表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
四章 闇の果て
182/230

41、尊敬する魔導師

 キペルの中央4区、美味しそうな匂いを漂わせる昼(どき)の商店街に、バスケットを手に歩くフリムの姿があった。今はいつものターバンを外し、髪は一本の三つ編みにして横に垂らしている。


(普段の格好で訪ねるのは失礼かと思ったんだけど、変かな)


 彼女は通りがかったパン屋のガラスに自分を映し、それとなく身形みなりを確認した。普段の作業着とあまり変わらない紺色のワンピースに、小豆色の外套。リスカスの一般的な20代にしては少々地味だ。


(汚れてなければ大丈夫だよね。えーと、11の7……)


 メモに書かれた住所を見ながら、フリムは花屋の横の道に入り、先へと進んだ。左手奥に見える青い屋根の一軒家がラシュカの住む家だ。小さいながら正面に庭も付いているが、残念ながら手入れはされておらず、好き勝手に雑草が伸びていた。

 フリムは玄関先に立ち、ちらりと側の窓を覗く。カーテンが引かれていて、中の様子は分からない。


(まだこんなに日が高いのに、閉め切っているなんて……)


 太陽すら浴びたくないほど、落ち込んでいるのだろうか。フリムは躊躇いながら、ドアの横にある呼び鈴を鳴らした。


「メイさん、いらっしゃいますか? フリム・ミードです」


 なんとか出てきて欲しいという願望を込めて、フリムは呼び掛ける。数秒後、微かに物音がしてドアが開いた。


「フリム……?」


 ゆっくりと顔を覗かせたラシュカは、外の眩しさに目を細めながらそう言った。いつもオールバックに撫で付けてあった彼の髪はぼさぼさで、無精髭も伸びている。見るからに憔悴していることが分かる容姿だった。


「あなたがどうしてここへ?」


 力のない声で彼は尋ねる。フリムは手にしたバスケットをぎゅっと抱き締め、涙が滲みそうになるのを堪えた。


「心配だからですよ。それ以外の理由なんてありません」


「……俺は情けないな。あなたまで心配させるなんて」


「情けなくありません! 辛いときに落ち込んで何が悪いんですか。心配は周りが勝手にするんです。気にせず任せておけばいいんですっ!」


 そう熱弁するフリムに面食らいつつも、ラシュカは固くなっていた表情をふと和らげた。


「……寒いから、中へ」


 家の中では暖炉の火が燃え、暖かく部屋の中を照らしていた。掃除の手がきちんと行き届いて、どこにも散らかった様子はない。想像していたような暗く荒れ果てた部屋ではなかったので、フリムはどこかほっとしていた。


「お邪魔します」


 彼女は中へ入り、ドアを閉めた。通りの喧騒や側の木でさえずる鳥の声が聞こえなくなり、ぱちぱちと火のぜる音だけが響く。とても静かで、落ち着く空間だ。こぢんまりとした居間にはテーブルと二脚の椅子があり、壁には額に入った写真が大切に飾られていた。


「どうぞ、そこに。お茶でも淹れよう」


 ラシュカは部屋のランプを点けてからテーブルの席を示し、自分は台所へと消えた。何とか日々の生活を送れている、とフリムは聞いていたが、思ったよりもしっかりしているようだ。それとも、人の前ではそのように見せているのだろうか。

 かちゃりと食器の鳴る音を聞きながら、フリムは壁に寄って写真を眺めた。全て、オーサンとラシュカが一緒に写っている記念写真だ。誕生日の度に撮ったのだろうか、オーサンが少しずつ大きくなっているのが分かる。幼い満面の笑顔、反抗期で少し不貞腐れた顔、そして自警団の制服を着て誇らしげな顔。

 きっとこの先も、写真は増えていくはずだった。毎年ではなくても、成人した時、昇進した時、結婚した時……。大切な息子の全てを、ラシュカは記録に残しておくつもりだったに違いない。

 自分の作った勲章が物言わぬオーサンの胸に光っているのを見て、彼は何を思ったのか――フリムはその胸の痛みに耐え切れず、静かに涙を流した。


「その写真、撮る直前まではぐちぐちと文句を言っていても、撮ってみたらいい笑顔なんだ」


 ラシュカは紅茶のカップをテーブルに置いて、微かに震えているフリムの背に声を掛けた。


「『絶対他の人に見せるなよ』なんて、恥ずかしがっていた。素直じゃないところも可愛くて、……またあなたに、息子の自慢をしてしまったな」


「いくらでも聞きます。聞かせて下さい」


 フリムは頬を拭い、振り向いた。そしてラシュカの頬にも光るものを見た。


「メイさん……」


「大丈夫。あの子のために泣いてくれる人がいると思うと、自然に涙が出てくるんだ」


 ラシュカはフリムの隣に立って、壁の写真を見つめた。


「あなたの作ってくれた勲章は、実に見事だった。あの子もきっと誇らしく思っているよ」


「私、あれが職人として初めて作った勲章だったんです……」


 小さくしゃくり上げながら、フリムはそう言った。


「そうか。辛かっただろうな……、受け取る人間はもう棺の中なんだから」


 そう話すラシュカの横顔は、言葉に反して穏やかだった。それから彼はフリムに顔を向け、こう続けた。


「それでもあなたは、誠心誠意作ってくれた。あの出来映えを見れば分かる。俺も嬉しかったよ。ありがとう、フリム」


「お礼なんて……、私は私に出来ることを……」


 フリムは口元を押さえると、顔を歪めてぽろぽろと大粒の涙を溢した。


「ごめんなさい……っ、泣くつもりで来たんじゃないのに」


「気にしなくていい。俺は周りが思っているより、強い人間だから」


 ラシュカはすっと手を伸ばし、子供を可愛がるみたいにフリムの頭を撫でて笑った。


「まだ子供みたいなものなんだから、大人の心配なんかしなくて大丈夫だ」


「私、もう24歳です……」


「オーサンと6つしか違わない。俺にとっては子供だよ」


 からかうように言いつつも、ラシュカは手を離した。年頃の女性に対して流石に失礼だと思ったのだろう。フリムは何度かしゃくり上げてから、ずっと腕に抱えていたバスケットに目を落とす。


「あ、そうだ、これ……」


「ん?」


「マシュー・ベーカリーのパンです。私のおすすめなんですけど、すごく美味しいんですよ。匂いだけで幸せになれます。メイさん、お腹空いてませんか?」


 眉間に皺を寄せた泣き顔でそんなことを言う彼女を見て、ラシュカはおかしくなった。表情と台詞があべこべだ。


「そうだな。しばらく食欲も無かったが、たった今腹が減った」


 自然と彼から笑みが溢れた。予想外の訪問者が運んで来たのは、どうやら食べ物だけではなかったようだ。



 穏やかな一時を過ごしながら、二人は他愛のない会話を交わした。当然のようにオーサンの話もして、その度にどちらかが涙ぐみつつ、時間は刻々と過ぎていった。


「もう日が落ち始めたな。冬は日の入りが早い」


 ラシュカはカーテンの隙間から外を覗いて言った。


「あの、メイさん。日中でもカーテンは開けないんですか?」


 フリムが思い切って尋ねると、ラシュカは首を横に振った。


「どこから情報が漏れたんだか、ゴシップ紙の記者が中を覗く時がある。朝でも晩でも呼び鈴は鳴るし。殉職した魔導師の父親のインタヴュー、とやらでも載せたいんだろうな」


「そんな。こんな時にひどいです」


 フリムは憤慨するが、ラシュカは諦めた笑いを漏らして椅子に腰掛けた。


「下衆な記者にとってはいつものことだ。非日常の出来事も、劇的な人の死も格好のネタになる。渦中にいない人間は退屈しているんだから。昨日、近衛団の仲間が記者を追い払ってくれたみたいだが、一時しのぎだろう」


「でも、いつまで続くんでしょう?」


「奴らもすぐに飽きるさ。それに、俺もそんなに長い間ここにいるつもりはない。オーサンが魔術学院に入ってからはずっと、近衛団本部の隊舎で寝泊まりしてたんだ。記者も流石にそこまでは入れないだろう」


「ここは、ほとんど留守にしているお家ということですか?」


「そうだな。引き払っても特に問題なかったが、オーサンの帰る場所は用意しておきたくて。それに、思い出も沢山ある」


 それを聞いて、フリムはまた涙ぐんだ。


「素敵なお父さんです。息子さん、幸せに違いありません……」


 血の繋がらない我が子に限りない愛情を注げる人間を、フリムはよく知っている。彼女の育ての両親だ。そしてラシュカもまた、そんな人であることは間違いなかった。


「そうだといいな。それ以上に、俺もあの子に幸せを貰ったし」


 ラシュカは清々しい笑顔を見せ、立ち上がった。


「あなたが来てくれて良かったよ、フリム。暗い中を帰るのは危険だから、家まで送ろう」


「え、でも」


「ああ、この格好ではな。ちょっと待っててくれ」


 ラシュカは奥に引っ込み、しばらくして戻ってきた。髭は綺麗に剃られ、ぼさぼさだった髪もいつものように撫で付けてある。それだけでずいぶん、憔悴した雰囲気が薄まっていた。


「あ、いつものメイさんですね」


 フリムはほっとして、思わず微笑んだ。


「身だしなみは大切だと、今更思った。だらしなくしていると心まで荒むみたいだ。明日からはちゃんとするよ。さ、行こうか」


 ラシュカはラックに掛けてあったフリムの外套を取ると、それをすっと彼女の肩に掛ける。紳士だなと思いながら、フリムは彼が自分の顔をじっと見ていることに気が付いた。


「どうしました?」


「やっと思い出した」


 彼の言葉に、フリムは首を傾げる。


「え?」


「あなたの顔が誰かに似ていると、ずっと思っていたんだ。特にその大きな目とか」


「誰でしょう……?」


 少しどきどきしながら尋ねる。もしかして、と思った。


「自警団の医長、レナ・クィンだ。知っているか? 青い髪の――」


「もちろん知っています」


 フリムは少し食い気味に言った。嬉しさでにやけ顔になっていないか心配になる。他の誰かにレナと似ていると言われたのは、これが初めてだった。

 レナを知らないはずはない。初めて目にした時から、フリムはずっと彼女を追っていたのだ。共に過ごせなくとも、その愛情を感じた母親。そして。


「私の、一番尊敬する魔導師ですから」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ