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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
四章 闇の果て
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34、親切

 スタミシア西7区の一画、住宅地を抜けた広い敷地に、煉瓦れんが造りの大きな建物がある。今はどの窓にも明かりが灯っておらず、二階建ての建物は夜闇の中に溶けていた。

 その玄関前に、ひっそりと一台の馬車が着けられた。自警団の隊員が一人と、続いて帽子を目深に被った少年らしき人物が馬車から降りる。二人は何か言葉を交わし、隊員は馬車に乗って去っていった。

 残された少年は玄関のドアを、素早く三回、ゆっくり二回ノックする。軋む音がし、ドアが細く開いたかと思うと、その隙間から伸びた腕が彼を中へと引き込んだ。


「……無事に着いて何より。久し振りだね、ブロル」


 年老いた男の声が、闇の中から少年の名を呼んだ。不意に灯った手提げランプの明かりが、その人物の姿をゆらりと闇の中に浮かび上がらせる。


「あっ」


 ブロルは思わず声を上げた。逆立った真っ白な短髪の下にあるのは、深い皺が刻まれた柔和な顔だ。年の頃は70代だろうか。上品な背広に身を包み、やや小柄に見えるが、背や腰はまだ曲がっていない。彼の弓形ゆみなりに弧を描く眉や立派なわし鼻に、ブロルは見覚えがあった。


「研究者さん……!」


 悪夢が起きる7年前まで、スタミシアの山に住んでいたブロルの元を何度か訪れていた人物。死んだものと思っていた彼との再会に、ブロルはまず驚き、次いで涙ぐんだ。その老人は、ブロルの家族を知る唯一の存在だからだ。


「どれ、よく顔を見せてごらん」


 老人はブロルの帽子を取り、慈愛のこもった目で彼を見つめた。


「大きくなった。新しい言葉も話せるようになったのか。あれから、一人で生き抜いたんだね」


 落雷で家族を失ってから、という意味だ。老人は過去に、ブロルの家族の埋葬も手伝っていた。


「もしかしたら、あなたは悪夢で亡くなったんじゃないかと思ってた」


 ブロルは頬に涙を伝わせながら、言った。


「あの後から、一度も姿を見せなかったから」


「すまないことをしたと思っているよ。だが、私にもやるべきことがあった。このリスカスのためにな。君が言うところの、使命だ」


 ブロルに同情を示しつつも、毅然とした態度で老人は言った。


「着いてきなさい。思い出話もしたいが、まず君に、私の正体を明かさなければならない」


 老人は有無を言わせず奥へと歩いていく。年齢を感じさせない颯爽とした動きだ。ブロルは戸惑いながらも、彼の後を追った。

 そもそも、エスカからはスタミシアの歴史資料館へ行き、そこの館長と会ってほしいとしか言われていなかった。具体的なことは何も聞いていない。

 地下へ降り、二人は部屋に入った。老人がぱちんと指を鳴らすと、部屋のランプが煌々と灯り、居室のような空間があらわになる。本棚と机、そしてベッドがあるだけの質素な部屋だ。


「……ここに住んでるの?」


 ブロルが疑問を口にすると、老人はククッと短く笑った。


「一応、ここの館長だからね。他に住むところが無いとも言えるが……、イーラに押し込められたと言っても間違いではない」


「イーラ隊長を知っているの?」


「もちろんだ。今さらになってしまったが、()()()自己紹介をさせてもらおう。名はウェイン・アーマンと言うんだが……、ブロル、君の首に掛かっているものを貸してくれるかい」


「これ?」


 ブロルは首飾りを外した。先端に揺れるのは、カイの体に埋まっていたオルデンの樹の破片だ。


「でもこれ、僕以外が触ると具合が悪くなって――」


「問題ない」


 ウェインは首飾りを受け取り、それを目の高さに掲げた。彼が言うように、体調には何の変化も起こっていないようだ。


「何ともないの?」


 ブロルが驚きの表情を見せると、ウェインは微笑んだ。


「魔術を扱ってきた経験の差だよ。これくらいのことが出来なければ、この役目は務まらない。……自警団の団長、なんてものはね」





 カイに魔力が戻ったからといって、すぐ以前と同じように魔術が使えるというわけではなかった。

 空がすっかり夜の色に染まった頃、カイは医務室のベッドで穏やかな寝息を立てていた。クロエがそれを見下ろしていると、ミネが側へ来て声を掛けた。


「よく眠ってるね。変わりない?」


「はい。でもサーベルを使っただけで、気絶するくらい体力を消耗するなんて……。ほんの1分程度、フロウさんと手合わせしただけなんですよ。サーベルも折れたし」


 クロエは打ち沈んだように言った。魔導師のサーベルを使うには魔力が必要だが、十分な魔力がない場合は代償として体力を消耗する。相手の魔力と余りにも差がある場合は、サーベルの刃が折れることもある。

 つまり、カイの魔力は戻ったが、残念ながら非常に弱いということだった。彼が目を覚ましたときにどれほど落胆するかは、想像に難くない。


「焦っても仕方ないよ、クロエ。私たちは医務官なんだから、カイの安全が最優先でしょう。……折れたのが訓練用のサーベルで良かったね」


 ミネはベッドの枕元に立て掛けてあるサーベルに目を遣る。ベイジルのものだ。つばに彫られた勇壮な獅子の姿が、近衛団の威厳を感じさせた。


「それ、カイにとってすごく大切なものですよね。いずれは、お墓に戻すのかな……」


 そう言ってから、クロエははっとしたように付け加えた。


「すみません。私が言うようなことじゃありませんでした」


 ベイジルの死とクロエの父親は無関係ではない。いくらカイが気にするなと言っても、加害者側の自分が安易に触れていい内容ではない、とクロエは思っていた。


「戻すくらいなら使うって言うんじゃないかな。カイだったら」


 そう言って不意に姿を現したのは、ルースだった。今は自警団の制服姿だ。外から戻ってきたばかりのようで、その頬には寒さで赤みが差していた。


「ルース。執事はクビになったの?」


 ミネが言った。


「ひどい言いぐさだな。役割を果たしたから、帰ってきただけだよ。カイのことも心配だったし」


 ルースはカイの寝顔をちらりと見てから、クロエに視線を移した。


「君はもっと、自分を許していいと思うけどね。ダビーさんも心配していた」


「お祖父様が……」


 クロエは目を伏せた。祖父や両親とはもう二年以上、手紙のやり取りしかしていない。心配させていることは分かっていても、会いに行くのはどうしても気が咎めたのだ。

 それは彼女が、カイが学院に入学して以来、一度も家に帰っていないのを知っていたからだった。それなのに自分だけ家族との楽しい時間を過ごしていいはずがない。自ら着けた足枷あしかせは、そう簡単には外れなかった。


「すみません、ちょっと用事を思い出して」


 滲んだ涙を二人に見られる前に、クロエは逃げるようにその場を去った。

 誰もいない廊下を駆け抜け、中庭に出る。ゆっくりと降る雪が青白い月光にちらつく、静かな夜だった。外套も羽織らずに来たから、寒さが身に染みる。クロエは通路を外れて木陰に身を隠し、両手で顔を覆った。

 周囲の優しさは、彼女にとっては痛みを伴うものだった。自分は愛されていいはずがない――その思いは、父親の罪を知ったあの日から一度も消えたことがないのだ。カイに許されれば変わると思っていたのに、現実はそんなに簡単ではなかった。


「うぅ……」


 噛み殺した声の代わりに、指の間から涙が零れ落ちていく。そのときだった。


「白衣って、暗いところでは目立つんだよな」


 すぐ側で声が聞こえた。驚いたクロエが顔を上げると、そこにフローレンスが立っていた。


「さっき巡回から帰ってきたところでさ」


 彼は躊躇いもなく自分の外套を外すと、それをクロエの肩に着せ掛ける。背の高い彼に合わせて仕立てられた外套は、その裾を地面すれすれに揺らした。


「寒いからさっさと中に入りたいんだけど、その顔を見て見ぬふりは、ちょっと」


「放っておいてくれて、大丈夫です……」


 クロエの声は震えて、辛うじて聞き取れるくらいだった。


「頭冷やしたら、戻りますから」


「いや、頭というか、ここにいたら全身くまなく冷えるだろ」


 外套のボタンを留めてやりながら、フローレンスは呆れたように笑った。


「意地っ張りなところはカイと一緒だな。手が焼ける」


「だから、放っておいて下さ――」


「一人じゃどうしようもないくせに」


 そう言ってフローレンスは突然、クロエを抱き寄せた。


「あ、あの……」


 戸惑ったクロエの声が聞こえても、彼はその腕をほどこうとしなかった。


「嫌だって言うなら放す。俺は少し事情を知る上官として、部下に胸を貸すくらい、なんでもないけどな」


 その言葉にクロエは黙り込むと、そっと彼の胸に額を預け、肩を震わせた。


「……このこと、誰にも、言わないで下さい」


 何度もしゃくりあげるその合間に、彼女はそう言った。あくまでも周囲には意地を張るのかと、フローレンスはおかしく思う。


「心配すんな。口は固いから」


「人前で泣くつもりじゃ、なかったんです」


「はいはい。言い訳しなくていいよ」


「どうして、私に、親切にしてくれるんですか」


「親切なのか? これって。俺はただ」


 ――好きな人が泣いているときは、側にいたいから。


 その部分は飲み込んだ。多少乱暴者のフローレンスにも、分別はある。その気持ちが嘘でないとはいえ、人が弱っているところに付け込むなんてクズ野郎のすることだと分かっていた。


「……クロエが言うみたいに、本当は優しい奴だからさ」


 それからしばらく、沈黙の中にクロエのすすり泣く声が響いていた。雪が静かに、一つ、二つと彼女の黒髪に降りてくる。

 フローレンスは指先でそれを払い除けると、彼女にこれ以上雪が降りかからないように、少しだけその体を抱き寄せたのだった。

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