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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
四章 闇の果て
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49、蚊帳の外

「合図だ」


 別館の屋上に待機していたカイは、空に弾けた青白い花火を見て声を上げた。セレスタの確保は喜ばしいことだが、それより何より心配なのはフローシュのことだ。何者かに刺されたらしいフィルのことも気にかかる。

 はやる気持ちで屋上のへりに足を掛けたところで、先輩の隊員に肩を掴まれた。


「おい、早まるな。ちゃんと副隊長の指示を聞け」


 確かに、まだルースから作戦実行の合図は出ていなかった。総勢14名の隊員たちはその場に待機したまま、じっと彼を見ている。


「今、揺れたな」


 ルースは同意を求めるように隊員たちの顔を見た。カイも、今しがた建物が微かに震動したのを感じた。中で何かが起きているのか、先程まで漏れ聞こえていた音楽もぴたりと止んでいる。パーティーが始まって十分ほど経っているが、音楽が止むにはまだ早い時間だ。


「この建物に爆発物はないとの情報だったが……その可能性もある。各人、場合によっては屋敷の中にいる人間の避難と誘導を。ニール、病院と医務室にナシルンで状況を送ってくれ。怪我人が多数いるかもしれない。ファルンとワイスマンの確保は最優先だが、とにかく死ぬな、そして死なせるな。降りるぞ」


「了解!」


 ルースの指示で、全員が素早く正面玄関の前に降り立った。屋敷の使用人が何人か、転げるようにそこを飛び出してくるところだった。


「あぁ……!」


 その内の一人が、突如現れた自警団の姿に目を白黒させながら上ずった声を出した。


「た、助けて下さい! 大広間の中に人が、扉が開かなくて、あの」


「落ち着いて下さい。広間で何があったんですか」


 ルースの問いに、別の使用人が答える。


「火事です! 扉の向こうで叫んでいました、火の海だ、みんな死んでしまうって!」



 広間の床には巨大なシャンデリアの残骸や天井の破片が積み上がり、そこから激しく炎が上がっていた。四方に火の粉が散り、テーブルクロスが、部屋の壁が次々と燃え上がっていく。煙が視界を奪っていく。

 人々は扉に群がり、悲鳴を上げながら我先に外へ逃げ出そうとしていた。燃える残骸の下に、自分たちを助けようと犠牲になった者がいるとは知らずに。

 中央に吊るされたシャンデリアが落下したのは突然だった。その瞬間、そこでダンスを踊っていた人々は全て、見えない何かに壁際まで突き飛ばされた。震動と轟音、そしてそこから炎が上がるまで、ほんの数秒のことだった。


「……ウィラっ!」


 アルノが叫び、燃え上がる残骸に向かおうとして近くの男性に腕を掴まれた。


「やめろ、死ぬぞ!」


「あの下に人がいるんだ!」


 アルノが腕を振りほどく。彼が発狂していると思ったのか、男性はそれでも食い下がり、炎を指差して怒鳴った。


「落ち着け! 見て分かるだろう、あれでは――」


「知るかっ!」


 アルノは怒鳴り返して炎に近付いた。熱風が頬を撫で、足をすくませる。声を振り絞ってウィラの名を叫ぶ。彼は見ていたのだ。シャンデリアが落下した瞬間、魔術で人々を、そしてダンスの相手をしていた自分を安全な位置まで弾き飛ばした彼女を。

 この巨大なシャンデリアの重さがどれほどかは分からない。しかし、大理石の床が砕けるほどの衝撃があったことは確かだ。生身の人間が下敷きになって無事であるはずがないし、ましてや炎に包まれている。それでもアルノは、彼女がまだ生きていると信じていた。

 アルノがもう一度名を叫ぶと、炎の中で何かが動く。次の瞬間火だるまになった人影が飛び出し、床に転がった。火はすぐに消え、そこにウィラの姿が現れた。


「……ウィラ!」


 アルノは驚愕しながらも駆け寄った。彼女の水色のドレスは焼け焦げ、何ヵ所か痛々しい火傷を負ってはいるが、あの炎の中にいたと考えれば十分に無事と言える状態だった。魔術のおかげだろう。床に這いつくばって苦し気な息を吐きながら、ウィラは薄目を開けて彼を見た。


「しっかりしろ」


 アルノはすぐにウィラを抱え上げ、辛うじて火の回っていない場所へ移動した。それから彼女を床へ下ろし、そっと上半身を抱き起こす。


「あぁ、良かった。生きて……るか? ウィラ、返事を」


「生きてますよ……」


 ウィラはそう答え、閉じかけていた目蓋を何とか引き上げた。煙が充満していく中、人々がいくつかある扉を必死に叩いている様子が目に入る。建物の中心にあるこの広間には、窓というものがないのだ。扉を塞がれれば逃げ道はない。


「扉は、魔術で鍵が?」


「恐らく。一体誰の仕業なのか……。僕はどうすればいい? 魔力は無いけど、君を助けたいんだ」


 アルノは真剣な顔でそう言った。彼は自由奔放で少し抜けている三男坊、とカレンからこっそり聞いていたが、ウィラは違った印象を受ける。こんなふうに追い込まれた場面でも、取り乱すことなく行動出来る人間のようだ。


「大丈夫、外に自警団がいるはずです。いずれ扉は開きますから、とにかく火を消しましょう。グラス一杯分の水があれば、私が何とかします」


「分かった。水差しがあったはずだ」


 アルノはテーブルの方へ走り、倒れてひびの入った水差しを手に戻ってきた。ウィラはふらつきながら体を起こし、それを受け取った。炎の中から脱出する際にかなりの魔力と体力を消耗している。ここでまた魔術を使えば、気絶するのは必然だ。


「私の体を支えてもらえますか。それだけで十分です」


「君に危険はないのか?」


 言われた通りにしながら、アルノが心配そうに問う。


「危険だとしてもやらなければ。魔導師として、人の命を見捨てることは出来ません」


 ウィラは毅然と答え、水差しの水を床に撒いた。それからその上を撫でるように素早く手を動かす。床の水が、一瞬にして消えた。


「いきます、目と口を閉じて。加減は出来ません」


 ウィラはその手を前に突き出し、強く拳を握った。微かな破裂音の後、アルノは凄まじい勢いで全身に冷たい霧を浴びたように感じた。慌てて目を開けると、驚いたことに広間の炎は全て消え、所々で蒸気のような煙が上がっていたのだった。


「すごい。……あ」


 見れば、ウィラはアルノの腕の中で気を失っていた。誰かが叫ぶ声がし、広間の扉が開く。そこで押し合いへし合いしていた人々は勢いよく外へ流れ、入れ代わるように自警団の隊員たちが中へと駆け込んで来る。近衛団員の臙脂色も何名か混じっているように見えた。


「こっちです! 怪我人が!」


 アルノが大きく手を振ると、すぐに二人の近衛団員が彼の元へ駆け寄ってきた。エディトとレンドルだ。エディトはウィラの側に屈んで彼女の傷を観察した後、首元に光るネックレスを見つめた。


「……彼女の任務は無事に遂行されたようです。自警団本部の医務室に運びましょう」


「ええ」


 レンドルがさっとウィラを抱えて立ち上がるのを、アルノはただぼんやりと眺めていた。彼女の任務とは何だ。この人たちは何故これほど冷静でいられるのだ。さっきまで自分が必死にウィラを助けようとしていたのに、急に蚊帳の外になった気分だった。


「……あの、彼女は大丈夫ですよね?」


 やっと言葉を絞り出すと、エディトがこう答えた。


「心配いりませんよ。ウィラを助けてくれて、ありがとうございます。しかし……」


 変わり果てた部屋の中をぐるりと見てから、エディトはまたアルノに視線を戻した。


「我々の任務に巻き込んでしまったことをお詫びします。いずれあなたにも、説明出来る日が来るでしょう。では」


 エディトは背を向け、ウィラを抱えたレンドルと共に行ってしまった。残されたアルノは呆然としつつ、自警団の隊員に連れられて広間を出る。そこでやっと、自分が一緒にパーティーに来たはずの面々がいないことに気が付いたのだった。



 カイは青白く発光する燕を追って、別館から本館へ繋がる中庭の通路を走っていた。事前にフィルを通じて預かっていたフローシュの髪の毛に、追跡の魔術を使ったのだ。カイの魔術では速度が遅いから、術を掛けたのはルースだった。


「どこ行ったんだよ……」


 燕は本館の外壁を回り込んで裏手へ飛んでいく。フローシュが一人で逃げたにしてはおかしなルートだった。別館の廊下でファルンが倒れていたのを発見しているから、今フローシュに何か手を出すとすればワイスマンだ。彼の姿は広間には無かった。

 建物裏手の壁には、使用人の通用口のような扉があった。魔術で開閉する南京錠が外され、地面に落ちている。燕は扉の中へ入っていき、カイもそれを追った。

 中は狭く、木製の螺旋階段が円筒の壁に沿って上へ上へと続いていた。先は見えない。壁のランプが点いているところを見るに、今しがた誰かが通ったのは間違いないようだった。

 カイは警戒しながら階段を駆け上がった。薄闇の空間に足音がうるさく反響し、焦燥感を煽る。ワイスマンは一体、彼女に何をする気なのだろうか。


(これ、どこに繋がってるんだ……)


 少し息が切れたところで階段の終わりが見える。カイは最後の数段をすっ飛ばし、目の前に現れた扉を押し開けた。


「な……」


 そこに広がった光景に鼓動が激しく乱れたのは、階段を全力で走ってきたからではない。四方を壁に囲まれ、ガラス張りの天井から月光が降り注ぐ広い空間。その床を一面覆い尽くすのは、鮮やかな黄色い花を咲かせた植物――メニ草だった。

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