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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
四章 闇の果て
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22、忘れ難き人

 フローシュの『特例による結婚年齢引き下げ許可証』、それを取り下げさせるために交換条件を出したのではないかというカレンの問いに、レンダーはじっと彼の目を見て、諦めたような笑いを溢した。


「きっと何か、お調べになったのでしょうね?」


「失礼ながら、そういった職業ですので。……あなたはご主人様と、今後一切の給料を受け取らないという契約を交わしています。つまり、それが交換条件だったのではありませんか?」


 カレンの言葉に、カイとフィルは思わず「えっ」と声を漏らした。あの仕事量を無給で働くというのでは、奴隷と同じ扱いだ。

 レンダーは何も言わず、疲れた顔で頷いた。


「どうしてそこまでするんですか」


 口を挟んだのはカイだった。ただ、彼の行動はひとえにフローシュを助けるためだと分かっているから、それ以上は何も言えなかった。


「君たちには、私が投げやりになっているように映るのかもしれないね。しかし違うんだよ、カイ。私は執事として、私に出来る精一杯のことをしているつもりなんだ。……最後まで魔導師として生きた妻に、恥じないように」


 レンダーは目を閉じ、深呼吸した。そうでもしないと、その瞳を曇らせたものがせきを切りそうだったのかもしれない。

 再び目を開いた彼は、ちらりと時計を見て、いつも通り冷静な声音で言った。


「一度、ご主人様の元へ戻らせて頂いても? 仕事がありますので。また必ず、お話しする時間は作ります」


「ええ、構いません。私は何とかしてこのお屋敷に滞在させて頂きますので。きっと、あなたの力になれると思います」


 カレンは微笑み、レンダーは一礼して部屋を出ていった。


「……カレンさん、話を聞く限り、ここのご主人様も悪党ってことになりませんか?」


 早速、フィルが憤慨したように口を開いた。レンダーの前で主人のことを悪く言うのは気が引けたので、今まで黙っていたのだ。


「どうして自分の娘を助けようとするミスター・レンダーに、こんなに酷い扱いが出来るんですか」


 そこに、カイも加わる。


「ファルンの悪事を知りながら娘を差し出すなんて、正気じゃありません」


「若造は血気盛んで困るな。とりあえず落ち着け」


 カレンはそう言って苦笑し、二人を軽くいなした。


「子供のお前たちにはまだ難しいだろうが、大人の考え方をしろ。いいか? レンダー氏とご主人様の間には、長年築いてきた信頼関係がある。近年になってぽっと現れたファルンが、そう簡単に崩せるものではないはずだ。ところが」


 何か言いたげなカイを目で制し、カレンは続ける。


「僕らにとってはあり得ないことでも、身分に囚われている人間にとっては()()()()()()()だってある。ガイルス家がどれほどの権力を持っているのか、分からないわけじゃないだろ? どんな上流階級だろうと貴族だろうと、王族に並ぶ一族に目を付けられれば今までと同じ生活は出来なくなるんだ。

 ファルンの機嫌を取るためには、ご主人様は彼に従い、彼の意に背く者には厳しく当たるしかない。ご主人様としては、レンダー氏を交換条件通り無給にするつもりはなかっただろうさ。ただ、いずれ届出のことをファルンに話すときに、彼を納得させる言い訳が必要だったからそうした」


「卑怯です、そんなの」


「レンダー氏も理解しているんだよ、カイ。そうしなければフローシュお嬢様が危険な目に遭うかもしれないから。そしてお嬢様も、恐らくご主人様の立場を分かっていらっしゃる」


「お嬢様も?」


「ああ。もう諦めて結婚するつもりでいたが、馬車の事故で君と出会って、闘う気になったと言っていたよ」


 カレンは少し表情を和らげた。


「君は不思議な少年だな、カイ。生意気だと評判ではあるけど」


 フィルがぷっと吹き出し、場の空気はほぐれたようだった。カイは不機嫌な顔で、フィルを睨み付けた。


「とっととガイルス家の連中を確保して、尋問出来ればいいんだが。きっと余罪だらけだろうさ。そこはエディト団長に頼るしかない。セレスタ・ガイルスの犯罪の証拠は着々と揃っているから、もう一息だ。……あっ」


 話しながら、カレンは何か思い出したらしい。


「スタミシア支部に留置されていた医務官のエドマー・ワーズ、いるだろ? 彼が、同盟にくみしていた支部の隊員に襲われた。間一髪助けられて、その隊員は尋問されたんだが、残念ながらセレスタの名前は出てこなかった」


「まだ、自警団の中に同盟の人間が?」


 カイとフィルが目を剥いた。カレンは少し言いにくそうに、続ける。


「彼は9年前のクーデター後に、同盟に都合がいいように虚偽の記録を作成していた。昔の同盟と今の同盟とにまたがって、手を貸していたということだ」


 クーデターと聞いてカイは一瞬頬をひきつらせたが、特に何も言わなかった。フィルはそれを横目で見つつ、これは話を逸らした方がいいと判断した。


「もしかして俺たちのことも、同盟に筒抜けに?」


「安心しろ。自警団が同盟の掃討に向けて動いていたことは残念ながら漏れていたらしいが、こっちのことは漏れていない。潜入続行、5日後のパーティーで決着を付けることに変更はなしだ」


「パウラ・ヘミンについては、何か」


 カイが話に加わって来たので、フィルは少しほっとした。

 パウラはファルンの娘、かつ、エイロンが監禁されていた現場の目撃者だ。現状、ガイルスの屋敷にいるということ以外の詳細は分かっていなかった。


「今のところ新たな情報はない。しかし、5日後まで彼女の無事が保証出来るかといったら、難しいだろう。あの屋敷にはセレスタにマルク・ワイスマンもいる。危機が迫ったときに何をしでかすか分かったものじゃない」


 そう言って、カレンは難しい顔をした。


「そこで、使用人筋から当たってみることにした。今も働いている人間には手を出せないから、元使用人に慎重に話を聞いて回っている。恐らく、収穫はあるはずだ」





 隊員の姿がない本部の図書室は、不気味なほどの静けさに包まれていた。そこに微かな足音が響く。白衣姿のクロエが、書架の間を覗きながら図書室の奥へと進んでいた。


「あ、いた」


 彼女は閲覧席の机が並ぶスペースで、目的の人物を見付ける。白銀の髪が窓からの陽にきらりと光っていた。彼は机に顔を伏し、眠っているようだ。

 机の上にはかなり古い紙の束と、本が数冊散らばっていた。走り書きのメモとペンも転がっている。


「ブロル?」


 クロエは彼に近付き、声を掛けてみる。ぴくりと肩が動き、ブロルは寝ぼけ眼のまま顔を上げた。


「……ごめん、今何時?」


「10時半。少し休憩しようよ。あなた、夜明け前からここにいるって聞いたよ?」


 心配する表情で、クロエはそう言った。

 ブロルは本部に来てから、ほとんどの時間をこの図書室で過ごしていた。自分も何か役に立ちたいと、古代ガベリア語の資料を翻訳していたのだ。

 音としての古代ガベリア語は現代にも伝わっている。しかし文字については不明な点が多く、誰もその資料を解読出来ていなかった。


「僕も頑張らないと。自警団にはたくさん助けられているし、カイはあの状態で、また任務に着いているでしょう」


 ブロルは目を擦りながら、姿勢を正した。クロエの胸がちくりと痛む。カイは、本来なら十分な休息が必要な状態なのだ。


「そうだけど……」


「あ、そうだ。役に立ちそうなもの、見付けたんだ」


 ブロルはぱっと顔を輝かせ、一枚の資料を引き寄せた。


「記憶を消す魔術について書いてある」


 クロエは驚きをもってその資料に目を落とす。現在のリスカスに、記憶を消す魔術は存在していないはずだった。難解なその文字の羅列は、残念ながら彼女には読めなかった。


「どんなことが書いてあるの?」


「これを書いたのは、お医者さんかな? 難しい言葉遣いなんだけど、『過去の苦痛により精神の健全さを失いつつある患者』、えーと、色々あって『全ては記憶に起因する』。それで、ここ。『魔術にて該当の記憶を消去することで、苦痛を取り除くことが可能。以下、方法を述べる』って」


 ブロルは資料を捲ってみせた。また古代ガベリア文字の羅列が続いている。彼はそれを翻訳したメモを、クロエに渡した。


「魔術について僕は詳しくないから分からないけど、単純じゃないんだね? 『記憶の再現』とか『感情の沈静化』……、10個くらいの魔術を組み合わせるみたいだ。分かる?」


「一つ一つは聞いたことがあるけど、まだ使ったことのない魔術もあるし……。実際使うには、すごく難しいと思う。レナ医長くらいの人なら出来るかもしれない」


「そっか。ねえ、クロエ」


「なに?」


「この魔術が実際に使えたら、君は辛いこと全部、忘れたいと思う?」


 ブロルは瑠璃色の瞳で、じっとクロエを見た。


「思わないよ」


 クロエは迷いもせず、そう答えた。


「だって、そこに関わる人のことも全て忘れてしまうってことでしょう?」


 彼女の頭に浮かぶのは、オーサンの姿だった。


「思い出す度に辛くなっても、大切な人が生きていたってことは忘れたくないな。どんな最期を迎えていたとしても、私はその全部を覚えていたい」


「そうだよね。僕もそう思う……」


 ブロルはエイロンのことを思いながら、窓の外を見る。未だ墓に眠ることも出来ずにいる彼のことを考えると、胸が苦しくなった。

 恐らく火葬になるということも、エスカから聞かされていた。墓に名が刻まれることもないだろうと。それが、エイロンが犯した罪に対する罰であり、悪夢で消えた人々への償いなのだ。

 ブロルも理解はしていた。自警団がエイロンの無念を晴らそうとしてくれていることも。だからその場では反論もせず、泣くことも我慢した。

 それでも――。


「ブロル、大丈夫?」


「あ、うん。……みんなには、秘密にしておいてね」


 空を映した彼の瞳から、涙が静かに頬を伝っていた。

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