16、動揺
「それはつまり……また都市が一つ消えると?」
今まで沈黙を貫いていた第二隊の隊長、イーラが口を開いた。長い黒髪を後ろで纏めた彼女は、華奢な指先でとんとんと机を叩く。その容姿は非の打ち所がないほどに整っていて、何人かの隊長は目の遣り場に困ったように顔を逸らした。
横に座る副隊長の青年も、まさに造形美と呼べるほどの容姿をしていた。動く度にふわりと揺れるその髪は、金色に光る麦の稲穂を思わせる美しさだ。むさ苦しい男たちの集まった場で、第二隊の席だけはやけに華やかだった。
「それと、ルースが負傷したことと、何の関係がある?」
イーラの言葉には棘があった。ルースは学院を卒業してすぐ第二隊に配属されていて、彼女にとってはかつての部下でもあったのだ。
第二隊は主に情報収集を任務としていた。手早く相手を懐柔し、情報を引き出すためには美しい容姿が必要とされる。故に、この隊には必然的に美形が集まるのだった。
「それは、ルースを襲ったのが誰かという答えになる。今しばらく私の話を聞いて欲しい」
ロットがイーラに視線を送ると、彼女は渋々頷いて先を促した。
「ありがとう。では続けさせてもらう。セルマの言葉はただの寝言ではない。彼女はガベリアの巫女を継ぐ者、要するに巫女の器だ」
「ちょっと待て」
早速フィズが口を挟む。我が強く、譲り合うということを知らない隊長たちを黙らせるのは至難の技だった。
「どうして巫女の器がスラム街なんかで生活しているんだ。巫女の予言を受けて、生まれてすぐに近衛団が保護しているはずじゃないのか?」
「本来なら、そうです。王宮の中でひっそりと育てられ、外に出ることも叶わず、時が来れば洞窟で巫女として一生を過ごす。保護と言うよりは監禁に近い」
「たわけたことを。近衛団を愚弄する――」
第四隊のエヴァンズが憤慨しかけたが、イーラが舌打ちで黙らせた。
「ほんの数秒でも黙って聞けないのか。これだから――」
「隊長」
第二隊の副隊長、エスカが静かに制止した。イーラは口をつぐみ、苛立ちのこもった息を吐いて椅子の背にもたれた。
「……続けてくれ、ロット」
ロットは苦笑しつつ頷いた。
「セルマが保護されなかったのは、ガベリアの巫女、タユラがそれを望まなかったからです。彼女は巫女としては日が浅く……とはいえ130年経っていたが、人間らしさを捨てきれずにいた。
巫女の器がどのような苦痛を味わうのか、タユラは身に染みて分かっていた。人の営みから隔絶され、孤独の中で生きる苦痛を、です。故に、セルマには同じ思いをさせたくなかったのでしょう。
リスカスの魔力の源である黒水晶の樹――オルデンの樹は次の巫女が生まれることをタユラに告げたが、彼女はそれを近衛団に黙っていた。そうなると誰も、新たな巫女が生まれたことを知る術が無い」
「スラム街にいて、今までよく無事だったな」
イーラが感心したように言った。
「よっぽど、逞しい少女なのか」
「それもありますが、タユラは何もしなかった訳ではない。信頼する近衛団員の一人に、セルマを見守らせた。その近衛団員だけは、彼女が巫女の器だと知っていた。しかしその彼は今、セルマの命を狙っている」
「誰なんだ、そいつは」
焦れたようにフィズが椅子から腰を浮かせる。ロットは牽制するように彼に視線を向け、また前を見た。
「エイロン・ダイス。近衛団の団員かつ、一時期は魔術学院の教官も務めた人物です。皆、名前は耳にしたことがあるでしょう。関わったことのある者もいるはずだ」
「死んだはずだろう」
イーラが強い口調で言った。
「ガベリアの悪夢の際に、エイロンはあの地にいた。周りの証言からもはっきりしているし、霊証も消えていた。近衛団員の霊証は自警団と違って、どこにいても地図上に現れる。それが消えていたのだから、間違いない」
第二隊はガベリアの悪夢が起きた後、情報収集に奔走していた。従って、魔導師の犠牲者に関してはどの隊よりも詳しい。
「彼は死んではいない。死にかけただけだ。現在の姿は、こうです」
ロットは掌を上にして、すっと手を差し出した。すると、そこから靄のようなものが浮かび上がる。それはやがて色彩を帯びて立体となり、爛れて崩れかけたエイロンの顔に変わった。全員が息を呑み、その姿を見つめる。
「なぜこんな姿に……」
「ガベリアの悪夢から生き延びた者は、どんな魔術でも決して癒えぬ傷を負っている。あの時、オルデンの樹から放たれた魔力は相当なものだった」
一瞬だが、フィズの表情が曇った。癒えぬ傷を負ったミネのことを考えたのだ。
「……よろしいですか、ロット隊長」
第六隊長がそろりと手を挙げた。
「エイロン・ダイスはとても優秀で、高潔な人物だと聞いています。生きていたとして、なぜ、巫女の器を殺そうなどと?」
手の上に浮かんでいたエイロンの像を消し、ロットは答えた。
「高潔な人物だった、というのが正しい。彼は――」
「いい加減にしろ、ロット。貴様はどれだけ近衛団を馬鹿にすれば気が済むんだ!」
エヴァンズが吠えた。彼自身、長年近衛団にいたせいか、プライドだけは誰よりも高いらしい。
目を剥いたイーラが罵詈雑言を吐こうとしたが、ロットの凍り付いたような目を見て、すぐに言葉を呑み込んだ。
「いい加減にしてほしいのはあなただ、エヴァンズ隊長。動揺した人間ほどよく吠える。……近衛団の副団長であったあなたが、9年前のあの時、何をしたか思い出すといい」
全員の目がエヴァンズに向けられ、彼は頬をひくつかせたまま固まった。ロットは自分の席を離れ、ゆっくりとエヴァンズに近付いていく。空気は異様に張り詰め、フィズでさえ口を挟まなかった。
「あなたは反省も後悔もしていないと見える。それならば第二隊ですら掴んでいない情報を、今ここで皆の前に曝してやろう。
エイロンが生きていると聞いてさぞや動揺しただろうな。彼はあなたの失態を知る唯一の人物だ。彼を庇うために、いや、彼という便利な駒を失くさないために、一人の部下を犠牲にしたということを」
エヴァンズの前に立ったロットは、先ほどエイロンの像を出した時のように、掌を上に向けて差し出した。靄が浮かび上がらせたのは、栗色の癖毛を持ち、穏やかな表情をした男性の顔だ。
「見覚えがあるだろう? 近衛団の団員、ベイジル・ロートリアン……我が隊にいるカイ・ロートリアンの父親だ」