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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
四章 闇の果て
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43、前夜

 ガイルス家の別館では、明日のパーティーに向けて慌ただしく準備が行われていた。使用人たちがあちこちを駆け回り、執事のワイスマンが手抜かりがないか目を光らせる。大広間の中央にはダンスを踊るための広いスペースが設けられ、周囲には軽食を乗せるためのテーブルがいくつも並んでいた。

 当日は50名ほどの招待客が集まる予定だった。それぞれが執事や従者を連れて来るので、総勢で100名くらいにはなる。果たしてその中に、招かれざる人間がどれだけ紛れているのか……、ワイスマンはいぶかっていた。

 ガイルス家には誰も手出しは出来ないと分かっていても、警戒するに越したことはない。最も注意すべきはウィラ・レクールか。招待客ではあるが、現役の近衛団員だ。セレスタが言うように、エディトの差し金で何か探りに来ている可能性もある。

 フローシュに関しては手を回してあった。邪魔者のミスター・レンダーがパーティーに着いてこないよう、彼女の父親であるジェイコブ・デマンには釘を刺してある。しかし一人で行かせるのは不安だとごねたので、レンダーとあの口うるさい世話役の女以外なら許可すると伝えた。二人いる従者のうちどちらかを着けると言っていたが、あんな子供は敵の内に入らない。


「……そこ、テーブルクロスに皺を残さないように」


 ワイスマンが声を掛けるだけで、使用人たちはびくりと肩をすくめる。彼がユーシアにした仕打ちは、今や全員が知るところだった。

 ひとしきり指示を出すと彼は広間の奥の扉を抜け、薄暗い廊下を進んでいく。右に折れ、左に折れを繰り返し、ドアを開けて書斎のような部屋に入る。壁際の本棚をずらすと、2階へ続く階段が現れた。

 彼はそこを上り、廊下の先で突き当たったドアを開けた。窓の無い、広いベッドルームだ。家政婦長(ハウスキーパー)のエコルドがそこでベッドメイキングをしていた。


「……何かご用ですか、ミスター・ワイスマン」


 エコルドは手を止め、やや緊張した声音で尋ねた。


「いや、様子を見に来ただけだ。綺麗に整えてあるようだな」


 ワイスマンは部屋の中を一瞥する。中央にベッドだけがある部屋。机も本棚も、壁に飾られた絵画すらない。エコルドはごくりと唾を飲み、更に尋ねた。


「今回のパーティー、一般の客室だけで十分ではないのですか? どなたか、この隠し部屋をお使いに……?」


 客室だろうと隠し部屋だろうと、パーティーのときに中で行われることは同じだ。その後始末を担当してきたエコルドには嫌というほど分かっている。汚れたシーツは、力に屈した乙女の悲劇を物語る。


「他でもない、ファルン様が」


 ワイスマンはそう答えた。


「ファルン様が……? しかし婚約者のある身で、他の女性と――」


「問題ない。連れてくるのはその婚約者だ」


「フローシュ・デマン様ですか」


 エコルドは絶句した。理由は分からないが、ファルンはこれを機にまだ15歳の彼女に手を付けようとしているのだ。


「なりません、ミスター・ワイスマン。いくら婚約者でも許されません。お止めしなくては」


 彼女が必死になるのには訳があった。15年前にフローシュが生まれた頃、彼女はデマン家の使用人だったのだ。デマン家への不満は何も無かった。しかし使用人としてのタブーを犯してしまいそうになり、自ら辞したのだった。それから数年は遠く離れたガベリアの屋敷で働き、その優秀さでガイルス家に引き抜かれた。

 最初に声を掛けてきたのはこのワイスマンだった。今となっては、ぎょしやすい人間と見抜かれていたのだとエコルドは思う。その見立て通り、彼女はワイスマンには逆らえなかった。逆らえず、ファルンの悪事に手を貸してきた。


「お前の主人は誰だ、ミセス・エコルド」


 ワイスマンの声は冷たかった。


「セレスタ様であり、ファルン様だ。かつて仕えたデマン家の人間ではない」


「……っ!」


 エコルドは息を呑んだ。誰にも話していないことなのに、何故。


「何を驚く。使用人の経歴を調べるのは当然だろう? 私は全て把握している。執事に恋をして自ら身を引くとは、素晴らしい、まさに使用人の鏡だ。まだ生きていて良かったな……、ミスター・レンダーが」


「あなたは」


 エコルドの声が上ずる。目には怒りが燃えていた。


「人の道を外れてまで、何をなさりたいのですか」


「そこを歩きたくないだけだ。吐き気がする」


 ワイスマンはエコルドに歩み寄り、彼女の首を掴んだ。


「いいか。パーティーの邪魔をしてはならない。少しでも不審な真似をすれば、今度こそミスター・レンダーは殺す。辛いなぁ、ミセス・エコルド。報われない恋というものは」


 彼女を物のように床に投げ捨て、ワイスマンは薄笑いを浮かべて部屋を出ていった。

 エコルドの頭には、かつて自分に向けられたレンダーの笑顔と、無垢な赤子だったフローシュの姿が浮かぶ。どちらも守りたい。しかし、どちらかしか守れない。彼女は震える手で顔を覆い、己の立場の呪わしさに絶叫した。





 第三隊の会議室には隊員たちが集められ、そこにフィズの声が響いていた。


「前回は同盟への情報漏洩で出鼻を挫かれたが、今回は間違いない。地下に潜った奴らの居場所はきっちりと掴んでいる。セレスタ・ガイルスの確保と同時に、今度こそ同盟を根絶やしにする」


「やり過ぎたら、いつもみたいに第二隊からうるさく言われますかね?」


 隊員の一人が尋ねた。


「知るか。生きて証言が出来るレベルならいいだろ。とにかく、お前らは死ぬなよ! 一人もだ!」


 普段は滅多に聞かないフィズの激励に、隊員たちは騒がしく沸き立ったのだった。



 第四隊の会議室にも隊員たちが集められ、こちらはこちらで騒がしくなっていた。


「静かにするんだ、みんな。俺の髪なんてどうでもいいだろう……」


 ブライアンが呆れたように言った。彼を囲んだ隊員たちは、それでも押し合いへし合いしながら声を上げる。


「どうでもよくないですよ。だって、色が戻ってきてます!」


「本当だ! ほら、根元の方」


「え、見えないよ。何色? 何色?」


 彼らの顔は皆、嬉しそうだ。ブライアンは怒るに怒れず、隣にいる女性隊員、副隊長のレッタに困った顔を向けた。


「ほら、下がって。各班に分かれて最終確認! 特に住宅地は警戒して。同盟の流れ弾なんか当たったら、自警団の立場が無くなります」


 レッタは厳しい声で隊員たちを散らし、ブライアンを隅の方へ連れ出した。


「大丈夫です。明日の作戦については真面目に聞いていましたし、準備も抜かりなくやっています。みんな隊長を慕っているんですよ」


「でも下手を打てば命取りになるぞ。相手は同盟だ」


 ブライアンは険しい顔になる。今回の作戦で実際に同盟と一戦交えるのは、第三隊と第一隊の一部だ。第四隊は市民の保護が任務だが、銃や爆弾を使う相手に気を抜いてはいられない。


「隊長。やる気とか意欲とかって、どこから湧いてくるものだと思いますか?」


 レッタの問いに、ブライアンはすぐには答えられなかった。エヴァンズの下にいたこの数年、やる気も意欲も一切湧いたことが無かったのだ。彼による部下への被害が最少になるよう、ひたすら苦心するだけだった。思い返せば総白髪になるのも当たり前だったかもしれない。


「……どこから湧くんだ?」


 反対にブライアンが尋ねると、レッタはにこりと微笑んだ。


「魔導師としての使命感と、明確な目的と、……尊敬出来る隊長がいることですよ」



 第一隊は机に広げられた図面を囲んでいた。ガイルス家本館の設計図だ。


「これを、フローシュが?」


 カイが驚きの表情でその図面を眺める。あまりの見事な出来に、本職の設計士が描いたものだと思うくらいだ。


「家の中を見て回ったり、聞いた話だけで作ったらしい。素晴らしい能力だね」


 ルースが説明し、図面の一部を指差した。


「パウラ・ヘミン、別名ユーシア・ラットンが囚われているのは恐らくここ、台所から繋がる地下室だ。彼女を保護すれば、クーデターの前後でエイロン・ダイス……を王宮の地下に軟禁したのが、セレスタだということを証明出来るかもしれない」


 エイロンの名を口にしたとき、ルースの表情に一瞬だけ悲しみが浮かんだ。二人の関係性を知っている隊員たちは掛ける言葉がなく、それを見なかったことにするしかなかった。


「……セレスタって、人間のクズだな」


 フローレンスが呟き、ライラックにたしなめられていた。ルースが続けた。


「第三隊と協力して同盟の確保に当たる者以外は、二手に分かれて動く。一方はガイルス家本館でパウラ・ヘミンの救出だ。ライラックに指揮を任せる」


「了解」


「もう一方は別館でファルン・ガイルスとマルク・ワイスマンの確保だ。僕が指揮を執る。……そして最も重要なセレスタ・ガイルスの確保は、近衛団が実行する」



 高所の窓から射し込む月光が、大広間に一糸乱れず整列する近衛団員たちを照らしている。規則的な足音が響き、彼らの前にエディトが立った。


「諸君。国王陛下より、私が奏上した内容について全て承認とのお言葉をたまわりました」


 空気がぴんと張り詰める。それが何を意味するのか、団員たちは理解しているからだ。エディトはゆっくりと彼らを見回しながら続けた。


「我々は元近衛団長、セレスタ・ガイルスを確保する。長い歴史において不可能であったことが、今日を限りに可能となりました。団長を継ぐ一族は、特別ではなくなった」


 前列に並ぶウィラが、ごくりと唾を呑んだ。彼女も今日限りで、団長候補ではなく一団員となる。


「セレスタは近衛団の使命に背いて王族に刃を向けた人間です。それだけで死にあたいしますが……」


 エディトは小さく呼吸し、大広間の壁際に並ぶ獅子の像に目を遣った。4体ある像の台座には、今までに殉職した団員の氏名が金文字で刻まれている。

 過去の人々の名前に続き、ベイジル・ロートリアンの名があった。その更に下に、エイロンの名が刻まれることは永遠に無いのだろう。彼が使命感と正義に殉じた結果がこれだ。悔しさに歯噛みしたくなるが、エディトにも分かっている。悪夢を起こした彼の罪は重い。しかし。


「セレスタの犯した罪は恐らくそれだけではないでしょう。私は、心を病んだエイロンをタユラに()()()()()()()のも、そのときにガベリア支部にチェルスを送り込んでいたのも、彼ではないかと思っています。何が起こるのか予想した上でです」


 団員たちも流石にざわついた。動じなかったのは、列の端に立つレンドルだけだ。彼は事前に、エディトからその推測を聞かされていた。


 ――エヴァンズを追放した後に副団長になっていた君ですら、セレスタの本性は見抜けなかった。もちろん私もです。彼は我々の想像よりも怜悧れいりで狡猾で、人を駒のように動かして楽しんでいる……とすれば、この憶測も間違いではないのでは?

 チェルスが犠牲になったのは恐らく、エイロンのことについて彼女が病院の看護官に探りを入れていたからです。セレスタの根回しのせいで医務官から情報は引き出せませんが、看護官ならばと思ったのでしょう。実際に、チェルスが会いに来たと話す看護官を見付けました。今は自警団のスタミシア支部で保護してもらっています。

 リスカスに完全な悪がいるとすれば、それはセレスタです。止めるには、殺し殺される覚悟で戦わなければならないかもしれない。もちろんそれは、現団長である私の役目ですけどね。


 エディトはざわめきが収まるのを待って、こう話した。


「我々は真実まであと一歩の所に来ている。いかに残酷であろうと、過去に何が起きたのかは知らなければならない。死んでいった者たちにむくい、同じ悲劇を繰り返さないためです。

 その結果として近衛団が非難されることになっても、……ええ、間違いなくそうなるでしょう。我々がセレスタを非難するように、国民は我々を非難する。もはや個人の罪ではくくれない重大な事態だからです。

 しかし、諸君。どれだけそしられようと罵声を浴びようと、我々の使命は変わらない。命ある限り、王族を守り、この国を守るという役目を降りることは許されない」


 団員たちの表情が引き締まる。エディトはサーベルを抜き、それを高く掲げた。すると全員が、躊躇いなく彼女にならった。


「……これが諸君らの同意と受け取ります。最後まで戦いましょう。近衛団の使命において、このリスカスのために」

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