21、交換条件
「カレン・イリーって……、うちの隊のカレンさんじゃないか」
食料倉庫でカイからこっそりと報告を受けたフィルは、今朝現れた謎の執事についてそう説明した。
「ああ、そういうことか。ウインクされたから、何事かと思ったよ」
あれは「自分は仲間だ」という合図だったのかと、カイは納得した。
「恐らく、俺たちに連絡があるはずだ。何とかして三人で話す時間を作らないと」
フィルが考え込むと、カイはこう言った。
「フローシュお嬢様に頼めば出来るかもしれない。上手いことカレンさんだけを――」
「こんなところにいらっしゃったのね」
食料倉庫にフローシュが颯爽と入ってきた。普通、使用人以外はこんな暗く寒い場所へは来ないものだから、カイもフィルも面食らって彼女の顔を見つめた。
「あら、変な顔をなさるわ。自分のお屋敷だもの、どこへ行こうと私の勝手ではなくって?」
「それはそうですけど……、今の、聞いてました?」
カイの問いに、フローシュは頷いた。
「私、そのミスター・イリーに頼まれて来たのよ」
「もしかしてまた見破ったんですか。彼が魔導師だと」
「ええ、だって分かりやすいもの。あなた方って雰囲気を消すの、下手ね」
フローシュはくすりと笑い、フィルに苦い顔をさせた。潜入中の第二隊員にとって身分が露見することはあってはならないことなのだが、フローシュはいとも簡単に見破ってしまう特殊能力の持ち主のようだった。
「それでね、ミスター・イリーはあなた方とお話ししたいと仰っていたわ。彼が連れてきたアルノはお兄様と夢中でお喋りしてらっしゃるし、今のうちよ。着いてきて下さるかしら」
フローシュはするりと食料倉庫を出て、廊下に人がいないのを確認し、食堂の隣の部屋へと急ぐ。ドアを4回ノックすると、中から返事が聞こえた。レンダーの声だ。
三人が部屋の中へ入ると、真ん中にテーブルがあり、壁際のガラス棚には銀食器がずらりと並んでいるのが見えた。昨夜、セオはここで銀器磨きをしていたレンダーを襲ったのだろう。
テーブルの側に、レンダーとカレンが立っていた。
「ミスター・レンダーも知っていたんですか? 彼の正体」
カイは思わずそう言った。
「今さっき聞かされたよ。正直、驚いた」
レンダーはカレンを見て苦笑した。屋敷に三人も魔導師が入り込むなど、彼も初めての経験に違いない。
「ご迷惑をお掛けしています、ミスター・レンダー。我々、潜り込むのが仕事でして……」
カレンは申し訳なさそうに言ってから、カイに視線を向けた。その淡い色の髪や瞳も、やや中性的な顔の造形も、一目で美しいと感じさせる要素が彼には詰まっている。
「君がカイか。第一隊のライラックやフローレンスは知っているだろう?」
「え、はい。もちろん」
「僕は彼らの従兄弟だ。カレンデュラ・ハウ。よろしく」
カレンはにこりと笑い、すぐ真顔に戻った。
「昨夜、セオドリック・リブルがミスター・レンダーを襲いましたが、彼に思考操作の魔術を掛けた犯人はガイルス家の執事、マルク・ワイスマンだと我々は考えています」
読みが当たった、とカイとフィルは顔を見合わせる。
「ミスター・ワイスマンが、私を殺そうとしたと……?」
レンダーはしばし絶句し、フローシュも口元を押さえた。
「彼のことはご存知ですよね、ミスター・レンダー」
カレンが尋ねる。
「ええ。この屋敷に来られたことはありませんが、私がご主人様とガイルス家にお伺いしたときなどに、お会いしています。それほど深く関わったことはないのですが、何故、私を殺そうなどと」
お気を悪くなさらないで下さい、と前置きし、カレンは続けた。
「あなたはファルン・ガイルスが過去に何をしたのか、ご存知なのではありませんか?」
「えっ」
声を上げたのはフローシュだった。
「知っていたの? レンダー。ミミのこと……」
ファルンが結果として命を奪った、フローシュの友達だ。
レンダーは小さく唇を噛んでから、頷いた。
「はい。その当時から、私はデマン家にお仕えしておりましたから。お嬢様のご友人が亡くなられたのも、それに関する黒い噂も、聞いておりました」
「知っていたのなら、なぜ私がファルンの婚約者にさせられたとき、反対して下さらなかったの? あなたならお父様にも意見出来たはずだわ」
責めるような口調でフローシュはそう言った。レンダーは目を伏せ、代わりにカレンが答えた。
「反対したから今回殺されかけたのですよ、お嬢様。ガイルス家の執事であるマルク・ワイスマンは、ファルンのために悪い意味で一肌脱いだのです。あるいは父親であるセレスタの指示か。……ミスター・レンダー。あなたはずっと、お嬢様とファルンの結婚に反対していたんですよね」
「……ええ」
床を見つめるレンダーの顔は急に、やつれたように見えた。
「結婚の話が出始めた一年前から、私はずっと反対してまいりました。ご主人様にもミミの件を話し、説得しようとしましたが、相手にはして頂けなかった。ファルンがご主人様に取り入る方が早かったのです。
これ以上の口出しをするなら執事の職を解くとまで言われ、私は黙るしかありませんでした。お嬢様を守るためには、何としてもお側にいなければなりませんから」
「それでもあなたは抵抗を続け、ジェイコブ・デマン氏、つまりご主人様に、これを取り下げさせることに成功した」
カレンは上着の隠しから折り畳んだ紙を取り出し、広げてみせた。カイたちもそれを覗く。『特例による結婚年齢引き下げ許可証』とあった。右上部に、朱色で大きく『無効』の判子が捺されていた。
「一部の上流階級の家は、子女の結婚年齢を本来の17歳から15歳まで引き下げさせることが出来る。これはその許可証。フローシュお嬢様と、ファルンの名があります。受理されたのがほんの二週間前、取り下げられたのが5日前となっています」
「私……、私、そんなものが出されていたなんて一つも知らなかったわ。もし受理されたままだったら、もう結婚させられていたということ?」
青ざめたフローシュが、声を震わせた。
「お父様、そこまでファルンに操られているの? 私のことなんて、考えていらっしゃらないの?」
「そんなことはありません」
レンダーがはっきりと否定した。
「勘違いなさってはいけません、お嬢様。ご主人様はお嬢様が大切だからこそ、私の説得でそれを取り下げて下さったのです。……ようやく分かりました、ミスター・イリー。私がこれを取り下げさせたという情報がどこからかファルンに流れ、今回の事件になったのですね」
「我々はそう考えています。もっとも、あちら側は犯人の正体は知られていないと思っているでしょう。ここに三人も魔導師がいるとは、気付いていないようですし」
カレンが言った時、部屋の時計が10時の鐘を打った。フローシュがはっとしたように顔を上げる。
「家庭教師が来る時間。すっぽかしたりしたら、怪しまれるわね」
彼女は目元を拭い、レンダーに顔を向けた。
「さっきは責めたりしてごめんなさい、レンダー。あなたのおかげで、私は無事でいられるのに」
「お気になさらず。さあ、遅刻してしまいますよ」
レンダーは微笑み、彼女のためにドアを開けた。フローシュは一瞬泣きそうな顔をし、静かに部屋を出ていった。
ドアが閉まってから、カレンはレンダーに向かって言った。
「ミスター・レンダー、私の想像が間違っているなら言って下さい。ご主人様を説得するために、あなたは交換条件を出していたのではありませんか?」