人前の魔導師になるまでは会わないと決めていたのだった。


「そう。カイのことも、とても心配していたよ。クレイグたちはみんな、退院したら一度家においでって言ってくれたの。私たちが住んでいた家は、ノーマが定期的に掃除をしてくれたおかげでいつでも住める状態だけど、私が少し外の生活に慣れる期間もあった方がいいって」


 ノーマはクレイグの娘で、カイの従姉妹にあたる。歳は2つ下だが、しっかり者の少女だった。会わない内にどのくらい成長したのだろうか、とカイは思う。元々仲は良かったが、突然転がり込んできた自分にはずいぶんと気を遣っていたことだろう。受け入れてくれた彼女とクレイグ夫妻には、一生分の借りがあると言ってもいい。


「本当に優しい家族だね……。それがいいと思う。その間に俺が、あの家に二人で住む準備をするよ」


「無理はしないでね。私はいつでもカイの幸せだけを願っているんだから。……昔みたいにハグさせてくれる? 私のかわいい子」


 パトリーは両腕を軽く開いてみせる。カイが何かを堪えるように、軽く唇を噛む。


「本当に意地っ張りだねぇ。その顔、小さな頃に何回も見たことがある。ほら、おいで」


 そう言って抱き寄せられた腕の中で、カイは肩を震わせた。そして小さな子供みたいに声を上げ、母に甘えることの出来なかった9年分、泣いた。



 廊下ですれ違った医務官に泣き腫らした目を治してもらってから、カイはスタミシアの中央2区に来ていた。大きな図書館や劇場、学校や公園などが多く存在する教育都市みたいな地区だ。ここに叔父のクレイグの家がある。つまり、カイが4年余りを過ごした場所でもあった。

 よく整備された灰色の石畳が、居並ぶ建物の間を縫うように伸びる。そこを進んでいくと、店の並ぶ通りで『マリオット縫製店』の吊り看板が揺れているのが見えた。クレイグの店だった。彼は腕の良いテーラーなのだ。

 建物は三階建てで、一階が店舗、その上は住居になっている。カイが店の近くまで寄ると、小洒落(こじゃれ)た焦げ茶色の外観は昔のままだった。ガラスのショーウインドウには三つ揃いのスーツを着せられたトルソーが二つ並んでいる。クレイグが「いつかお前にも一着、上等なのを仕立ててやる」と言っていたのを思い出し、胸が締め付けられた。

 そのとき、店のドアが開いて中から客らしき紳士が出てきた。


「いつも御引き立てありがとうございます。またお待ちしております」


 客人を見送っているのは、白いエプロンを着けた少女だった。くすんだブロンドのまとめ髪に、恐らくクレイグが仕立てたであろう紺色のドレスが良く似合っている。愛嬌のあるその顔は昔と変わっていない。彼女がノーマだと、カイにはすぐ分かった。

 客人の姿が人混みに紛れていき、ノーマはふと視線をカイに移す。そしてはっと息を呑み、両手で口元を押さえた。

 カイは彼女の前に立った。3年前は同じくらいの背丈だったが、今はカイの方が幾分高い。自警団ではチビと言われることも多いが、思いの外、背は伸びていたようだ。


「久し振り、ノーマ。元気にしてたか?」


「カイ……?」


 ノーマは微かに表情を歪め、その瞳からぽろぽろと涙を溢した。


「……遅いよ。帰ってくるの、ずーっと待ってたのにっ!」


 彼女はなじるように言って、カイの胴体をへし折る勢いで抱き着いた。むしろへし折ってやろうと思っていた。それでもカイがびくともしないことに驚き、ばっと顔を上げた。


「何者?」


 彼女の言葉選びが独特で、申し訳ないと思いつつカイは笑ってしまった。


「何者って。魔導師だよ。普段からちゃんと鍛えてるんだ」


「偉そうに。私、これでも怒ってるんだからね。店の近くを自警団の人が通ったらカイじゃないかと思ったり、お客さんが来たらカイじゃないかと思ったり、ほんとに、待ってたのに……」


 ノーマは口元をすぼめ、今にも大声を上げて泣き出しそうだった。過去に何度も見たことがある。彼女はカイの何倍も感情的なのだ。そしてその感情的な部分に、カイはずっと助けられていた。


「ごめんな。分かったから、泣かないでくれよ」


 カイはノーマを抱き寄せ、軽く背中を叩いた。ふと、昔はこれが逆だったのを思い出す。ノーマが、塞ぎ込むカイの背をさすってくれていたのだ。「大丈夫、私はずっと味方よ」と。


「……嘘だよ、怒ってない」


 くぐもった涙声がカイの胸元で答えた。


「魔導師になるのも、魔導師になってからも、すごく大変だって知ってるもん。カイはすごいよ。自慢の家族だよ」


「ありがとう」


 カイも思わず目頭が熱くなる。と、その途端にノーマは体を離し、これでもかという強さでカイの尻を叩いた。パシン、と乾いた音が響いた。


「……ってぇ!」


「やっぱり許さない! カイのばーか! 家には入れてあげないっ!」


 痛みに顔をしかめているカイを残して、ノーマはあっという間にドアの向こうへ消えた。しかし、すぐにそこから彼女の嬉しそうな声が漏れ聞こえてきたのだった。


「お父さん、お母さん、カイが帰ってきたよ! お祝いしなくちゃ!」

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