44、無事を願う人
パーティーの当日、自警団本部には朝から緊張感が漂っていた。食堂で隊員たちの様子を見ていたユフィにも、今日は何かがあるのだと察しが付くほどだった。
彼女は厨房の中から、視線だけでエーゼルの姿を探す。3日前の夜に話して以降、食堂には来るが一度も言葉を交わしていないのだ。声を掛けようとしても、するりと避けられてしまうのだった。
任務に集中しているのだとしたら、邪魔をしてはいけない。分かっていても、あの夜の態度が不可解で気になってしまう。自分が何か気に障るようなことを言ったのかと、ユフィは何度も考えては否定した。あの日は当たり障りの無いことしか話していないではないか、と。
(あ、いた……)
ユフィは隅の方のテーブルにエーゼルの姿を見付けた。何人かの隊員と一緒に黙々と食事をしている。他の人の前で声を掛けるのは、きっと迷惑だ。そう考えている内にエーゼルは立ち上がり、空になった食器を手にカウンターへ歩いてくる。下膳口にそれを置くと、彼は一瞬だけ厨房の中を見た。ユフィと目が合った。しかし、そのまま早足に食堂を出ていってしまった。
「……すみません、ちょっとお手洗いに!」
厨房の人間にそう言うと、ユフィは急いで彼を追いかける。廊下の先にその背中を見付け、駆け寄った。
「エーゼルさん!」
エーゼルは立ち止まり、驚きの表情で振り返った。
「ユフィさん。どうしたんですか」
「どうしたんですかって、こっちの台詞ですよ」
ユフィは息を整えながら、強い視線を彼に向けた。エーゼルは明らかにたじろいだ様子で、目を伏せた。
「この間、私、何かあなたの気に障るようなことを言ったんですか? はっきり言って下さい。謝ります」
「違いますよ。そんなことはないんですが……、ちょっとこちらへ」
見られて困ることではないが、周囲の目が気になる。エーゼルはユフィを連れて図書室へ向かった。思った通り、そこに隊員は誰もいなかった。
ユフィは天井まで届く本棚と、そこに並ぶ大量の書物を見回して感嘆の息を漏らす。それから、はっとしてエーゼルに視線を戻した。
「エーゼルさん、あの夜に一体――」
「急に怖くなったんです」
エーゼルはユフィの言葉を遮った。
「私のことをあなたに知られるのが。変な態度を取ってしまったことは、申し訳ないと思っています」
「つまり……、私が、エーゼルさんの話ならどんなことでも聞きたいなんて言ったからですね?」
ユフィの胸がちくりと痛んだ。どんなことでも聞きたい、それはお世辞ではなく本心だった。それを拒否されたように感じたからだ。しかし、エーゼルは首を振って否定した。
「あなたのせいじゃない。私がまだまだ、人として未熟なだけです。それだけははっきり言っておきたかった。……では、任務があるので」
背を向けたエーゼルの腕を、ユフィは咄嗟に掴んでいた。
「危険な任務なんですよね」
「え?」
思わず、エーゼルは彼女に向き直った。そして真っ直ぐに見つめ返してくる彼女の目に、どこか既視感を覚える。嘘偽りなく人と向き合おうとする目。そう、カイと同じ目をしているのだ。それに気付くと、何故か視線を逸らせなくなった。
「皆さんの様子を見ていたら分かります。今日、何かあるんですよね」
「確かにありますけど……、詳しくは話せません。ユフィさんは今まで通り、本部から出ないで下さい。そうすれば安全ですから」
「自分の心配をしているんじゃありません。私はエーゼルさんが心配なんです!」
ユフィの声が震え、その目にじわりと涙が滲んだ。予想もしない反応にエーゼルは驚き、彼女の顔をただ見つめるしかなかった。
「魔導師の仕事がいつでも命懸けだっていうことは分かっています。店が襲われた日のこと、私だって忘れていませんから。だけど、今日はもっと危険なんですよね?」
「……」
エーゼルは、はっきり違うとは言えなかった。彼は第三隊と一緒に同盟の掃討作戦に参加する。いわば戦闘の最前線だ。死ぬつもりは毛頭無くても、向こうの出方次第ではそうなるかもしれない。
「行かないで欲しいなんて馬鹿なことは言いません。ただ、無事に帰ってきて下さい」
ユフィはエーゼルの手を取って両手で握ると、言葉に熱を込めた。
「それで……帰ってきたら聞かせて下さい。エーゼルさんのこと」
「どうしてそんなに、私を気に掛けてくれるんですか?」
鈍感なエーゼルはここまでされても気が付かないらしい。そんな彼には、はっきりと物を言えるユフィのような女性が必要なのかもしれなかった。
「あなたのことが好きなんです」
「……え?」
その言葉を理解したエーゼルが耳まで赤くなるのに、三秒と掛からなかった。そしてそれは、ユフィも同じだった。彼女はぱっと手を離し、数歩後ずさる。
「あのっ……、ごめんなさい。こんなときに。でも本当です。だから帰ってきて下さい。絶対にですよ!」
叫ぶようにそう言って走り去ってしまった。図書室には呆然としたエーゼルが一人残され、沈黙が流れる。
「いいなぁ」
背後から聞こえた声に、彼はびくりと振り返った。本棚の陰からブロルが顔を覗かせていた。
「ブロル……。いたのか」
どっと肩の力が抜けた。何故か、彼にだったら聞かれていてもいいという気分になる。
「僕は大体いつもここにいるよ。最近は図書室の主って言われ始めてる」
笑いながら側に来た彼に、エーゼルは尋ねた。
「いいなぁ、ってどういうことだ?」
「だってさ、あんなふうに好かれてて、無事を願って貰えるなんて幸せなことでしょ?」
「そうだけど……」
すぐにエーゼルの表情が沈んだ。
「彼女にはまだ話してないんだよ、兄さんのこと。それを知っても同じでいてくれるかどうかは、分からない」
「それが怖いの?」
「ああ。魔導師をやっているとよく分かるけど、犯罪者の家族って、その人自身に罪は無くても誹謗中傷されるのが常なんだ。ましてや兄さんは……十人も殺してる。事情を知らない人達にとっては恐ろしい大罪人だし、俺が弟だって分かれば、魔導師を辞めろって言う人間も必ずいる。そこにユフィさんを巻き込みたくない」
「巻き込まれるかどうかは、あの人が決めることだと思うけどなぁ」
ブロルは小首を傾げた。
「何も知らずに突き放されて、後から本当のことを知るのって、一番傷付くことだよ。君はちゃんと話すべきだと思う。その上で考えたらいいんじゃない? 好きなんでしょ、あの人のこと」
エーゼルは目をしばたいた。彼がこんなにも饒舌に話すとは思っていなかったのだ。
「……まあ、うん」
「それならやることは一つだね。無事に帰って来ること!」
ブロルはにこりと笑って彼の体を入口の方へ向かせると、その背中を両手でぽんと叩いた。
「行ってらっしゃい。怪我しないでね」
「……ありがとな、ブロル」
エーゼルは半分振り返り、微笑んでから図書室を出ていった。彼の姿が見えなくなってから、ブロルは真顔に戻り、側の椅子に腰掛けて項垂れた。
今朝方、彼はエスカに呼ばれてこんな話をされた。今夜セレスタを確保した後に、エイロンの遺体は獄所台へ送られることになる。そこから先、恐らく二度と彼を目にすることは叶わないから、会っておくかと。
魔術で保存し保冷庫に安置されていたといっても、エイロンの遺体は死後9日が経っている。決してそのままの状態というわけではない。それでもブロルは、会うと答えた。
保冷庫にはエスカとブロルの他に、ルースとレナの姿もあった。エディトとレンドルも来ていた。誰もが重い空気に黙り込む中、レナが棺の蓋をずらして中を確認した。
奇跡だな、と彼女は呟いた。その言葉通り、エイロンはまだ綺麗な姿を保っていた。まるで眠っているだけのようだ。自分が会いに来るのを待っていてくれたような気がして、ブロルは膝から崩れ落ち、慟哭した。ルースが頬に涙を伝わせながら彼の肩を抱き、エディトもレンドルも目を曇らせていた。
各々が最期の言葉を掛け、再び棺の蓋は閉じられていく。ブロルはエイロンの穏やかな顔を目に焼き付けながら、叫び出したいのを必死に堪えていた。
不意に、俯いたブロルの視界がぼやけた。
(もう少しで終わる。エイロンの苦しみがやっと報われる。分かってるんだけど、やっぱり辛いよ……)
瑠璃色の瞳から溢れた大粒の雫が、膝の上に弾けた。




