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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
四章 闇の果て
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51、一線

 クロエは医務室の中をそわそわと歩き回りながら、壁の時計に目を遣った。時刻は間も無く21時を回ろうとしている。

 ガイルス家での作戦に参加した隊員たちは、20時頃には全員無事に帰ってきていた。彼らは負傷したフィルとカレンを医務室に届けると、また任務に戻っていった。

 エディトとレンドルも来たが、彼らもまた、眠っているウィラを預けるとすぐに帰っていった。医務室は静かで落ち着いているが、向こうはまだまだ忙しいらしい。


「クロエ」


 ベッドから身を起こした寝間着姿のフィルが、彼女を呼んだ。


「……どうしたの? 痛む?」


「いや、俺は別に元気だけど。クロエが元気ないように見えたから。カイも無事に帰ってきたのにさ」


「え、うん」


 クロエは口ごもった。カイが無事だったのはもちろん嬉しい。しかし、街に同盟を掃討しにいった隊員たちは、まだ誰一人として帰ってきていないのだ。


 ――そんなに心配するなよ。俺自身が心配してないんだから。もし怪我したら、クロエに治してもらえばいいし?


 フローレンスは出発前に、そう笑っていた。クロエの頭にはどうしても、オーサンをガベリアヘ見送ったときの光景が浮かぶ。俺もカイもちゃんと帰ってくるから、心配するな……その言葉を信じていたのに、彼は帰ってこなかった。あれが最後になってしまった。


「……クロエ、クロエってば」


 フィルに腕を揺さぶられて、クロエは我に返る。彼は心配そうに顔を覗き込んでいた。


「大丈夫か?」


「ごめん……。ちょっと休憩してくる」


 クロエが早足に医務室を出ていくその背中を、フィルは微かに胸の痛みを感じながら見送った。同期は皆、多かれ少なかれオーサンの死から調子を崩している。表向きは普通に振る舞っていても、ふとした瞬間あんなふうに虚空を見つめていたりするのだ。

 それはフィルも同じで、そのまましばらく医務室の入口を呆然と見つめていた。そして、そこを入ってきたエスカと思い切り目が合った。

 エスカは真っ直ぐにフィルのところへ来ると、唐突に彼の額に触れる。フィルは力が抜けたように後ろへ倒れ、枕に頭を預けた。


「……何するんですか、隊長」


「安静にしろと言われただろう。ここの医務官が言う安静は、枕から頭を浮かせるなって意味だ」


 エスカはぴしゃりとそう言ってから、フィルに布団を掛けてやった。


「大丈夫か? さっき、魂が抜けたみたいな顔してたぞ」


「大丈夫です、寝起きだっただけです」


「そうか。……辛いときは、無理するなよ」


 それ以上は何も言わず、エスカは隣のベッドに向かった。そこで眠っているのはカレンだ。彼は気配を感じたのか、ぱっと目を覚ましてエスカを見た。


「隊長……」


「お前はしばらく副業禁止だ、カレン」


 エスカの厳しい声が飛んだ。


「執事として必要以上にアルノ・ワースと親しくなっただろう。何をやっているんだ。お前の正体を知った彼は相当落ち込んで、泣いたらしいぞ」


「アルノ坊っちゃんに、本当のことを?」


「当然だ。潜入任務は終わったわけだからな。お前はもう第二隊のベテランなんだから、分かっているはずだ。俺たちは時として良心的な人間を騙し、利用する。だからこそ潜入先の相手との関係には線引きが必要になる。

 アルノはお前を無二の友人のように思っていたと言った。その友人に騙された、利用されたと知って傷付かない人間がいるか? お前たちの関係性を知らずに指示を出した俺にも責任の一端はあるが、これだけは覚えておくんだ。任務だからと人を傷付けることに慣れてはいけないし、そういう状況を作ってもいけない」


「……はい」


 淡々と話すエスカに、カレンは返す言葉がなかった。一から十までその通りだった。まだ執事とその主人という関係性であれば、アルノもそこまで傷付きはしなかったのかもしれない。何度もワース家に入り込んだせいで、次第に心を通わせてしまったのがいけなかったのだ。

 それを聞きながらフィルは、自身の行動を振り返ってみた。デマン家に潜入してからセオとは一線を引いて接していたつもりだが、彼の方は違ったのだろうか。もし心を開いてくれていたのだとしたら、彼も今回の潜入が明らかになって傷付く一人かもしれなかった。

 エスカは息を吐き、表情を和らげた。


「アルノ・ワースとのこれ以降の接触は禁止だが、向こうが希望するなら別だ。お前と話がしたいと言っているようだからな。彼はもうしばらくデマン家に滞在するそうだ」


 そう言い残し、医務室を出ていった。


「……反面教師にするといいよ、フィル」


 隣から視線を感じたカレンは、天井を見つめたまま苦笑混じりにそう言った。


「隊長の言う通りだ。僕は基本的なことを忘れていた」


「いえ、俺も反省するところがありました。……エスカ隊長も、あんなふうに説教するんですね」


「そうだな。今までは説教をするといえば、イーラ隊長だったから……」


 カレンの言葉が沈んでいき、それ以上は無言だった。フィルも、自身がイーラに説教を食らったときのことを思い出す。一度や二度ではない。何か失敗する度に、魔導師とは何か、第二隊の役割とは何かを淡々と諭された。しっかりとへこんだその後に、いつもフォローを入れてくれたのがエスカだった。


 ――イーラ隊長があれだけ厳しくするのは、俺たちがどこよりも人の心を利用する隊だからだ。容姿で惑わせたり、言葉で懐柔したりしてな。ただ、それが必要悪だとおごり高ぶって人を傷付けるな。隊長はそれを言いたいのさ。最終的にはそれで、お前たち自身が傷付くのを知っているから。部下を思っての厳しさだ。知らないかもしれないが、叱る方も辛いんだぞ。


 そう言って最後は笑うのだった。叱る方も辛い。まさに今、エスカがその役割になっている。フィルは彼の心境と、イーラの今後を思い、また胸が痛くなった。色々な事が重なり過ぎて、彼の考えは最早ここに集約されていた。


(魔導師って、辛い……)


 じわりと滲んだ涙を見られないように、フィルは寝返りを打ち、枕に顔を押し付けた。



 本部玄関前の広間はしんと静まっていた。クロエは正面階段の端に腰掛け、ぼんやりと玄関扉を眺めている。きっともう少し、あと五分……。その扉が開いて、待ち人が帰ってくるのを待っていた。

 不意に、廊下の奥から人の声と足音が近付いてきた。本部にいた隊員たちがぞろぞろと広間に現れ、扉の前に待機する。あっという間に人垣が出来る。クロエは思わず立ち上がり、ルースの姿を見付けて駆け寄った。


「ルース副隊長。みんな、帰ってくるんですか?」


「うん。とりあえず全員生きてるって。確保した同盟の人間も連行してくるから、君は下がっていた方がいいよ。危ないから」


 ルースはクロエの肩をぽんと叩き、人垣の前へ進んでいった。クロエは言われた通り端に寄り、つま先立ちで前を覗く。

 フィズの怒鳴り声が外から響いて来る。次いで扉が開き、隊員たちと、彼らにロープで捕縛された犯罪人たちが流れ込んできた。かなりの数だ。歓声が一瞬だけ上がり、その後は粛々と、隊員たちが犯罪人を地下牢へ連行していった。

 同盟の確保に参加した隊員たちは、所々傷を負っていた。外套に孔も開いている。銃撃戦になったのは間違いなさそうで、クロエは不安になった。フローレンスの姿が見当たらない。さっきのごたごたで見過ごしただけだろうか。


「怪我した奴はさっさと医務室に行け! あとの奴は食堂に行って交代で飯を食え! まだまだ忙しいぞ!」


 フィズが怒鳴る。広間に残った隊員たちは散り散りになっていく。クロエは周囲を見るが、やはりフローレンスはいない。


「俺ならここにいるけど」


 背後から声がし、クロエはすぐさま振り返った。頬に擦り傷の出来たフローレンスがそこに立っていた。


「……顔、怪我してるじゃないですか!」


「だから、クロエに治してもらおうと思って」


 フローレンスがにやりと笑う。


「ピアスが引っ掛かって、耳たぶも千切れたんだよね」


 軽い調子で、彼は恐ろしいことを言うのだった。


「見せて下さい、治します」


 クロエは少し震えた声で言って、彼の頬と耳に触れた。あっという間に傷は消えたが、彼女の手はすっとフローレンスの胸元に当てられたまま、離れなかった。


「……カイに見られたら、俺、殺されるかもなぁ」


 フローレンスは優しくクロエの頭を抱き寄せ、そう言った。


「そんなに泣くなよ。心配してくれたんだな」


「当たり前じゃないですか。命懸けの作戦だったんですから」


 涙声が答える。


「自警団はいつでも命懸けだぜ。あ、だから世間じゃ結婚相手には絶対選ばれないって言われるのか。毎回こんなに心配させてたらそうもなるよな。俺がモテないのも納得だ」


「フロウさんがモテないのは、ピアスが多すぎるせいですよ」


 顔をフローレンスの胸に埋めたまま、クロエが思わず笑った。


「クロエは嫌いか? ピアス」


「許せるのは両耳くらいです」


「じゃ、外すよ。鼻と唇のやつは」


「え?」


 クロエが顔を上げた。泣き濡れたその顔を見て、フローレンスは笑った。


「俺だってモテたいし。誰にとは言わないけど」


「フロウさんは中身が素敵だということ、その人に伝わるといいですね」


 クロエも屈託なく笑った。あ、とフローレンスは直感する。この子、恋愛に関しては相当鈍い子だなと。心配して泣いてくれたのも、恐らく友情の延長みたいなものだ。


「そうだな。とりあえず今は、その人が笑ってくれてたら嬉しいよ」


 フローレンスはクロエから手を離し、一歩下がった。このままだと勢いで本心を伝えてしまいかねない。少なくとも今はまだ、不安定な彼女の心に付け入る真似はしたくなかった。相手は子供で、こちらは大人なのだ。


「じゃ、まだ仕事残ってるから。治療してくれてありがとう!」


 そう言って軽く手を上げ、走り去った。クロエは彼の気持ちを知ってか知らずか、笑顔で彼を見送っていたのだった。

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