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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
四章 闇の果て
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30、横顔

 元刑務官コール・スベイズは、キペルの街中にいた。午後の穏やかな空気の中、懐かしい石畳の左右に並ぶ店を眺めながら、彼は自警団にいた頃を思い出す。

 若い頃に仲間と騒いだ飲み屋は、今もそこで看板を揺らしていた。夕刻になって店が開けば、かつてのように陽気な人々で賑わうのだろう。

 コールはバル街を進みながら、レナに結婚を申し込み、一夜を共にしたあの日を思い返した。もう四半世紀も前のことになるが、彼の頭にはまだ鮮明に、あの日のレナの顔が浮かぶ。

 あの気持ちに嘘は無かった。一生をレナと添い遂げようと誓ったはずなのに、それが出来なかった。もしあの時レナが妊娠していることを知っていたら、自分は獄所台への推薦を蹴って魔導師を辞め、彼女と共にいることを決めただろうか――。


(甘ったれだな……)


 コールは自虐した。答えはイエスなのだ。だからこそレナは、子供が出来たことは黙っていた。二度と顔を見せるなと突き放した。彼にはそれが分かっていた。

 バル街を抜けると、生活用品や食料を売っている通りになった。コールはそこに並ぶ店の一つ、『ミード装飾店』のドアをくぐった。

 こぢんまりとした店内にはガラス戸棚が二つほど並び、精巧な銀細工で出来た装飾品や食器などが陳列されていた。どれも花を模した細工で、溜め息が出そうになるほど美しいものだ。


「あ、いらっしゃいませ。気が付かずに、申し訳ありません」


 店の奥から、フリムが慌てた様子で出てきた。いつものように髪はターバンの中に纏め、エプロンを着けている。作業をしていたようだ。

 コールは彼女の顔を見た瞬間、心臓を掴まれたように感じた。


 ――顔を見れば、あなたならすぐに分かるはず。


 レナが言っていた通りだ。初めて目にした娘の顔立ちは、若い頃のレナにとても良く似ていた。


「あなたが、フリム・ミードさんですか」


 声が震えないように気を付けながら、コールはそう尋ねた。本当は今すぐにでも自分が父親であると明かし、彼女を抱き締めたかった。しかし、自分が犯した間違いを思うとそれは出来なかった。少なくともレナがフリムに会うまでは、黙っているつもりだった。


「ええ、そうです。私をご存知なんですか?」


 フリムは緊張の面持ちで、その大きく丸い目をしばたいた。コールの佇まいや身なりが、上流階級の紳士のように見えるからだろう。


「王宮にも出入りしていらっしゃる、立派な職人と伺っていますから」


 コールが微笑むと、フリムは少しほっとした様子で答える。


「それは大袈裟ですよ。今の私があるのは、全て師匠のおかげなんです。今日は何か、お探しですか?」


「妻……に、プレゼントを贈りたくて。何がいいでしょうね」


「女性へのプレゼントでしたら、花のブローチが定番です。お好きな花でお作りしますよ」


 フリムはにこりと笑って、ガラス棚の前に向かった。そして、見本をいくつか示しながら話す。


「こんな感じで、一輪だけでも、花束のようにしても作れます」


「どんな花でも?」


「はい。リスカスに咲く大抵の花は、この目で見てきたつもりですから。私、花が好きなんです」


「では……、プリムラの花を」


 それを聞いたフリムは、嬉しそうに言った。


「私の一番好きな花です。あ、ごめんなさい、関係のない情報でしたね。何か思い入れのあるお花なんでしょうか?」


「妻と初めて旅行したときに、ガベリアにあるプリムラの花畑に行ったんです」


 広い敷地を埋め尽くすように咲く、色とりどりの花。レナが振り返り、綺麗ですねと笑う。いつまでもその顔を見ていたいと思ったのを、コールはずっと覚えていた。


「思い出の場所、ですか。素敵です」


 フリムの満面の笑みが、レナの笑顔と被る。コールは自然と、自分の頬が弛むのを感じた。


「完成まで、どのくらいかかりますか?」


「お待ち頂ければ、二時間くらいで」


「早いですね」


 二日は掛かると思っていたコールは、素直に驚いた。フリムは謙遜したように、首を横に振った。


「いえ、そんな。師匠なら一時間で完成させますけど、私はまだまだです。では、早速取り掛かりますね。また後で取りに来て頂けますか? お代は、出来映えに納得して頂けたらで構いませんので」


「先に支払いますよ。お時間を取らせるわけですし」


「いいえ、それは出来ません。完成して、お客様にお見せしてからでないと」


 フリムは固辞した。ずいぶん謙虚なのだなとコールは思う。王室お抱えの職人という地位があるのだから、本来はもっと強気でも問題ないはずだった。

 だが、フリムがレナの子供だというなら納得出来る。自分の仕事に対する誇りが、地位や名誉よりも優先するのだ。


「あ、お名前をお聞きしておいても?」


「ええ。コール・スベイズと申します」


「スベイズさんですね。きっと、奥様に喜んでもらえるようなものを作りますから」


 フリムはまた笑顔を見せ、店の奥へ引っ込もうとする。それを、コールが呼び止めた。


「あの。少しだけ、作業を見学させてもらってもいいでしょうか?」


「作業ですか? 構いませんが、単調で、つまらないですよ」


「銀細工がどんなものか、興味があるもので」


 コールはそう言ったが、本当は、少しでも長くフリムの側にいたいからだった。


「では、こちらへどうぞ。お茶も何もお出し出来ませんけど……」


 フリムは作業場の中へコールを案内した。小さなその部屋には作業机があり、そこに工具がずらりと並べられている。天井から吊ったランプが煌々(こうこう)と、机の上にある銀板の破片を照らしていた。


「そこの椅子にお掛け下さい。狭くてすみません」


「いえ。お邪魔しているのはこちらですから」


 コールは丸椅子に腰掛け、早速作業に取り掛かるフリムの横顔を見つめた。その真剣な目付きは、患者を治療するときのレナそのものだ。思わず涙が滲んだ。

 フリムが小さなハンマーを打ち付ける度に、カン、カンと小気味良い音が鳴る。その音の合間に、彼女はこう話した。


「私の名前、フリムなんですけど、プリムラと音が似ているんですよね。だから、その花が好きなんです」


 話しながらも視線は手元に向けられているのが、コールにとっては幸いだった。声が震えないように、彼は答える。


「確かに、似ていますね」


「母が付けてくれた名前なんです。古代キペル語で『宝物』っていう意味ですけど、もしかしたら、プリムラの花から取ったのかなぁ、なんて。詳しいことは聞いていないんですけどね」


 コールの胸は締め付けられた。もしレナが、フリムの名前をプリムラの花から取ったのだとしたら。あの日のことを、彼女も忘れていなかったということだ。


「素敵な名前です」


 それ以上の言葉が出てこなかった。フリムは作業に集中しているのか、その短い返事も気にしていないようだ。

 それからしばらく、無言の時間が続いた。コールは瞬きの時間すら惜しい程に、フリムの姿を見つめていた。


「……ふぅ」


 フリムが息を吐き、おもむろにターバンを外して頭を振った。淡いブロンドの髪がさらりと揺れる。レナと同じ色だ。


「あっ」


 彼女はコールを見て、恥ずかしそうに髪を纏め直した。


「ごめんなさい、すっかり一人でいる気になって。……スベイズさん?」


 コールは両手で顔を覆っていた。その肩が小さく震えている。フリムは慌てて立ち上がり、彼の側に寄った。


「どうしたんですか? お具合でも」


「いえ、すみません。……遠い昔に離れた娘と、あなたが良く似ているものですから」


 目元を拭いながら、コールは顔を上げる。間近で見たフリムの目は、彼と同じとび色だった。


「驚かせて申し訳ない。年を取ると涙もろくなってしまってね。ブローチはまた後で、受け取りに来ますから」


 そう言って、彼は逃げるようにその場を離れる。店を出て、人気の無い路地裏に身を隠し、力が抜けたように壁にもたれた。

 赤子の姿も、そこから成長していく姿も目にしていない。それでも、フリムが自分の娘であるということは間違いなく分かった。コールの胸にあるのはただ、何よりも愛しいという感情だけだ。

 彼は考える。25年という長い空白の間、レナは一人で、その愛しさを前に己を律してきた。フリムを守るため、母親だと名乗り出ることもせず、ただただ見守ってきたのだ。


(今からでも、やり直せるだろうか……。夫として、出来損なった父親として)


 溢れ出た涙は、しばらく止まることがなかった。

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