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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
四章 闇の果て
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40、純真無垢

 気高き我が友人へ

 ご心配ありがとう、こちらはすっかり元気です。

 物静かなあなたですから、賑やかな場で無理をなされませんように。

 また、笑顔で会いましょう。


 フローシュの手紙がカイに届いた翌日の朝、そんな返事が彼女の元に届いた。ちょうど朝食の前だったために冷静を装っていた彼女だったが、部屋に戻るなり、フィルの腕を掴んで顔をほころばせた。


「ねえ、カイの手紙ご覧になったでしょう? 笑顔で会いましょうですって」


 その一文が何よりも嬉しかったらしい。彼女は服の内側に隠してあった手紙を取り出して、もう一度目を通す。


「元気って本当かしら。賑やかな場で無理をしないようにって、きっとパーティーのことを仰っているのよね」


「そのようですね」


 フローシュが晴々とした顔をしているので、フィルも少しほっとする。カレンを通じてカイの魔力が完全に戻ったことも、パーティー当日に作戦に参加することも聞かされているから尚更だ。ただし、それはフローシュには秘密の話だった。

 フローシュは手紙を閉じ、また開いては何度も読む。これは完全に恋する乙女だ、とフィルは思った。婚約者のファルンが見たら実に面白くない光景だろう。


「カイって、思ったより丁寧な字をお書きになるのね」


「お嬢様、申し上げにくいのですが……」


 フィルは申し訳なさそうに切り出した。


「そのお手紙、燃やさなければなりません。安全を守るためには――」


「分かってる。大丈夫よ、目に焼き付けたから」


 フローシュは渋々、手紙をフィルに差し出した。不満そうなその顔は、これを額に入れて取っておきたいとでも言いたげだった。


「事が終われば、またいくらでも書いてもらえますよ」


 励ますように言って、フィルは手紙を受け取る。それは魔術であっという間に燃え上がり、跡形も無く消えていった。フローシュの顔が沈んだ。普段は冷静に振る舞っている彼女も、人の目が無いとその表情をころころと変えるようだ。


「そうかしら。カイのことだから、話があるなら直接会って話すなんて仰るに違いないわ」


「それはそれでいいではありませんか。手紙では、彼の笑った顔は見られません」


「……人を転がすのがお上手」


 フローシュは諦めたように笑った。


「フィル、あなたはカイの笑った顔をご覧になったことはある? 本当の、心から笑った顔」


「ありませんね」


 即答だった。しかし本当にフィルの知る限りは無いのだ。唯一、棺の中のオーサンに見せた笑みがそうだったろうか。フローシュにそれを言うのは少し残酷だと思い、彼は黙っておいた。


「そう。じゃあ私、あなたよりは先にカイの笑顔が見られるようにしなくてはね」


 つい昨日までは「彼はいつでも、別の誰かを見ていらっしゃるから」などと落ち込んでいたのに、今日はずいぶん強気だ。よっぽど手紙の返事が嬉しかったのだろう。


「……お嬢様は、本当にカイのことがお好きなんですね」


 フィルの言葉に顔を真っ赤にしながらも、フローシュはこう答えた。


「もちろんそうなのだけど。私の憧れなのよ、あの方は。誰よりも真っ直ぐで強いから。だから私も、彼に釣り合うような人間になりたいの。ロマンス小説のお姫様は騎士ナイトに守られてばかりだけど、自分で剣を持って闘うのも悪くないと思うわ」


「要するに、じゃじゃ馬になりたいと」


「か弱くて泣いてばかりより、そちらの方が全然よろしいのではなくって? カイは芯の無い女性は嫌いに違いないもの。想像が付くわ。きっとこんな顔して、『ふざけんな』って仰るのよ」


 フローシュは思い切り眉間に皺を寄せて、カイの声音を真似る。それが案外似ていたので、フィルは柄にも無く吹き出したのだった。





「あの、チェス副団長」


 王宮の広い廊下でレンドルを呼び止めたのは、フリムだった。彼女はいつものターバンとエプロン姿で、片手には工具箱を抱えている。


「どうしました?」


 レンドルは足を止めて彼女に向き直った。普段あまり顔を合わせないこともあり、彼女から声を掛けてくるのは珍しい。レンドルが纏う雰囲気に気後れしたのか、フリムは続ける言葉に戸惑っていた。


「えっと……」


「今日は王宮で仕事だったんですね。ご苦労様です」


 レンドルが表情を弛めてみせると、フリムもほっとしたように笑みを浮かべた。


「ありがとうございます。大広間の装飾、修繕の終わっていない箇所がまだいくつかありまして……。それで、チェス副団長にお尋ねしたいことがあったんですが」


「なんでしょう」


「メイさんのご様子……、いかがですか?」


 近衛団員の中では割と親しくしていたこともあり、フリムが息子を亡くしたラシュカを心配するのは当然だった。何より、国王からオーサンに贈られた勲章は彼女が製作したものだ。無関心でいるのも難しかった。

 心配なのは自分も同じだが、レンドルはそれを表には出さず冷静に言った。


「定期的に団員が様子を見に行っていますが、やはり元の生活に戻るには時間が掛かるでしょうね。何とか日々の生活を送れている、という状態です」


「そうですか……」


 フリムは唇を噛んで俯いた。暗い部屋で抜け殻のように生きているラシュカの姿が頭に浮かび、胸が締め付けられる。

 しかし彼女はすぐに顔を上げると、微かに潤んだ目でこう言った。


「あの、メイさんの家の場所を教えてもらえませんか?」





 エディトは団長室で机に向かい、一心不乱に何かを書いていた。使われている紙もペンも、偽造防止の策を施した特殊なものだ。

 長々と文章が書かれた紙は全部で7枚に渡る。国王に対し、近衛団長を継ぐ一族の特権廃止を求める上奏文だった。これが認められれば、ようやくセレスタを確保することが可能になる。

 エディトは文章の最後に大きく署名をし、ペンを置く。それから机の上にある小刀を取り、左手の親指にその先端を押し当てた。薄く裂けた皮膚から血が滲む。彼女はその血で、署名に紅く下線を引いた。古来から、強い意思を示す際に取られていた方法だ。

 不意に響いたドアのノックにエディトが応えると、レンドルが部屋に入ってきた。彼は机の前まで来て、視線をそこにある文書に向けた。


「完成したんですね」


「ええ。君にも目を通してもらおうと思っていたところです」


 エディトは言いながら、血の着いた親指を口元へ持っていき、傷口を軽く吸った。


「そんな古典的なやり方じゃ、治りませんよ」


 レンドルは素早く彼女の手を掴み、指先でその傷口に触れる。裂けた部分は塞がり、レンドルの白手袋には紅い染みが残った。


「汚れましたよ、それ」


「構いません。すぐに落ちますから」


 その言葉通り、レンドルが軽く指先を擦ると染みは跡形も無く消えていた。二人の視線は少しの間だけ絡んだが、エディトが手を引いたと同時にすっと離れた。一度は想いが通じ合ったとはいえ、任務に集中している間はやはり自制心が働くのだった。

 軽く咳払いをして、エディトが言った。


「……君、何か報告があったのでは?」


「はい。フリムがラシュカの家へ向かいました。どうしても放っておけないと」


「フリムが。あの二人は親しいんですか?」


 その辺りは、エディトは把握していなかったようだ。


「ラシュカとはよく話をしていたそうです。大半は息子の自慢話だったようですが。それもあって、彼のことが心配なのでしょう」


「身体であれ心であれ、傷付いた者を放っておけないところはレナ医長に似ているんでしょうね……。ラシュカが少しでも元気付けられるといいですが。我々は、彼が戻る場所を準備して待つのみです」


 エディトは文書の紙を纏めて端を揃え、レンドルに差し出した。


「完璧に仕上げたつもりですが、ミスがあれば教えて下さい」


「はい」


 レンドルはそれを受け取ると、しばらく無言で目を通した。過去から現在に至るまでのセレスタの所業、疑惑から始まり、それを明らかにするため彼を捕らえる必要があること、現在の制度ではそれが不可能なため、近衛団長一族の特権を全て廃止しなければならないこと。リスカスに巫女のなき今、団長をその血で選ぶ必要がないこと。それらが理路整然と述べられている。

 そして最後の、血で線を引いた署名。彼女が相当な覚悟を持ってこの文書を作ったことは、レンドルにも分かった。


「……完璧だと思います。いよいよ、ですか」


 エディトに文書を返しながら、彼はそう言った。


「ええ。パーティーは2日後に迫りました。私は今夜、これを持って陛下に拝謁はいえつします。邪魔の入らぬよう手は打ってありますが、君も――」


「何年あなたの補佐をしてきたと思っているんですか。もちろん最善を尽くします」


 言葉を遮られたエディトは、少し目を細めて彼を見た。しかしその表情はどこか、優しげだった。


「私を知り尽くした気になっているんですか。生意気な」


「他の人よりは知っています」


「不公平ですね。私は君をよく知らないのに」


「聞いてくれれば正直に答えますよ。あなたになら」


「なるほど」


 エディトは少し考えた後、レンドルの手元に視線を遣った。


「では、とても今更なことを聞きましょう。なぜ常に白手袋を?」


 恐らくは全ての近衛団員が気になっていたことだ。しかしレンドルの気難しそうな雰囲気が、その理由を尋ねることを躊躇わせていた。エディトの場合は単に興味が無かったから聞かなかっただけだ。


「これですか? ……爪のせいです」


「爪?」


 エディトが首を傾げると、レンドルはすっと手袋を外した。全ての爪が、真っ黒に染まっていた。


「子供の頃に食べた果物に、毒があったんです。命は取り留めましたが、爪はこのように。医務官でも元に戻せませんでした」


「それで、隠していたというわけですか」


「ええ。初めて見る人は驚きますし、子供の頃は『悪魔だ』と虐められたもので」


 何の気はないように話す彼の言葉に、エディトは隠された苦痛を感じ取った。ただ、それを癒し得る言葉も自然と思い浮かんだ。


「私は気にしませんけどね。……手袋越しでしかあなたを知れないのは、少し寂しいですから」


 それを聞いたレンドルの瞳が小さく揺れた。そしてすぐ、彼は手袋をめ直した。


「少なくともこの任務が終わるまでは、嵌めておきます」


「何故ですか」


「それなりに歳は取っていますが、私も男です。自制心が無くなると困ります」


「無くなるとどうなるんですか?」


 エディトが真面目に言っているのか茶化しているのか、レンドルは判断に迷った。だが恐らく、真面目なのだろう。近衛団長候補として純粋培養されてきた彼女には分からない分野もあるらしい。常識に欠ける部分は多々あると思っていたが、これは由々しき問題かもしれない。

 同時に、無垢な子供のような彼女を愛しくも思う。レンドルは微笑み、こう言った。


「知らなくても大丈夫です。……その内、教えますよ」

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