15、特権
「ごきげんよう、ファルン様」
廊下の向こうからレンダーに伴われてやってくるファルンに、フローシュは軽く膝を折って挨拶した。カイはその数歩後ろに控えている。
ファルンの視線はちらりとカイに向いたが、すぐにフローシュの方へ戻った。見慣れない従者に、それほど興味は示さなかったようだ。
「やあ、フローシュ。お出迎えしてくれるとは」
意外そうな顔をしているが、それは本心なのだろうか。カイは注意深くファルンを観察した。
「馬車でお出でになるの、窓から見ていたのよ。今日はお父様にご用かしら?」
「ああ。ちょっと、仕事の話で」
「そう、残念です。今日は、私は構って頂けないのね」
フローシュは少し拗ねた表情をする。心にもない台詞なのに、実に見事な演技力だ。ファルンは、こちらも演技なのか、優しく笑っていた。
「また機会を作るよ。すまないね」
「ちょっとのお時間も無くて? 私、昨夜はとても怖い思いをしたんです」
フローシュがぐいぐいと核心を突いていくので、カイはひやりとする。ファルンは頷き、こう言った。
「さっきレンダーに聞いたよ。馬車の馬が暴れたんだって?」
「そうよ。ひっくり返るかと思うくらい」
「怪我が無くて何よりだ、私のかわいいフローシュ」
「知っていたなら、もっと心配して下さるかと思っていたわ」
カイはまた、ひやりとした。フローシュはファルンに当て擦っているのである。お前がやったくせに、と。
ファルンは困惑した表情になる。これが演技だとしたら、見事なものだ。
「もちろん心配しているさ。誤解しては困るよ」
「そうなの、ごめんなさい。でもね、男の方の心情というものは、実際に思っているより五割増しに表現しないと、乙女には伝わらなくってよ?」
それを聞いて、ファルンはくすりと笑った。
「君は一人前の淑女だろう。私の気持ちは、言葉にしなくても伝わっているはずだ」
そう言ってフローシュの手を取り、その甲に軽く口付けすると、彼はレンダーと共に廊下の先へと歩いていった。
その姿が見えなくなってから、フローシュは憤慨したように息を吐いた。
「カイ、今のお聞きになった? 言葉にしなくても伝わっているはず、ですって。絶対に、今回の脅しのことを言っているんだわ」
「今のやり取りだけでは、何とも言えませんけど……。ファルンがどういう人物かは、良く分かりました」
「人を騙すのが得意なの、あの人。どんなときでも紳士の仮面は外さないんですから。あなたも騙されては駄目よ」
「まさか」
本性を知っているのに、それはないだろう。
「そうね。フィルにも、ファルンのことは伝えておいて下さる?」
「かしこまりました」
「いやだわ、本当の従者みたいになってきた」
フローシュは口元を押さえて、小さく笑った。
「ここでは一応、あなたの従者ですから」
「それなら、もう少しその眉を開いておいて頂戴。あなた、出会ったときからずーっと、しかめ面だわ。笑った顔をまだ一度も見ていないもの」
言われてカイは思い返してみるが、確かにそうかもしれなかった。ただ、今のところ笑えるようなことが一つもないのだ。
「すみません、そもそも普段からこれなので」
「そう。じゃあ、こうすればどうかしら」
フローシュは突然、自分の顔を両手で挟んで、不細工な表情を作ってみせる。そのおかしさに、カイは思わず吹き出した。ここへ来てから初めてフローシュに見せた笑顔だ。
「……笑っている顔、とても素敵よ。カイ」
そう言った後、フローシュはすぐに踵を返して歩き出した。彼女の耳はほんのりと赤くなっていたが、カイはそんなことには全く、気が付いていないのであった。
昼下がり、近衛団本部の団長室にはウィラ・レクールがいた。応接用のソファにエディトと向かい合わせで腰掛け、真剣な表情をしている。
「結婚するつもりは微塵もありませんが、パーティーには出席します」
ウィラはそう言った。6日後に開かれる、ガイルス家でのパーティーのことだ。以前から、ウィラにも招待状が届いていた。参加するのはこれが初めてではない。
「17歳の時に初めて行きましたが、あんなの、下世話すぎて吐き気がします……。言葉は悪いですけど、身売りしに行った気分でした」
レクール家と繋がりを持ちたい男たちが、獲物を狙う目で寄ってくるのである。ウィラにとってはそう感じても仕方のない状況だった。
「嫌な思いをさせて申し訳ありません、ウィラ。しかし」
「大丈夫です」
エディトの言葉を遮って、ウィラは言った。
「あの屋敷に軟禁されている、パウラ・ヘミンを救出するためですから。出来ることは何でもやります」
「君はもう、立派な近衛団員ですね」
エディトは微笑んだ。
「安心して、私の後を任せられそうです」
「そんな」
ウィラの表情が翳った。
「私はまだ、エディト団長の足元にも及びません」
「そんなことはありませんよ。少なくとも、レンドルを従えるくらいの強さはあります。君を干渉包囲に参加させたくないと言った彼を、押し切ったそうですね。大したものです」
そう言ってから、エディトは笑みを消して真剣な表情に戻った。
「君に一つ、話しておきたいことがあります」
「はい」
「近衛団長は、代々、その血こそが最も重要とされてきました。限られた血と魔力も持つ者だけが、巫女の力に……言い換えれば、巫女に命を捧げることが出来るからです。
しかし、現在のリスカスはどうですか。巫女はもういません。我々の血が守るべき対象は、いないんです。つまりは、誰が団長になっても問題はない」
はっとしたように、ウィラは目を見開いた。
「確かに、そうです」
「実力と王族への忠誠心さえあれば、団長は務まります。そこで君に聞いておきたい。もし、君に団長という未来が無くなったとしたら、どうですか」
「つまり、私は団長にならなくてもいいと……?」
その言葉に、ウィラの本音が詰まっていた。やはり次期団長という立場は、かつてのエディトと同じように、彼女にとっても重荷だったのだ。エディトは頷いた。
「ええ。もちろん、近衛団員は続けてもらいますが」
ウィラはしばらく床を見つめて考えた後、こう言った。
「私は構いません。普通の魔導師として過ごしてみたいと、ずっと思っていました」
「私もかつて、そう願っていました。ですから君の気持ちは良く分かります。ただ、今回はそこで終わる話ではないのです、ウィラ。私は、近衛団長の一族の特権を全て廃するべきだと考えています」
「特権……。陛下からの報奨金と、王族に等しい身分、ということですか?」
「ええ。一族全員、大反対するでしょう。しかしそれを実現しなければ、セレスタ・ガイルスは捕らえられない」
エディトは立ち上がり、窓の側へ寄った。穏やかな陽射しが彼女の顔に注ぐ。
「陛下はお心のある方ですから、一族から特権を没収なさったとしても、路頭に迷わせるようなことはなさらないでしょう。私も決して、自分の家族を苦しめたいわけではありません。……私を苦しめた家族ではありますけどね」
そこにどう反応したらよいか分からず、ウィラは黙っていた。エディトは外を見ながら、構わず続けた。
「重要なのは、自警団が近衛団長の一族に手を出せる状態にするということです。それも、セレスタには秘密裏に。分かってしまえば、妨害工作は免れません」
「一体、どのようにすればいいんでしょうか」
エディトは振り向いた。
「簡単ですよ。このことに関して決定権を持つのは陛下お一人。そしてそれぞれの一族のトップに立つのは、現在近衛団にいる私と君です。我々が決断し、期を見て陛下に特権の廃止を奏上する。それだけです。
セレスタは王族に刃を向けた男ですが、対して我々は今回、王族のために命を懸けました。どちらに利があるかは明白でしょう」
ウィラは頷いた。
「では、陛下に納得して頂くための証拠が必要ですね。セレスタを捕らえる必要がある、という」
「ええ。それを今、自警団の彼らが手分けして集めているところです。期は近いですよ。我々は、我々の為すべきことを。6日後のパーティー……、そこで決着を付けましょう」