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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
四章 闇の果て
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32、地下の話

「えっ、ピアスを開けたい?」


 突然医務室を訪れたカイの要望に、ミネは目をしばたいていた。


「どうしたの、急に。自棄やけを起こしてるんだったら――」


「違います。これ、誕生日プレゼントにオーサンがくれたんです」


 カイは手の平にあのリングピアスを乗せて、ミネに見せた。


「オーサンが……。そっか」


 それだけで、彼女は納得したようだ。二人の関係は説明されるでもなく理解しているし、カイの晴々とした表情を見れば、自棄になっているわけではないことも分かる。彼が前を向くきっかけになるのなら、協力するつもりだった。


「どこに開けるの? 鼻? 唇?」


 微笑みながらカイを椅子に座らせると、彼はぎょっとした顔になった。


「フロウさんじゃないんですから。普通に、耳たぶでいいです」


「分かってるよ、冗談」


 ミネが笑っていると、医務室に二人の隊員が入ってきた。フローレンスとクロエだ。


「あっ、いた」


 クロエが駆け寄ってくる。彼女はカイの表情を見てすぐ、ほっとしたように息を吐いた。


「良かった。いつものカイだ」


「もしかして、病院で待っててくれたのか?」


「ううん。フロウさんが、カイはそのまま本部に残るって教えてくれたから。どうして医務室に? もしかしてどこか痛む?」


「ピアス、開けたいんだって」


 ミネがくすりと笑うと、クロエは驚きの表情になる。


「えっ! カイが?」


「なに、俺の真似か」


 フローレンスも興味津々で口を挟む。何だか大事になったと、カイは苦い顔をしたのだった。


「違いますよ。これ、オーサンに貰ったんです。今日、部屋の引き出しの中で見付けました。いつの間にか入れておいたみたいです」


 二人にもピアスを見せた。やはり彼らも、それだけで納得したようだった。


「なるほどな。わざわざ医務室に来るところがお前らしいよ」


 フローレンスは感心したように言った。


「俺なんか全部、自分で開けてるぜ。炙って殺菌した針で、こう、ぷすっとな」


 耳ならまだしも、鼻や唇にそんなことをすると想像しただけで、カイはぞっとした。


「カイに変なこと教えないで下さい」


 クロエが顔をしかめると、ミネがこう提案した。


「ちょうどいいや。クロエ、正しい方法でやってみる?」


「私がですか?」


「何事も経験だし。消毒して針を刺すだけなんだから、簡単でしょう? そこに自分でやってる人もいるくらいだし。ね、カイ」


「まぁ、はい」


 クロエの練習台にされたなと思いながら、カイは了承した。人生初のピアスを友達に開けてもらうのも、悪くはない。

 それからしばらく、医務室はカイの悲鳴と周りの笑い声で騒がしかった。





「エスカ副……、隊長。報告です」


 第二隊の隊長室に、女性隊員が駆け足で入ってきた。まだ隊長の呼称には慣れていないらしい。エスカは机の上に積まれた大量の報告書から、ちらりと目を上げた。


「なんだ」


「パウラ・ヘミンの件で。以前ガイルス家で働いていた使用人を、キペルの南18区で見付けました」


「田舎だな。それで?」


「アルシアという女性で、6年前から2年ほど、ガイルス家に雇われていました。辞める際に屋敷内のことは口外するなと脅されていたようで、中々話してくれなかったのですが、一緒に行ったゴールドが何とか……」


 隊員はその後を濁したが、内容は聞かずともエスカには分かる。ゴールドはかなりの美青年だ。色仕掛けで落としたに違いない。


「アルシアの話では、ガイルス家には他とは違う扱いの女性使用人が一人だけいた、と。名前はユーシア・ラットン。年齢はその当時15歳くらいに見えたと言いますから、その女性がパウラ・ヘミンと見て間違いないと思います」


「ユーシア・ラットンか。名前が分かっただけでも前進だ。ありがとう」





 ガイルス家の地下室のドアから、すすり泣く声が漏れ聞こえてくる。家政婦長のエコルドが、そこをノックして声を掛けた。


「ユーシア」


 ドアの向こうで、申し訳ありませんと悲鳴のような声が上がる。エコルドはドアを開け、尋常ではない怯え方で自分を見るユーシアの姿に、思わず困惑の表情を見せた。

 ユーシアの左目の辺りは、ぐるぐると包帯が巻かれて痛々しい様相になっている。あの夜、執事のマルク・ワイスマンに呼び出された彼女がどんな目に遭ったのか。エコルドは想像するしかなかったが、その包帯の下が酷い状態になっていることは知っていた。


「ミ、ミセス・エコルド……」


 ユーシアはまた悲鳴のような声を上げ、壁際まで後ずさった。


「私は何もしていません、どうか……」


「落ち着きなさい、ユーシア。傷の手当てをしにきたんですよ。椅子に座りなさい」


 エコルドは冷静に言った。ユーシアは少し落ち着いたのか、指示に従った。エコルドは周りを窺ってからドアを閉め、彼女に向き直る。


「あの晩、何があったの、ユーシア」


「言えません。何も、何も」


 ユーシアは涙目になり、何度も頭を振った。彼女はあの晩からずっとこの調子で、この部屋にこもり、地上階に上がることはなかった。エコルドは手にした救急箱を机に置いて、手早く道具を準備した。


「さ、傷を見せてご覧なさい」


 ユーシアは怯えながらも、エコルドが包帯を解く間、じっとしていた。


「なんて痛々しい……」


 エコルドは思わず呟いた。ユーシアの左目の目蓋から頬にかけて、赤黒いかぎ状の火傷痕がくっきりと残っていた。熱した火かき棒の先端を押し当てたに違いないと、エコルドは思っていた。

 彼女は普段、ユーシアにきつく当たるが、それはセレスタの指示だからだ。本心では彼女に同情もするし、こんな目に遭って可哀想だとも思う。しかしそれを態度に出せば、ワイスマンに何かされるという恐怖心があった。彼女にとっても、ワイスマンは得体の知れない存在なのだ。


「少し我慢なさい」


 エコルドは消毒薬を含ませた綿球で、傷を消毒する。もし感染症を起こしたとしても、ワイスマンは恐らく病院に行くことを許可しないだろう。なぜユーシアをここまでして屋敷に閉じ込めておくのか、エコルドには分からない。しかし、尋常ではない理由があることは確かだと思っていた。


「……ねえ、ユーシア。あなたはどこから来たの?」


 9年前、セレスタが突然連れてきた少女。親戚だと説明されたが、少女の目は今のように怯えきっていた。

 そんなことを聞かれたのは初めてで、ユーシアは少し驚いたようにエコルドの顔を見た。しかし、すぐに目を伏せた。


「分かりません」


「分からないということはないでしょう。……話すなと言われているのね」


 ユーシアは小さく頷いた。


「そう。私はここで家政婦長をやって長いけれど、身元の知れない使用人というのはあなたが初めてよ」


「私は……」


 ユーシアは言葉を呑み込んだ。本当のことは話せないのか、話したくないのか、既に自分でも分からなくなっていた。

 9年前に見たあの光景。王宮の地下牢にいた近衛団員の絶望の目、魔術で牢の扉を塞ぐ誰かの後ろ姿……。顔は見えなかったが、今なら分かる。扉を塞いだのは、セレスタだ。


「何も出来なかったんです……。何も……」


 あの恐ろしい光景を誰かに話せば良かったのだろうか。自分がセレスタに捕まる前に。後悔が溢れたが、ユーシアはただ、涙を流すことしか出来なかった。

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