58、明るい時間
ライラックがセオを連れて聴取室を出ると、ドアの横ではカイが膝を抱えて小さくなっていた。
「ずっとそこで待ってたのか、カイ」
ライラックが少し驚きながら言うと、カイは尻の埃を払って立ち上がる。眉間に皺を寄せた、いつもの表情だった。
「今日、非番なんで。することないんです」
若干ふて腐れた響きがあるのは気のせいではない。ライラックはおかしくなり、つい笑いを漏らした。セオもつられて笑った。
「なんですか、ライラックさん。……セオ、大丈夫だったか?」
「うん。心配してくれてありがとう」
セオが微笑むと、カイもようやく表情を弛めたのだった。
「それならいいけど」
「カイ、この記録をエスカ隊長に届けてくれ。俺は食堂でセオと昼食だ。お前も後で来るといい」
ライラックは聴取記録の束をカイに渡し、セオを連れて行ってしまった。中を見てはいけないとは言われていない。当然のように、カイは記録に目を通した。
途中、その内容に怒りで手が震えながらも、最後は熱が冷めたように力なく壁にもたれた。
(せめてセオの母親は、生きててくれないと……)
深く息を吐いてから、カイはエスカの元へ向かった。第二隊の隊長室には忙しなく隊員たちが出入りしている。気後れしつつ、カイも順番を待って中へ滑り込んだ。
「はい、次。……なんだ、カイか」
報告書から顔を上げたエスカが、ふと笑った。しかし顔は相当疲れている。本棚には報告待ちのナシルンが4羽ほど並んでいた。
「どうした?」
「セオドリック・リブルの聴取記録です」
カイは紙の束を差し出した。エスカはすぐに受け取って目を通すが、表情はほとんど変わらない。さすが隊長だと思いながら、カイは彼の言葉を待った。
「了解。メニ草に関しての貴重な証言だ。セオの母親については、ランブルの奴等から情報を搾り取るように指示しておく。……お前、ここどうした? 少し傷になってるぞ」
エスカは唐突に、自分の頬を指差してみせる。カイは思わず左の頬を押さえた。ナシルンに激突されたのは右なのだが、咄嗟に思い浮かんでしまったのがフローシュの口付けだったから仕方がない。
「いや、逆。そして何故、顔が赤くなるんだ?」
「これは、ナシルンがぶつかってきたんです……」
「ああ、そう。ナシルンも今日一日でかなり酷使されてるから、いちゃついてる場面を見て腹が立ったんだろうな。報告ありがとう、行っていいぞ。はい、次」
反論する前にさっさとあしらわれてしまった。カイは諦めたように隊長室を出て、食堂へ向かう。エスカにからかわれたおかげか、着く頃にはセオのことで萎んでいた心も平常心に戻っていた。
ちょうど昼食刻で、食堂には大体の席が埋まるくらいの隊員たちがいた。セオは端の方で、誰かと隣合わせに座っている。ライラックではなさそうだ。
「あ、カイ!」
食事のトレーを手に近付いたカイに手を振ったのは、フィルだった。
「なんだ、もう安静にしてなくていいのか?」
「見ての通り。セオが来てるって聞いて、無理矢理許可してもらった」
彼はセオと顔を見合わせて笑う。周囲の女性隊員たちが、ちらりと彼らに視線を送る。
(まあ、こう見ると人形店のショーウインドウだよな)
カイは彼らと同じテーブルに着くことに若干の抵抗を感じた。ここまで美しい二人と並ぶと、自分が宝石に混じった砂利みたいな気分になる。
「……ライラックさんは?」
結局、それは気にしないことにして座った。
「すぐに食べ終わって行っちゃったよ。ここの食事、美味しいね」
そう言ったセオの皿は、既に空になっていた。今日のメニューは、よりにもよって食堂で一番不味いと言われるダクオーフという料理だ。一言で言うなら、何が入っているのか分からない謎のタルト。第三隊の隊員たちは完全栄養食と呼び、好んでいるらしい。
「口に合ったならいいけど……」
カイはフォークを手にし、もそもそとダクオーフを咀嚼した。
「ん?」
いつもと味が違った。これははっきり言って、美味しい。
「美味いだろ? こんな日もあるんだな」
フィルが不思議そうに言ったので、カイは厨房を覗いてみる。ユフィが忙しく走り回っているのが見えた。もしかすると、味が違うのは彼女が調理に入ったからかもしれない。
「あ、そういえばね」
セオが口を開いた。
「ご主人様が、今度二人をディナーに招待したいんだって。どうかな?」
「喜んで」
フィルはすぐに答えたが、カイは渋った。
「あの高そうな食器で、食事?」
薄くてすぐに割れそうな皿に、レンダーが曇り一つ無く磨き上げたカトラリー。おまけにテーブルマナーが云々と言われたら、食べた気などしないに違いない。
「気を張らなくて大丈夫だよ。カイが従者になりたての時にグラス割ったの、みんな知ってるもの」
セオが言い、フィルが吹き出した。カイも笑うしかなかった。
「あー……、確かにな」
「それにね、僕も二人に給仕してみたいんだ。大切なお客様として」
「セオは執事になりたいんだっけ?」
「うん。ミスター・レンダーのような」
「なれるよ、絶対に」
フィルがそう言って、微笑んだ。
「俺もそう思う。楽しみだな、セオの執事姿」
カイも笑った。セオは照れたように目を伏せ、そこには束の間、明るい時間が流れていた。
「メグ・コーシャさん。我々はあなたを罪に問うつもりはありません。ただ、最後まで職務に殉じようとしていた仲間のために、真実を話して頂きたい」
机を挟んでエディトが向かい合うのは、黒髪を後ろで結い上げた中年の女性だ。ここは自警団スタミシア支部の一室で、女性は看護官だった。エディトの隣には記録係として、復帰したラシュカが控えていた。
メグは緊張と恐怖を織り混ぜたような表情で、じっとエディトを見る。彼女の唇は何かを話そうとするが、喉がそれに反抗し、声は出なかった。
「セレスタ・ガイルスは……」
エディトの言葉に、メグはびくりと肩を竦ませる。やはり彼に口封じをされていたのか、とエディトは確信する。
「我々が確保し、獄所台へ送りました。彼に荷担する者も全て。セレスタにはもう力はありません。あなたに危害を加えることもない」
「本当ですか……?」
か細い声で、メグは言った。
「もちろんです。そしてあなたが真実を話すことで、セレスタをより重い罪に問うことが出来ます。何にせよ、彼は二度と獄所台から出ることはない。安心して下さい」
「はい……」
少しだけ肩の力を抜いて、メグは頷いた。エディトがラシュカを見ると、彼はペン先を紙に乗せた。
「ありがとうございます。では始めましょう。メグ・コーシャさん、年齢は47歳、現在はスタミシアの孤児院で働いておられる。間違いはないですか」
「はい、その通りです」
「9年前、あなたは中央病院の精神棟を担当する優秀な看護官だった。単刀直入にお伺いします。あなたは近衛団員の、エイロン・ダイスを知っていますね?」