55、証拠品
「オーケー、次」
第二隊の隊長室で部下からの報告を次々に捌いているのは、顔に少々疲労の色が浮かぶエスカだ。机の上には報告書の山、本棚には報告待ちのナシルンが10羽ほどひしめいている。時刻は午前10時を回るところだが、夜明けからずっとこの調子であった。
「……うん。ゴールド、これ、獄所台用に纏めてくれ。セレスタがパウラ・ヘミンを自宅に軟禁していた件だ」
エスカが書類の束を隊員に差し出すと、彼は表情を曇らせた。
「酷い話ですよね。気が滅入ります」
「同情するのは後だ。これも一緒に頼む」
エスカは青みがかった小瓶を彼に渡した。
「彼女の記憶を入れてある。失くすなよ」
「了解しました」
ゴールドはその二つを受け取り、部屋を出ていった。ガイルス家から9年越しで保護されたパウラは、ワイスマンに負わされた火傷のせいでひどく人に怯えるようになっていた。病院の医務官たちが懸命に治療し、何とかエイロンが監禁されていた場面の記憶を採取することが出来たのだ。
セレスタの欲のために狂わされた彼女の9年は、余りにも長い。そもそも彼女の出生からして……、と考えが本筋から逸れそうになり、エスカは頭を振った。本棚のナシルンが、早くメッセージを聞けとばかりに鳴いた。
(体が二つ欲しいとはよく言ったものだな……)
溜め息を吐き、情報を捌く作業に戻る。待ちかねたように肩に乗ってきたナシルンは、スタミシア支部からのメッセージだった。
『昨夜スタミシアで捕らえた同盟の人間、計27名ですが、尋問でもやはりセレスタ・ガイルスの名は出てきませんでした。マルク・ワイスマンもといマーク・ドーシュの名も同様です。全員、今日の午後には獄所台へ移送する予定です』
「やっぱりか」
思わず呟いた。キペルで確保した同盟の人間からも、二人の名は一切出てきていない。それどころかその存在を匂わせる話もない。セレスタは巧妙に裏方に徹し、過去から現在に至るまで同盟を操っていたようだ。
エーゼルの兄、アーレン・デミアの証言と記憶がなければ、セレスタがクーデターに関わったという証拠は皆無だったことになる。エイロンが見付けたとする、クーデター当日の指示を書いたセレスタ直筆のメモ――唯一の物的証拠だが、それが未だに見付かっていない。エイロンが処分したとは考えにくい。必ずどこかにあるはずなのだ。
また一羽のナシルンが壁を抜けて部屋に飛び込んできた。近衛団の『G』のタグを付けている。自警団のナシルンに喧嘩を売るように旋回して彼らの顰蹙を買った後、それはエスカの肩に止まった。エディトからのメッセージだった。
『ウィラがパーティーで手に入れたイアン・レットの髪を使って、彼の別荘を探し当てました。そこで、ガイルスの屋敷で栽培されていたメニ草の顧客リストを発見しました。どうやらあそこのものは、特別に効果が高いようですね。かなりの高値で取引されています。
リストについては後程そちらへ届けさせますが、その顧客の中にはあのランブルの名がありました。暖炉の燃料、ストロコークスで有名なランブル社の。デマン家の従者、セオドリック・リブルはかつてランブル家で酷い扱いを受けていたそうですが、そのことと何か関係があるかもしれません。
そして本題です。エイロンが遺した証拠、セレスタ直筆のメモも見付かりました。筆跡を照合すれば確実ですが、私が見てもこれはセレスタの字だと思います。イアンは知らなかったようなので、恐らくエイロンの仕業でしょう。ブロルがスター・グリスの『危険物等盗難届』の暗号に気付いてくれたおかげです。礼を伝えて下さい。メモは直接獄所台へ届けます。
セレスタがエイロンを監禁していた件については、引き続き我々が調査していきます。何か協力を依頼することもあるかもしれません。以上です』
「……有益な情報、ありがとうございます。メニ草の顧客とセオドリック・リブルについては、こちらで調査します」
ナシルンに返事を吹き込んで飛ばし、エスカは席を立って廊下に出た。第二隊員たちが忙しなくそこを行き交っている。窓のない隊長室に長時間籠っていたエスカは、廊下に射し込む明るい光に多少目眩を覚えた。
「……リゴット!」
遠くに副隊長の姿を見付け、声を張った。彼は早足でこちらにやってくる。
「隊長。何か?」
「ちょっと第一隊のところへ行ってくる。代理でメッセージを聞けるナシルンがあったら聞いておいてくれ。数が多くて、本棚で団子になっている」
「分かりました、出来るだけ早く戻って下さいね」
リゴットはそう言って、すぐに隊長室へ入った。繁忙な状況で文句も言わず従ってくれる部下がいるのは有り難いことだが、抜かりない彼のことだから、後で何か要求されるかもしれないとエスカは思う。
エスカは階段を駆け降りて第一隊の隊長室へ向かった。図らずも、その前の廊下で目的の人物に遭遇した。
「丁度良かった。ルース、カイはまだデマン家にいるか?」
「はい、地図の霊証を見る限りは。何かありましたか?」
エスカは手短に、エディトからの報告をルースに伝えた。
「そうでしたか。じゃあ、セオを本部に連れてきてもらうようカイに伝えます。他の隊員が行くよりは、セオを動揺させずに済みますし」
ルースは早速ナシルンを呼び寄せ、カイにメッセージを送った。それからエスカに向き直る。
「ブロルが解いた暗号、役に立ったんですね」
その暗号は、古代ガベリア文字で『危険物等盗難届』の裏に薄く記されていた。現代のリスカスでその文字を理解出来るのはブロルと、彼と共に暮らしたエイロンのみ。彼がどこまで先を見越していたのかは分からないが、結果としてその作戦は功を奏した。『イアン・レット、別荘、罪の証拠』。暗号はそう示していた。
「ああ。イアン・レットは、現在獄所台に所属する医務官ガミック・レットの弟だ。宝石商で、ガイルス家とも浅からぬ繋がりがある。そして独身。だからあのパーティーにも出席していた。そしてガミック・レットは……」
「クーデター実行犯の遺体の検案を担当し、監禁後のエイロンの主治医となり、かつパウラ・ヘミンの死亡診断書を偽造。加えて獄所台で亡くなった刑務官ロイ・エランを自殺と判断した医務官」
ルースが言葉を継ぎ、顔をしかめた。
「現時点で我々はガミックに手を出せませんが、セレスタが尋問で何か吐けば、正しく裁かれるはずですよね」
「それを確実にするには、自白以外の証拠もあった方がいいけどな。パウラ・ヘミンの死亡診断書は入手済みだ。ロイ・エランに関しては、彼の死に関わったであろう同僚のケース・リービーが獄所台に捕まっているから、何かしら証拠は出る。お前が入手したロイ・エランの日記帳もある。
エイロンの件は近衛団に任せるとして……今日は本当に忙しい。今夜にもロット隊長らは獄所台に送らなければならないし。第一隊の隊員たちには言ってあるのか?」
ルースは首を横に振った。
「僕らはもう彼に会うことを許されませんし、あえて伝えていません。悲しくなるだけです。エーゼルなんて、兄のアーレンも移送されるんですから。今晩のことはウェイン団長に任せようと思います」
「そうか。……状況が少し落ち着いたら、お前も大切な人のところへ行って心を休めるといい。カイみたいにな」
自分も早く大切な人に会いに行きたい、というのは胸の内に秘め、エスカはルースの肩を叩いて去っていった。