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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
一章 思惑
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20、目覚め

「巫女の器……」


 セルマは呟いて、イプタの黒曜石のような目を注視した。彼女が嘘をいているとは思えないが、信じるに値する証拠もない。


「私が、巫女っていうこと……ですか? 本当に?」


 イプタの瞳は揺らぐことなく、真っ直ぐにセルマを見返す。彼女はセルマの頬に触れていた手を離し、続けた。


「左様。にわかには信じがたいだろう。なにせ、貴女(あなた)は巫女の器としては、ずいぶんと違う環境にいたから」


「保護されていなかったということでしょうか」


 セルマの横にいたオーサンが口を挟んだ。彼がイプタに畏怖の念を抱いていたのは最初だけで、もうその存在にも慣れたようだ。


「巫女の器は生まれてすぐに、近衛団の保護を受けると聞いています」


「ええ。流石は近衛団員の息子ですね、オーサン・メイ」


 イプタが優しく笑いかけると、彼は照れたように俯いた。それから、彼女はセルマに向き直る。


「そういうことなのです、セルマ。貴女は本来、保護を受け王宮の中で育てられるはずだった。スラム街で苦しい生活をする必要は無かったのです」


「そんな、今更の話をされたって……。それに私には魔力も無いし、信じろって言うほうが無理だ」


 セルマはイプタから目を逸らした。頭が混乱している。この数日で、彼女の境遇は目まぐるしく変わりすぎていた。スラム街で乱暴な輩に揉まれながら、それでも自由に生活していた日々が遠い昔のように思える。

 イプタは自分の首元から何かを取り出し、セルマへ差し出した。


「貴女はこれを拾った。ガベリアの巫女、タユラの物です。これにはまだ、彼女の意志が残っている」


「それ……」


 セルマはイプタの手の平で光る、黒水晶の首飾りを見つめる。あの時、積もった雪の中で、首飾りは自分を呼んでいたようにも感じた。それがタユラの意志だったのだろうか。


「ガベリアの悪夢から7年の歳月を経て、タユラは貴女を呼んだ。彼女は待っていたのです。貴女が巫女として相応しい歳になるのを」


「相応しい歳って?」


「17歳。あなたにとっては、もうすぐ。それが、最も巫女の力が強まる時です。ただし」


 イプタはすっと、遠くに視線を遣った。


「人間として多感な時期でもある。そう、例えば……誰かを大切に思う余り、自分を見失ったりもする」


 その言葉を聞いて、セルマの頭に浮かんだのはカイの姿だった。自分を見失ったりはしないまでも、大切であるのは間違いない。顔が熱くなるようだった。

 オーサンは我関せずの表情で、セルマの横顔を眺めていた。


「巫女には不要の感情だ。我々はただ、この黒水晶の樹、オルデンの樹に宿る力を制御するためにいる。永い、気の遠くなるほどに永い役目だ。私も早千年になるが……」


 セルマとオーサンはぎょっとした顔になる。目の前にいる少女は、とても千年生きていたようには見えないからだ。


「いつ終えられるのか。私の後を継ぐ者は、未だ生まれていないようです」


「じゃあ、私は、あなたの後を継ぐ訳ではない?」


「ええ。貴女はタユラの後を継ぐ者。新たなガベリアの巫女です」


「でも」


 セルマは被せるように言った。


「私でも知っています。ガベリアはもう、滅びて――」


「だから貴女の力が必要なのです、セルマ。ガベリアを甦らせるために」


 イプタの纏うオーラが、一瞬にして変わったようだった。魔力の無いセルマでも強く恐ろしい力を感じるほどだ。石で出来ているはずのオルデンの樹が、風にそよいだように揺れて音を立てた。

 二人はごくりと唾を飲み、僅かに後ずさった。


「私も乱暴な真似はしたくない。ガベリアの悪夢は、覚悟のないタユラに巫女の役目を強いたことで起きたようなものだから……。だが、セルマ。このままではリスカスの国は滅びる。ガベリアと同じようにスタミシアが消え、キペルも消える」


「まさか……」


 オーサンが目を見開いた。


「また巫女が死ぬと?」


 イプタが答えるより先に、何処からか咳き込むような声が聞こえた。この洞窟に、他にも人がいるようだ。イプタの恐ろしいオーラは、すっと消えた。


「……今のは?」


「目を覚ましたようです。二人ともこちらへおいでなさい」


 イプタは踵を返し、オルデンの樹の裏側へ歩いていく。二人は顔を見合せ、その後を追った。

 巨大な幹を回り込むと、そこに大きなうろがあった。人が十人は入れそうなほど、広々としている。

 そこに、三人の魔導師が横たえられていた。小さな羽虫のような生物が、淡い光を放ちながらその周りを無数に飛び回っている。


「カイ!」


 セルマとオーサンが同時に叫び、洞の中へ飛び込んだ。カイは僅かに顔をしかめたが、目は閉じたままだ。

 代わりに、隣に横たわっていた人物がゆっくりと体を起こす。先輩のエーゼルだ。瀕死の状態だったはずだが、今は少し顔色が悪い程度だった。


「誰だ……?」


 彼はオーサンとセルマを見てそう言った。同じ自警団ではあるが、オーサンとエーゼルはお互いに顔を知らない。


「第三隊の、オーサン・メイです。あなたは?」


「第一隊のエーゼル・パシモンだ。そっちの少女はもしかして」


「ええ。そちらの参考人です。カイに本部から連れて逃げるよう言われました。本部が襲撃されたことはまだ知らない、ですよね。そんな時に限って第一隊は一人もいなかったから」


 さらりと文句を言うところがオーサンらしい。エーゼルは焦ったように尋ねる。


「被害は?」


「医務室が荒れてたみたいですけど、俺が本部を抜け出した時点での死人はいません。まあ、フィズ隊長とかもいるんで大丈夫かと」


「そうだったか……。いなかったのは申し訳ないが、こっちも緊急事態だったんだ。君、セルマ、だっけ」


 エーゼルはセルマにそう尋ねるが、彼女は目を覚まさないカイに気を取られていて、答えるどころではない。


「心配せずとも良い。じきに目覚める」


 そう言ってイプタが洞に足を踏み入れると、飛び回っていた羽虫たちは一層強く光を放った。エーゼルは彼女に深々と頭を下げる。


「イプタ様。助けて頂いて、ありがとうございました」


「様など必要ない。私はただ、永く生き過ぎただけの人間だ」


 イプタは微笑む。生きれば生きるほど人と隔絶されていく悲しみが、そこに滲んでいた。


「分かりました。では、イプタ。本当に、二人は目覚めるのでしょうか。特に、副隊長は……」


 エーゼルは自分の横で静かに眠っているルースを見た。彼の顔は誰よりも青白く、呼吸も弱々しい。


「何があったんですか?」


 セルマがそう尋ねる。彼女の手は自然に、カイの手を握っていた。こりゃ結構なアレだな、とオーサンは心の中で感心する。


「皆が目を覚ましてから、説明しよう。だがこのままでは、彼だけが永遠に目を覚まさないかもしれない」


 イプタはそう言ってルースの横に屈み、彼の頬に手を添えた。エーゼルは絶望の表情で呟いた。


「どうして」


「魔術で酷く拷問を受けたようです。魂は耐えたが、体はもはや限界の状態。私の力を持ってしても、どの程度まで回復させられるか」


「どうすれば助かりますか? 副隊長のためなら、俺は死んだって――」


「落ち着きなさい。傷が開きます」


 興奮したエーゼルにイプタが手を翳すと、途端に光る羽虫が彼に群がった。そして、彼はすっと眠るように倒れ込んだ。


「セルマ、一つ教えておきましょう」


 イプタはセルマに視線を移した。


「リスカスで、巫女だけに許される力がある。それは死にゆく命をこの世に引き戻す力です。もちろん、死んでしまった者を生き返らせることは出来ない。故に、時間は限られているのです。

 だが、永く生きることでその力は弱まっていく。私はもちろん、スタミシアの巫女も540年は生きていますから、残された力はそう多くはない。セルマ、私の言わんとすることが、分かりますか?」

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