31、プレゼント
イーラから預かった隊長の襟章を手に、レナは自警団本部に到着した。彼女は真っ直ぐに第二隊の隊長室へ向かい、ノックも無しにその中へ入る。イーラが隊長になってから、ここへは勝手に入るのが癖になっていた。
「おい、死んでるのか」
レナは、応接用のソファにもたれて目を閉じているエスカに声を掛ける。薄目を開けた彼の顔には、ありありと疲労が浮かんでいた。
目の前の机には第二隊員たちの霊証、つまり居場所を示す地図が広げられている。今はキペルの各地にその霊証があった。
「一瞬、死んでました」
エスカは体を起こして頭を掻くと、地図に視線を落とした。
「今のところ作戦は上手くいっています。スタミシア支部からも連絡が来ていますが、異常なしです。ご心配無く」
「ずいぶんあちこちに隊員を飛ばしたな」
レナも地図を覗き込む。キペルの主だった屋敷や店、商社から新聞社に至るまで、満遍なく隊員たちを派遣したようだ。エスカが最も心配しているであろうナンネルの霊証は、ちゃんと病院にあった。
「第二隊員は各所に紛れ込ませてこそですよ、医長。何のために美形を集めているのか……。それで、何か用ですか?」
エスカは顔を上げた。レナはまず、赤い液体の入った小瓶を彼に差し出した。
「お前、ルカにこっそり強壮剤を頼んだだろう。私には筒抜けだぞ。そろそろ切れる頃だと思ってな」
「なんだ。最初から医長に頼めば良かったですね」
エスカは苦笑し、小瓶を受け取るなり中身を飲み干した。青ざめていた顔に、すぐ血色が戻る。
「……これのため、だけではないんでしょう」
彼の視線が、小瓶からゆっくりとレナへ移る。
「イーラ隊長が、何か?」
「流石だな。あいつから預かってきたものがある」
レナは白衣の内ポケットから、ハンカチに包んだ襟章を取り出す。その包みを開いて、エスカに差し出した。
「これ……」
エスカの瞳が、ほんの僅かに揺れた。
「どういうことか分かるだろう。イーラはお前に隊長の座を譲ると言った。予定より少し早いが、今の状態ではもう、指揮を取るのは難しいとな」
「そんなに状態が悪いんですか」
「私に悪口を言うくらいの元気はある。本人曰く、あと……一ヶ月くらいだそうだ」
エスカは一度目を閉じ、深く息を吐く。
「そうですか……」
彼なりに思うところがあるのだろうと、レナは静かにそれを見守った。
――エスカは優秀だが、心が脆い部分もある。散々生意気なことを言いながら、結局は私を頼りにしているところとかな。それを乗り越える強さは、頼るものが何も無くなったときに初めて出てくるはずだ。
かつて、イーラはレナにそう話したことがあった。まさに今が、その状況だ。
エスカは再び開いた目で真っ直ぐにレナを見ると、迷い無く襟章を受け取った。
「隊長の役目、引き継がせてもらいます」
彼は上着を脱ぎ、今までの襟章を外して新しいものに付け替えた。副隊長から隊長へ。見た目には線が一本増えるだけだが、責任は倍以上になる。医長であるレナにも、それは分かっていた。
そんな重みを感じさせないくらいに、エスカは颯爽と上着に袖を通す。ボタンを留め、レナに勝ち気な笑みを見せた。
「似合ってしまうのが困りますね」
「ちゃんと伴っておけよ、中身も」
レナもふっと笑いを溢した。きっとこの先も、エスカは大丈夫だろう、と。
「イーラが、役職者名簿に名前を書いておけと言っていた」
「それもそうですね」
エスカがすっと手を上げると、青表紙の本が本棚から手元に飛んで来た。彼がざっと捲ったページには、第一隊の隊長と副隊長の名が連なっている。ずいぶん昔のものだ。
レナは思わず目を引かれてしまった。その中に、コール・スベイズの名があったからだ。
「……イーラ隊長に、一つ頼まれていることがあって」
エスカはレナの視線の先を追いながら、言った。レナは目を細めて、軽く彼を睨んだ。
「お前、わざとこのページを開いただろう。食えない野郎だ」
「それはどうも。でも、スベイズさんのことは聞いていますよね。獄所台を辞して今はキペルにいると。しばらくは中央1区の『金雀枝』に滞在する予定です」
自警団の監視付きの安全な宿だ。それなりの値段はするが、安全性と秘密の保護に関してはキペルで一番と言ってもいい。一般人は滅多に泊まることがない。
「破格の待遇だな。だがどうお膳立てされようが、私は彼に会うつもりはない」
取り付く島もない、頑なな返答だった。しかし、エスカも引かなかった。
「203号室、ジェイン・オーズの名前で宿泊しています」
「知るか。余計な情報だ」
「とりあえず、頼まれたことは伝えましたので」
レナの態度を意に介さず、エスカは役職者名簿をぱらぱらと捲る。第二隊のページの最後に、第46代隊長、イーラ・テンダルの名前があった。名前の横には着任した年月日が書かれている。
「隊長として、20年ですか……。過去の隊長たちの、3倍近い長さですね」
エスカは机からペンを取ると、一瞬躊躇ってから、その日付の横に『退任』の文字と今日の日付を書き込んだ。
「お疲れ様でした、イーラ隊長」
誰にともなく、彼は呟いた。それから、イーラの名前の下に第47代隊長として、自分の名を書き込んでいく。流れるように美しい字で、ずいぶんと長い名前を。
「……それ、お前の本名か?」
レナが尋ねた。
「ええ。エスカは略称です。本名を覚えているのは、俺の家族とイーラ隊長くらいじゃないですか。いや、家族の方は怪しいかもしれないな」
エスカはペンを置き、インクが乾くのを待ってから名簿を閉じた。
「さて、副隊長と補佐も新たに決めないといけません」
「頑張れよ、……エスカ隊長」
レナがにやりと笑うと、エスカも不敵な笑みを浮かべた。
「その呼称、悪い気はしませんね」
ロットとの面会を終え、カイは一度、隊舎の自室に戻った。もう何日そこを開けていたのかよく分からないが、そもそもが綺麗好きということもあって、荒れた様子はない。
カイは不意に、オーサンの散らかった部屋を思い出した。胸が締め付けられる。あの部屋も、近いうちに片付けなければならないのだ。
オーサンの荷物はラシュカに渡すことになるが、ラシュカは葬儀の後からずっと家にこもっていると聞いていた。もう二度とオーサンの口から「パパ」という言葉を聞けないのは、カイですら寂しいのだ。ラシュカの心情は察して余りある。
ふと視線を向けた机の上には、学院を卒業したときに撮った集合写真が飾ってあった。笑顔になりきれていないカイ以外は、ほとんど全員笑顔だ。この時はまだ、卒業して一年と経たないうちに仲間が死ぬことになるなんて、誰も思わなかったに違いない。
コンコン、と何かが窓を叩く音がした。カイが振り向くと、ナシルンが外から窓をつついていた。
(今ナシルンを送られても、メッセージは聞き取れないんだけどな……)
そう思いながらカイは窓を開け、それを中へ入れてやった。
「ん?」
ナシルンの足に丸めた紙が結び付けてある。どうやら、本来の伝書鳩の使い方をされたらしい。カイが紙を取ると、ナシルンは不服そうに羽をばたつかせてから飛んでいった。
届いたのは、スタミシア支部の医務官、ベロニカからの手紙だった。
カイさん、お久しぶりです。
状況は伺っていますので、手紙にしました。
実は、あなたが以前、スタミシアのメニ草畑で保護した子供たちについてお伝えしたくて。
彼らは今、支部に程近い病院にいます。心に傷は負っていますが、安心して下さい。少しずつ回復の兆しも見えています。
みんな、カイさんに会いたがっています。「助けてくれてありがとう」と、直接伝えたいのだそうです。今は難しいかもしれませんが、いつか会いに来て下さいね。
魔力はきっと戻ります。私もいくつか文献を調べましたが、魔力はその人の命と同じようなもので、死なない限りゼロになることは無いそうです。だから大丈夫、諦めないで下さい。
スタミシアから、無事を祈っています。
「あの子供たち……」
カイは呟く。心のどこかで気にはなっていたが、今までじっくり考える暇がなかった。
彼らのこれからを思うと、カイは胸が痛かった。一般的に、メニ草畑で働かされていた子供たちは、保護された後も偏見の目で見られるのだ。
将来的にメニ草を使うのではないか、あるいは、既に中毒なのではないか、と。畑で働かされずに済んだカイですら、母親がメニ草中毒だったことが周りに知れると、初等学校で仲間外れにされることもあった。苦い記憶だ。
(……俺が変えていかないとな。ロット隊長にも約束したし)
カイは手紙を畳み、それを仕舞おうと机の引き出しを開けた。
「……なんだこれ」
見覚えの無い小さな青い箱が、そこに入っていた。その下に、メモ紙がある。
誕生日プレゼント、渡すの忘れてた。9月だよな?
オーサン
「6月だよ、馬鹿」
微かに震える声でそう突っ込みながら、カイは箱を開けてみる。薄いハンカチのような布の中に、シンプルな銀色のリングピアスが一つ、包まれていた。
(わざわざピアスの孔、開けろってか……)
カイは思わず笑った。確かに以前、フローレンスのピアスを見てちょっと格好いいと思い、オーサンに話したことがあった。「お前には絶対似合わないって。女子に引かれるから、やめておけ」。そう言っていたはずだった。
今日これを見付けたのも、何かの巡り合わせかもしれない。カイはオーサンに、いつまでも下向いてんなよ、と背中を押された気がした。
「ありがとな、オーサン」
カイはピアスを大切にポケットへ仕舞い、深呼吸してから、晴々とした表情で部屋を出ていった。