36、諸悪の根源
夜明けと共に、自警団本部では上長会議が始まった。大会議室には全隊の隊長と副隊長が集められ、円卓を囲んだ席に着いている。窓からの薄明かりと控え目なランプに照らされて、何名か前回とは違う人間が出席しているのが分かる。
沈黙の中でエスカがすっと立ち上がり、口を開いた。
「早朝から召集を掛けてしまい申し訳ありません。まず事前にお伝えした通り、隊長二名の退任に当たって本部では隊長、副隊長の入れ替えがありました。私が新たな第二隊長のエスカ・ソレイシア。彼が副隊長、リゴット・ウィルです」
エスカは隣の席のリゴットを見遣り、彼は会釈した。
「第四隊長ブライアン・タングと、副隊長レッタ・プラスト」
ブライアンと、その横の女性隊員が会釈する。それから全員の目は、ルースの隣の空席に向いた。
「新たな第一隊長は未定ですが、現状、第一隊はルースが纏めているので問題はありません」
エスカが言うと、第七隊長のアルゴ・ヴィンスが口を挟んだ。
「このまま空席にしておくということか?」
彼は凛々しい面立ちの壮年男性で、額に薄く残る傷が示す通り、元々は第三隊長だった。今は支部を纏める役割を担っている。
「本部を纏める重要な役割ですから、混乱の中にある今、焦って決めると間違いを犯しかねない。経験と実力と信頼、全て兼ね備えていなければなりませんし。誰にでも出来ることではありません。唐突に第一隊長の役目を与えられて、それをこなしていたロット隊長が異常だったんですよ」
その言葉に、場の空気が沈んだ。初めはロットのことを獄所台へ通報すべきだと言っていた支部の隊長や副隊長たちも、彼が罪を犯した経緯について知った今は、同情を禁じ得ないのだった。
「……とはいえ、セレスタ・ガイルスを捕らえるためには、我々に脆い部分があってはなりません。第一隊長の代わりとなる存在は必要です。そろそろ来る時間ですね」
エスカは部屋の時計に目を遣る。怪訝な表情の一同は、ノックの音で一斉に扉へ顔を向けた。
「失礼する」
その声に続いて扉が開き、自警団の制服に身を包んだ老人――団長のウェイン・アーマンが入ってきた。
「団長……!?」
アルゴは目を見開き、言葉を失った。その他の隊長や副隊長たちも、彼の言葉とウェインの姿を見て固まっている。このことを少なからず予想していたルースは、冷静な表情を崩さなかった。
自警団長は悪夢で消えた。今の今まで、彼らはそれを疑っていなかった。イーラの巧妙な嘘に騙されていたのだ。
ウェインは全員の顔を見回して愉快そうに笑うと、こう言った。
「初めて私の顔を見る者もいるだろうね。自警団長のウェイン・アーマンだ。よろしく」
それを聞くと全員が弾かれたように立ち上がり、彼に敬礼した。
「そんなに畏まらなくていい。諸君、私に対して恨み言の一つや二つはあるだろう。後でいくらでも聞こう」
ウェインは言いながら、颯爽とルースの隣に歩いていく。
「失礼するよ」
彼はルースに微笑みかけ、その空席に腰を下ろした。
「さ、諸君らも掛けなさい。私が落ち着かないじゃないか」
そう促され、指示通りに全員が着席した。彼らの視線はただ一人、ウェインに注がれている。
自警団長を表に出さないという慣習の歴史は、300年以上前に遡る。当時の団長が自警団と敵対する組織に誘拐され、凄惨な拷問を受けた。自警団に関する機密情報を聞き出そうとしたらしいが、団長は最後まで口を割らず、結果として殺害されたのだった。
以降、安全確保と機密の保持を理由に、自警団長の所在は秘されてきた。隊長たちですら月に一回の会議以外で団長に会うことは無く、連絡を取れるのは代々第二隊長のみとなっていた。
「言いたいことは分かる。私が何故7年前の悪夢で死んだことにしていたのか、最初に説明せねばなるまい」
ウェインはもう一度全員の顔を見て、落ち着いた声で話し出した。
「単純明快な理由だよ。勇敢な者たちがガベリアを甦らせるまでは文字通り、死んだような状態だったからだ。あの日、私は実際に悪夢に巻き込まれていた」
数名が息を呑んだ。悪夢に巻き込まれた者の惨状は、ミネやエイロンを見て知っている。死んだような、と表現するウェインの状態を想像するのは容易だった。
「魔力のほとんどを奪われ、両の目は光を失った。人の手を借りねば生きられぬ状態で、自警団長など名乗ることは出来ない。だが、悪夢後の混乱の最中、新たな団長を選ぶ余裕は無かった。そうだろう? 魔導師の三分の一が失われていたのだから。
加えて、秩序が乱れたリスカスで自警団長がいないなどと知れたら、敵――同盟やそれに類似する組織という意味だが、彼らにとっては願ってもない機会になってしまう。
故にイーラは私の指示で、隊長以外の隊員には私が健在だと伝えた。一方で、各隊長と近衛団長には死んだと伝えた。賢い君にはその理由が分かるかね?」
ウェインはルースに顔を向けた。
「私の想像ですが……、端的に言えば『罠』でしょうか。団長は、各々に別の情報を流すことで裏切り者を炙り出そうとしたのではありませんか?」
ルースの言葉で、一同の顔に緊張が走る。当時隊長だった者も、そうでなかった者も、漏れなくウェインの秤にかけられていたことになるからだ。
ウェインは満足そうに頷き、言った。
「私はね、クーデターの主犯は魔導師、しかも魔術に熟練した者だと当初から考えていた。しかしながらあの当時、身内を疑うことは賢明な判断とは言えなかった。
例えば自警団の中に、私が誰かを疑っているという噂が流れたとしよう。隊員たちはお互いに疑心暗鬼になる。そうなれば自警団は内側から崩壊していく。君たちが思う以上に、この組織は信頼で成り立っているのだよ。故に、私はその疑いを自らの胸に秘めた。
その失敗を取り返そうとしたわけではないが、私は7年前の悪夢を利用した。それが、ルースの言った罠だ。私が死んだことで動き出す人間が必ずいる。もちろん、死んだと知っている者の中から」
「つまりクーデターの主犯が我々の中にいると、確信を持たれていたのですね」
アルゴの顔が微かに険しくなった。魔術に熟練した者となれば隊長らが疑われるのは必然だが、あまり気分の良いものではない。ウェインもそれを感じ取ったのか、弁明するように付け加えた。
「気分を害して申し訳ない、アルゴ。だが最初にも言ったように、恨み言は後でいくらでも聞く。話を進めさせてもらおう。
当時の隊長ら、そして近衛団長セレスタ・ガイルス。悪夢から7年もの間、私の疑いの内で動きを見せる者は現れなかった。しかしながら読みが外れたとは思わなかったよ。相手も策士だ。完全に油断して尻尾を出すまでに、最低でも10年はかかると思っていた」
「団長に他人の魔力を消す能力があるから、それほど慎重になっていたということですか?」
第三隊長のフィズが、彼にしては珍しく神妙な態度で尋ねた。
「恐らくそうだろう。魔力を自分の一部と考える人間にとって、それが無くなることは死ぬことに等しい。カイ・ロートリアンのような若者ですら、魔力を失いかけて打ちのめされたのだ。諸君らも想像してみるといい。誇りを持ち、命すら懸けている魔導師という仕事が奪われると考えれば……恐ろしいだろう? 今回の敵、セレスタ・ガイルスも同じだった。彼の場合は、これ以上の悪事を働けなくなるという恐ろしさだったろうがね」
少々吐き捨てるように、ウェインは言った。
「何にせよ、7年の時を経てセレスタの尻尾を掴むことが出来た。エイロン・ダイスの力に依るところも大きいが。諸君らも既に理解しているだろう。諸悪の根源というものが存在するなら、まさにセレスタ・ガイルスがそれに当たる」
彼は唐突に立ち上がり、一人ひとりに視線を送る。覚悟を問うような鋭い眼差しだった。しかし、誰一人として逸らす者はいなかった。
「死んでいった者たちに恥じることは出来ない。我々はセレスタ・ガイルスを捕らえ、全ての真実を明らかにしなければならない。近衛団長を捕らえる――リスカスをひっくり返すようなことをするわけだ。我々にはクーデターや悪夢の後よりも大変な後始末が待っている。……諸君らに問いたい。セレスタ・ガイルスの確保に賛成か、反対か。賛成であれば起立願おう」