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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
四章 闇の果て
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53、助言

 夜が明け、空が白み始める。カイは薄暗い自室でベッドから起き上がり、寝癖だらけの頭を掻いた。昨夜ベッドに入ったのは日付を跨いでからだったが、その割にはよく眠れたような気がする。

 時計を見ると5時だった。今日は非番だと言われているから、まだ寝ていても問題は無い。しかし彼は手早く着替えを済ませ、制服のスラックスにシャツ姿で静かに部屋を出た。廊下は思いの外寒い。くしゃみを噛み殺し、共同の洗面所に向かう。

 ぱしゃぱしゃと水音がした。洗面所には先客がいるらしい。ドアの隙間から覗いてみると、蛇口がいくつも並ぶ流し台で一つだけランプの点いている場所がある。そこで同じくシャツ姿のエーゼルが顔を洗っていた。彼も非番のはずだが、と思いながらカイは横に並び、声を掛ける。


「おはようございます。早起きですね」


「あ……、カイか。おはよう」


 エーゼルは鏡に映ったカイをちらりと見て、タオルで顔を拭いた。


「そっちこそ早起きだな。眠れなかったのか?」


「いえ。結構寝たと思うんですけど」


 蛇口を捻り、カイも顔を洗った。固い蛇口、細かなタイル張りの流し台、凍えるように冷たい水。久し振りに感じた日常にどこかほっとする。

 前日までの出来事が遠い日々のように思えた。パーティーは終わり、セレスタは確保され、エイロンと共に獄所台に送られた。街に潜んだ同盟も確保された。細かな後始末はあるとしても、自警団には束の間の平穏が与えられたのだ。


「エーゼルさん」


「ん?」


「非番って言われても、何したらいいか分かりませんよね」


「まあ、そうだな。二人揃ってこんな早くに起きてるくらいだし」


 エーゼルは笑って、台の縁に寄り掛かった。


「今まで働き過ぎたんだよ、俺たち。急に何もしなくていいって言われると困るくらいには。……それよりさ、カイ」


 彼の顔が微かに緊張したようだった。


「はい」


「俺、ちゃんと謝ってなかったよな。お前が入隊してから散々、意地の悪いことしてたの」


「確かに。俺のこと小突いたり暴言吐いたりしてましたもんね。『チビ』とか『根性無し』とか、『さっさと辞めちまえ』とか? もっとひどいのありますよ、『第一隊の面汚し』……」


 カイがあっけらかんと話すと、エーゼルは両手で顔を覆ってしまった。


「……ほんと、ごめん。普通に考えて最低だ。俺もどうかしてた」


「大丈夫ですよ。傷付いてはいないです。ムカついてただけなんで」


 カイは笑った。エーゼルが自分にきつく当たった理由も、彼の過去を知った今なら理解出来るからだ。


「それにエーゼルさん、何回も俺のこと助けようとしてくれましたし。本当は優しいってこと、分かってます。先輩として見習う部分も沢山ありますから」


「本当に……?」


 エーゼルは手を離し、まじまじとカイの顔を見た。カイは頷き、真顔になってこう言った。


「だから仕返しさせて下さい。弱いものいじめしてんじゃねぇよ、小心者。みみっちいクソ上司。ばーかばーか」


 突然の暴言に、エーゼルは面食らった顔で固まったのだった。


「今ので帳消しにします。言われた方の気持ち、分かりましたか?」


「ああ。もう二度と言わない。申し訳なかった」


 本気で凹んだような声を出し、エーゼルは項垂うなだれた。カイの方は早朝からこんなやり取りをしていることがおかしく、くすくすと笑いを漏らしていた。


「俺、エーゼルさんのこと嫌いじゃないですよ。本当に」


「……お前、やけに素直になったな」


 エーゼルが不思議そうにカイを見つめた。


「ロット隊長に言われたんです。素直になれって。その方が楽だって、最近ようやく分かったので。一生懸命俺のことを知ろうとしてくれる人もいるし」


「フローシュお嬢さん?」


 カイが間一髪で彼女を助けたという話は、エーゼルも仲間から聞いていた。二人がいい雰囲気だったということもついでに。

 いつものカイならむきになって反論するところだが、今日は違った。彼は静かに頷いた。


「戦友になら、弱いところを見せられるんじゃないかって言ってくれたんです。俺が心を開くのを、ずっと待ってるって」


「幸せ者だな。それで話したのか、色々と」


「いえ。昨日は余裕も無かったし、俺も何から話すべきなのか整理が付いてないので。……正直に言うと、怖いんですよ。フローシュの前で馬鹿みたいに泣いたりするんじゃないかって」


「馬鹿みたいに泣けばいいだろ。いくら魔導師でも、16歳なんてまだ子供なんだから」


 エーゼルは笑った。


「それで前に進めるなら、頼ればいい。思ったけどさ、お前は笑ってる顔の方がいいよ。しかめ面よりは全然。クソ上司からのアドバイスだ」


 そう言ってカイの肩を叩き、洗面所を出ていこうとした。カイは微笑み、その背中に声を掛ける。


「ありがとうございました。エーゼルさん、ユフィさんと進展があったら教えて下さい」


 後ろ姿でも、彼の耳が赤くなるのが分かった。


「お前……っ、後で覚えとけよ」


 そんな捨て台詞を吐いて、エーゼルは振り返らずにドアを出ていった。



 朝食を終え、カイは第一隊の隊長室に向かった。フローシュの所へ行くにあたって、念のため許可を貰おうと思ったのだ。

 部屋に入ると隊長の席にはウェインが着き、その机の前にルースが立っていた。


「カイ。非番だって言ったのに、まったく」


 ルースが呆れた笑いを漏らし、ウェインもにこやかな表情になった。ウェインとは面と向かって話したことのないカイだが、彼の人柄は何となく分かった気がした。


「何か用かな、仕事中毒の少年」


 ウェインがお茶目に言った。


「はい。これからフローシュ・デマンの所へ行こうと思って、その許可を貰いに」


 カイが答えると、ウェインはじっと彼の顔を見つめた。


「……真面目だね、君は。非番の日に恋人と会うのに、わざわざ上官の許可を得るなんて」


「恋人ではありません」


 カイは微かに頬を染めて反論し、すぐさまルースを見た。少し素直になったとはいえ、恋人という響きはさすがに恥ずかしかったらしい。


「副隊長、変なこと言いましたね?」


「僕は見たままを報告しただけだよ」


 ルースは笑いを噛み殺しながら言った。あっという間にカイがむくれ顔になった。


「……許可は頂けないんですか」


 ウェインに視線を戻し、ぶっきらぼうに尋ねる。近衛団員ですら畏怖する彼にこんな態度を取れるのは、自警団の中でも恐らくカイだけだ。


「もちろん許可するよ。楽しんでおいで」


 まるで孫を愛でるような口調で、ウェインは答えた。


「若いうちに色々と経験することは大切だ。ああ、もちろん節度は保ってだがね。第一隊長代理から、部下への助言だよ」


 節度って何の節度だ、とカイは思ったが、口にはしなかった。それよりも気になることがある。


「団長は、このまま第一隊長になるんですか?」


「これはこれでやりがいもあるんだが、そうもいかないな。私は引き続き、団長として裏に引っ込んでおらねばなるまい。新しい隊長が誰になるのか、気になるか?」


「あー……」


 気になるといえば気になる。隊長によってその隊の色が決まるといっても過言ではないからだ。第三隊を見ているとそれが良く分かる。隊員たちは、上から下まで乱暴者だ。


「怒鳴る人でなければ、誰でもいいです」


 正直に答えると、ウェインもルースも吹き出した。


「ははっ。なるほど、参考にしよう。行っていいぞ、カイ。フローシュお嬢様も待っているだろうからね」


「はい、失礼します」


 カイはきっちりと敬礼し、部屋を出ていった。ウェインはそれを見送り、ルースに向き直った。


「いや、面白い少年だ。彼なら誰が隊長になっても、上手くやっていくだろうね」


「実際、次の隊長を誰にするかは考えておられるんですか?」


「そうだな。学院の教官に戻ってきて貰う手もある。経験と知性、剣術の腕、信頼……、君の二年次の担任だったオリバー・ストランドなど、適任だと思うがね」


「ストランド教官ですか?」


 ルースは少々、渋った。


「確かに素晴らしい魔導師だとは思いますが……」


「やりにくいだろうねぇ、君は。元担任の下で副隊長というのは。しかしまあ、これを考えるのはもう少し先だ」


 ウェインが真顔に戻り、空気がぴんと張った。


「君とカイとエーゼルは今後、エイロンの件で獄所台の聴取があるわけだが、私はそれが心配でね。聴取という名の尋問であることは疑う余地もない。……訓練で、魔術での尋問の被験者にはなっているね?」


「はい、三人とも」


「受けた後の様子はどうだった?」


「全員、吐きました。秘密ではなく、その……胃の内容物を」


 ルースは苦い顔になった。初めて尋問を受けた時のあの気持ち悪さは、今でも鮮明に覚えている。魔術での尋問は、思わず嘔吐してしまうほどの負の感情で心を支配されるのだ。


 ――今は魔導師相手だから、少し強目に魔術を使った。やられる方の気分もちゃんと味わわないとな。秘密は吐かせるが胃の中身は吐かせない、そのくらいの魔術の強さで尋問出来なければ、一人前の魔導師とはいえない。


 バケツを抱えて苦しそうに咳き込む新人のルースに、涼しい顔でそう言ったのは確か、エスカだった。そして数年後に同じ台詞を、ルースはエーゼルとカイに言ったのだった。


「そうか……。獄所台の審理局で行われる尋問はその比ではない。参考人として呼ばれるのだから、ひどい扱いはされないと思うのだが」


 ウェインは難しい顔で、顎を触った。


「尋問の魔術はすなわち過去の記憶を掘り返す魔術だ。何かのきっかけで、()()()()()まで紐付けて思い出してしまうかもしれない」


「例えばカイだと……、父親の死に関してでしょうか」


「君は賢いね、ルース。その通りだ。最も辛かった時期の、最も苦しい記憶がまざまざと甦るかもしれない。そうなれば確実に、その後に影響は出るだろう。だからこそ」


 ウェインは机の上に目を落とす。隊員たちの霊証れいしょうを示す地図が広げてある。霊証、つまり各隊員の居場所を示す点が、あちこちで動いていた。カイの霊証は、早速本部を離れデマン家の屋敷に向かっていた。


「フローシュ・デマンのように、カイが心を開ける存在は必要になる。……不思議なものだが、あの少年ならきっと大丈夫だという気がしてくるね。案外、我々は見守るだけでいいかもしれない」


 そう言って、彼は表情を和らげた。


「人の痛みを誰よりも知っている子です。僕らが思うより、ずっと強いのかもしれません」


 ルースは地図を見つめた。恐らく全力疾走しているくらいの早さで、カイの霊証はフローシュの元へ向かっていく。なんと分かりやすいのか。ルースは思わず、ふっと笑いを溢したのだった。

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