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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
四章 闇の果て
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29、彼の手へ

「……残酷、でしょうかね」


 エディトは団長室の机に置かれたものを、じっと見下ろしていた。鞘に納められた、新品のように綺麗なサーベルだ。つばの部分には獅子の姿が刻印され、その下に識別番号が振られている。8057――ベイジル・ロートリアンの番号だった。

 そのサーベルは、以前にエイロンがベイジルの墓を暴いて奪ったものだ。エディトが取り返した時点ではかなり錆び付いていたが、彼女はとある理由から、それを職人に磨き直させていた。


「カイにこれを渡すのであれば、ベイジルの墓に納めたはずのものが何故ここにあるのか、説明する必要があります」


 エディトの言葉に、横にいたレンドルが答えた。


「ええ。使いをって調べましたが、スタミシアにあるベイジルの墓は、見た目には何の変わりもないそうです。エイロンはあそこからサーベルを取り出し、それ以外は元に戻したのでしょう。それだけは救いです」


 良心からか、それとも証拠隠滅のためか。エディトもレンドルも、そこを問うつもりはなかった。エイロン亡き今、本当のことは知るよしもないのだ。大切なのは、出来るだけカイを傷付けないことだった。

 エディトはサーベルの識別番号にそっと指先を触れながら言った。


「カイの状況は聞いていますね、レンドル」


「はい。一通りの手は打ったが、魔力は戻らなかったと。……だからこのサーベルを?」


「ええ。魔力には少なからず、共鳴というものがあるようです。幼子の魔力の発現にも関わると、最近の研究では明らかになってきています。血縁者であれば尚更。これには僅かですが、ベイジルの魔力が残っています。触れることで、カイに何か反応があるかもしれません」


 エディトは机の上にある資料を指差した。


「これは?」


「自警団本部の図書室にあった資料です。魔力の共鳴についての。ブロルと、医務官のクロエが見付けてきてくれました。彼らもカイの役に立ちたいと、一生懸命ですからね」


 彼女はもう一度サーベルに触れ、こう続けた。


「これに賭けてみましょう。ベイジルもきっと、力を貸してくれるはずです」





 病室で目を覚ましたイーラは、まず壁に掛けられた時計を見た。午後1時だが、時刻を見たのではない。秒針の動きを見たのだ。

 カチ、カチと規則正しい音が、少しずれて二重に聞こえる。一つは時計で、もう一つは頭の中に響いている音だった。


(……この音が聞こえなくなった時が、私の死時しにどきだな)


 秒針の音が常に聞こえるようになり、更にその音の間隔が広がっていって、やがて止まる。それが致死性刻時病の最期だ。


「起きてたなら教えろ」


 突如、イーラの視界にレナの姿が割り込んだ。


「お前、丸一日寝ていたんだぞ」


「……心配したのか?」


 イーラが言うと、レナはふんと鼻を鳴らした。


「知るか。気分は? 食事は摂れそうか?」


「いや、食欲はない」


 その声に、以前のような力は無かった。レナは一瞬険しい顔をし、イーラの脈を取りながら言った。


「栄養剤だけでも飲んでおけ。私の前でくたばられると困る」


 憎まれ口を叩きつつもレナが常に側にいるということは、それだけ自分の状態が悪いということだ。イーラはそれを知りながら、笑った。


「お前のいないところで死ぬなと言ったり、お前の前で死ぬなと言ったり、どっちなんだ」


「要するに死ぬなと言っている。体は起こせるか」


「それくらいは、まだ出来る」


 そう言って、イーラはゆっくりと体を起こす。レナはコップに赤い液体を注ぎ、それを彼女に突き出した。


「耳鳴りに効く薬も入っている。少しは、音が小さくなるはずだ」


 イーラはコップを受け取り、時間をかけて中身を飲み干した。頭の中に響いていた秒針の音が、少しだけ小さくなった気がした。


「……さすがは医長だな」


 彼女が素直に言うと、レナは顔をしかめた。


「誉めるな、気持ち悪い。音の間隔はまだ規則的か?」


「そうだな。時計の秒針と同じくらいだ」


 はっとしたように、レナは壁の時計を振り返る。


「あれ、音が気になるなら外すぞ」


「いや、そのままでいい。自分の状態は把握しておきたいから。それより、レナ。一つ頼まれて欲しい」


「なんだ」


 レナの顔が引きつった。あのイーラが、自分を『半魚人』ではなく名前で呼ぶ、そして頼み事をする。明らかに彼女が死期を悟っているのが分かり、動揺した。


「そんなにびびるな、半魚人」


 心を読んだかのように、イーラが笑った。


「まだ一ヶ月くらいは持つと自分では思っている。だが、今のうちに隊長としてやっておくことがあるんだ。私の制服はあるか?」


「着替えて何処へ行くつもりだ。許可しないぞ」


「違う。制服に隊長の襟章が付いているだろう。それをエスカに届けて欲しいんだ」


 レナはじっと、イーラの目を見た。そしてそこに、揺るぎない覚悟を感じ取った。


「……譲るのか。隊長の座を」


「ああ。予定より少し早いが、私が隊長を務めるのはこれ以上は無理だと判断した。今だってほとんど、自警団はエスカの指示で動いているしな。その働きには相応の箔を付けてやらないといけない」


「エスカをここへ呼んで、直接渡したらいいだろう」


 イーラは首を横に振った。


「今のあいつはそんなに暇じゃないさ。それに私だって、こんな弱った姿は見せたくない。お前にだって、もし医務官じゃなかったら見せたくないくらいだ」


「それは残念だったな。もう諦めろ」


 レナはそう言って、壁際のラックへと歩いていった。イーラの制服がそこに掛けられていて、上着の襟には彼女が言うように襟章が付いている。横長の銀の長方形に、紺色の斜線が三本。それが隊長を示すものだ。副隊長は二本、副隊長補佐は一本だった。

 イーラの襟章の線が増えていくのを、レナはずっと間近で見てきた。責任が重くなるにつれ、その顔付きも性格も冷厳になっていったが、それでも、二人の関係は変わらなかった。

 宿敵であり、無二の友人。学生時代から40年近く一緒にいたのだ。レナは思わず涙が滲むのを、止められなかった。


「あったか?」


 イーラが尋ねた。レナは素早く頬を拭い、襟章を手にしてイーラの元へ戻った。


「これだろ。エスカに渡せばいいんだな」


「ああ。くれぐれも、そんな顔で渡すなよ」


 イーラは手を伸ばすと、レナの腕を軽く叩いて、からかうように言った。


「病人の前で気弱な顔をするな……と、部下に怒鳴っていたのは誰だったかな」


「黙れ。今は病人の前じゃない、友人の前だ」


 レナは小さく鼻を啜り、襟章をハンカチに包んで白衣の内ポケットにしまった。


「じゃあ行ってくるから、その間にくたばるなよ」


 彼女はドアの方へ行きかけ、戻ってくる。


「言い忘れていた。……これだけ長く隊長を務めてきたお前を、私は尊敬している。後は仲間に任せて、ゆっくり養生しろ」


 それを聞いたイーラの目が、微かに潤んだようだった。


「ありがとう、レナ」


「……なんか、気持ち悪いな」


「お互いにな」


 二人は顔を見合わせ、笑った。

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