17、素性
夜になって従者の仕事を終えたカイとフィルは、自分たちの使用人部屋に戻っていた。二人ともくたびれた顔で上着を脱ぎ捨て、ベッドに腰掛けている。
カイは午後にフローシュと外出し、私服姿の第二隊員から、街ですれ違い様にメモを受け取っていた。本部からの連絡事項と指示が書かれたものだ。
ナシルンがカイたちの元へ飛んでくるのを屋敷の人間に見られると、彼らに魔導師であることが露見する。だから、こんな回りくどい手段にならざるを得ない。
ただ、観察眼の鋭いフローシュには気付かれていた。「今のもお仲間ね?」と、メモの受け渡し直後に言われたのだ。探偵小説に出てくるような手口だと、彼女は少しはしゃいでいるようだった。
「セレスタが盗難届を放置した証拠は、手に入れたって」
カイは声を潜め、フィルに言った。メモは読んですぐに燃やしてあるため、記憶が薄まらない内に話す必要がある。早口にロイ・エランの日記帳について説明した。
「……なるほど。刑務官の襲撃はそこに繋がっていたのか。他には?」
フィルが先を促す。カイは更に声を潜めた。
「エディト団長は6日後のパーティーで決着を付ける気らしい。つまり、セレスタを確保するってことだ」
「出来るのか、そんなこと」
「策はある。セレスタに勘付かれないように、内容は俺達にも秘密だけど」
「まさか、パーティー会場で戦闘になったりはしないよな?」
フィルの懸念は尤もだった。セレスタは自分の正体を伏せつつ、現在の同盟を裏で操る人間だ。同盟にパーティー会場を襲撃させるくらい、朝飯前にやってのけるだろう。
「セレスタがどこまで知っているかによるんじゃないか。自分を捕らえるために、あるいはパウラ・ヘミンを救出するために自警団がパーティーに潜入していると分かれば、同盟に襲撃させるかもしれない。最悪、会場ごと爆破なんてことも有り得るぞ」
「俺たち、相当重要な役目だな。他にパーティーに潜入する隊員はいないのか?」
「方法は未定だけど、何人か潜入させる予定らしい。当日、隊員の姿を見掛けても決して反応するな、お前たちはフローシュ・デマンの警護とパウラ・ヘミンの救出に専念しろ、という指示だ。また追って連絡が来る。以上」
カイが締めくくった。二人の動きは自警団の隊員が常に監視しているから、いちいち日時を指定せずとも、今日のように連絡を受け取ることが出来る。
「ずいぶん雑な指示じゃないか。まあ、自分で考えろってことなんだろうけど」
フィルが息を吐き、ベッドに寝転がったときだった。激しい足音に続いて、部屋のドアがノックもなしに開かれる。そこにいたのは、寝間着姿で髪を振り乱したフローシュだ。二人は反射的に立ち上がった。
「カイ、大変なのよっ!」
彼女は真っ青な顔をし、切れ切れの息でそう言った。
「セオが、食堂で、ナイフを持って、レンダーを刺そうとしてる!」
二人が急ぎ食堂へ向かうと、暗い部屋の中、火が消えかけた暖炉の前で揉み合う人影があった。きらりと光って見えたのは、セオの手に握られたナイフだろう。カイは素早く指を鳴らし、部屋中のランプを点けた。緊急事態だから、これでレンダーに魔導師と知られても仕方がない。
「どうしたんだ、セオ! 馬鹿なことはやめろ!」
レンダーが辛うじてセオを床に組伏せているが、セオは無言のまま、身を捩って逃れようとしている。レンダーが振りほどかれそうになるくらいの力だ。
「セオ!」
二人が駆け寄った瞬間、レンダーの体がセオに突き飛ばされる。セオはレンダーに覆い被さるように、手にしたナイフを振りかざす――。
彼の動きが止まり、ナイフが宙を飛んで床に落ちた。フィルが魔術で動きを止め、カイがナイフを弾き飛ばしたのだ。レンダーは何が起きたのか分からず、尻餅を着いたまま二人とセオを交互に見た。
セオは虚ろな目で、まだ抵抗しているようだった。どう見ても異常だ。フィルがはっとしたように言った。
「カイ、押さえろ! 思考操作の魔術だ」
カイはセオを後ろ手にして、床に押さえ付ける。フィルはセオの袖を捲り上げ、その腕の内側に指を添えた。何かが焦げるような音と共に、そこに自警団の鷲の印が赤く、うっすらと浮かび上がった。魔力を封じるための魔術だ。
抵抗を止めたセオが力無く床に伸びる。部屋の隅で立ち尽くしていたフローシュが慌てて駆け寄って来るが、フィルが手で制した。
「寄ってはいけません、お嬢様。また暴れ出す可能性があります」
魔力を封じる魔術は、鷲の印が濃いほど強いものになる。うっすらと浮かぶくらいでは、その人に掛けられた魔術を完全に消すには至らない。熟練の技が必要な魔術だが、フィルは魔導師一年目にしては頑張った方だ。
「わ、分かったわ。でも、セオに乱暴なことはしないで」
フローシュは涙声で言った。
「大丈夫です。そんなことはしません」
そう言いながら、カイはセオを仰向けに寝かせ、肩を叩いた。
「セオ、分かるか?」
目は閉じられたままで反応は無いが、呼吸は穏やかだ。
「一体、何が? 君たちは……」
レンダーが側へ来て、カイとフィルに視線を注いだ。流石にもう、二人が単なる従者でないことは分かっているのだろう。
「後で説明します、ミスター・レンダー。とにかく、医務官を呼ばせてもらってもいいですか?」
カイはそう言った。魔力の封印が不十分なままでは、セオがまたレンダーを襲いかねない。それに、レンダーも手の甲に切り傷を負っていた。
「ああ。セオのためなら」
自分が殺されかけるという状況を経験したにも関わらず、彼は既に冷静さを取り戻していた。主人の前では常に冷静に行動するという、長年の執事の経験が成せる業かもしれない。
フィルがナシルンを呼び寄せ、自警団に向けて飛ばした。本部からの距離を考えると、医務官が到着するまでは15分程度だ。
「何があったのか、教えてもらえますか?」
カイがレンダーに尋ねると、彼はセオに目線を遣り、こう答えた。
「私が隣の部屋で銀器磨きをしているところに、セオが入ってきたんだ。虚ろな目で、ナイフを持って……。そして突然、襲い掛かってきた。もしかすると、以前から私を恨んで――」
「それは違います。セオは魔術で操られていただけです」
カイはすぐに否定した。現状、セオは被害者であって、彼に罪は無いのである。
「思考操作といって、他人を意のままに操ることが出来る、禁止された魔術なんですけど……。誰かがセオに、その魔術を使ったんです」
「その誰かって、ファルンではないの?」
フローシュがか細い声で言った。
「いいえ。この魔術は、魔導師の中でも上の方の人間しか使えません。ファルンでは無理です」
「ファルン・ガイルス?」
レンダーが珍しく、目上の人間を呼び捨てにした。三人とも思わず彼を見る。
「レンダー、あの人について何かご存知なの?」
「いえ……、お嬢様があの方を嫌っていらっしゃるということ以外は。ただ、お嬢様が嫌う方の中で、良い方というのは今まで一人もおりませんでしたから。逆を言えば、お嬢様が信頼なさる方は、私も信頼します」
そう言って、カイとフィルを見た。
「お嬢様が真っ先に呼びに行ったのが君たちということは、そういうことでしょう。……そろそろ、素性を明かしてはくれないだろうか」
「あの……、あのね、レンダー」
フローシュが口を挟んだ。
「あなたには、話してもいいとは思っていたのよ。二人が、その……魔導師だって」
フローシュは消え入るように言って、目を伏せた。
「あなたが傷付くといけないと思って、黙っていたの」
カイとフィルは顔を見合わせた。レンダーと魔導師に、どういった関係があるというのだろう。
「気を遣って頂かなくて結構ですよ、お嬢様。私なりに、心の整理は付いています」
レンダーは悲しげに笑い、怪訝な顔をする二人に言った。
「私の妻は近衛団の魔導師だったんだ。7年前……、ガベリアの悪夢で消えてしまったけれどね」