12、悪魔
即戦力という意味では、フィルは大いにデマン家に貢献していた。従者の経験があるというだけあって、仕事もすぐに飲み込み、所作も態度も堂に入っている。そこはカイも素直に感心するのだった。
セオが屋敷の奥方に同伴して外出している間、二人はカイにあてがわれた使用人部屋にいた。ベッドが空いているので同室ということになったのだ。内密に話をするには丁度良かった。
「いつまでも笑ってんじゃねえよ、フィル……」
ベッドの上で身をよじって笑うフィルを、カイはぎろりと睨み付けた。
「ごめん……でも、俺は普段のカイを知ってるからさ。ははっ」
笑いすぎて滲んだ涙を拭いながら体を起こし、フィルは一瞬で真顔に戻った。任務となると真面目だ。
「で、フローシュ・デマンの婚約者がセレスタ・ガイルスの息子なんだな?」
フィルは既に、カイが昨夜のうちに報告した情報は得ているらしい。
「ああ。ファルン・ガイルス。6日後にパーティーを開くらしい」
「そのパーティーに潜入しろっていうのが、エスカ副隊長の指示だ。ガイルス家を捜索する」
「捜索? あそこにスター・グリスがあるのか?」
「えっ」
フィルは動揺を声に出してしまった。カイには、スター・グリスのことは何も知らされていないはずだったのだ。
「……驚くなよ。俺だって馬鹿じゃない」
カイは苦笑しながら言った。
「みんなが気を遣って、俺にその話をしないようにしているのは知ってるよ」
フィルはカイの顔を見ながら言葉を探し、しばらく経ってから口を開いた。
「いつから知ってたんだ」
「俺たちがガベリアへ出発して、スタミシアにいた頃か。エスカ副隊長と、エーゼルさんと、オーサンの三人が猟銃店に寄ったんだ。そこで10年前に盗難に遭ったスター・グリスの話を聞いたらしい。宿でルース副隊長とオーサンがこっそり話していた。それがクーデターで使われたかもしれないってことも、結構な威力があるってことも。それでオーサンが……俺には黙っていて欲しいって言ったことも、全部聞いてた」
「だからずっと、知らないふりをしてたのか」
フィルは声を震わせ、目元を拭う。突然の彼の涙に、カイは面食らって言った。
「なんで泣くんだよ」
「ごめん。だって、俺からしたらオーサンもカイも友達だから。二人の気持ちを考えたらさ……」
上を向いて何とか涙を引っ込め、フィルは赤い目のままでカイを見た。
「泣いてる場合じゃないな。知っているなら、話すよ」
そして、スター・グリスと盗難届のこと、それがユフィの店から見付かったことついてカイに説明した。元より、カイにばれていたなら誤魔化そうとするなとエスカに指示されている。
「なるほどな……。どうしてセレスタに焦点を絞るのかと思っていたが、納得したよ。話を戻すけど、じゃあ、ガイルス家を捜索する理由は? そこで何を探すんだ」
カイが疑問を投げ掛けると、フィルはこう言った。
「エヴァンズとセレスタが共謀して、クーデター前後にエイロン・ダイスを王宮の地下に監禁したって話だったろ? それを目撃した人物がいた可能性がある。その人を探すんだ」
「例えば王宮の使用人、とか?」
「そう。9年前に第二王女の侍女見習いをしていた12歳の少女……今は21歳の女性か。パウラ・ヘミンという名前だ。彼女が目撃者かもしれない。既に病気で亡くなったことになっているが、実は生きていて、セレスタの屋敷にいるらしい」
「どうして」
「順を追って話させてくれ。まずパウラは、クーデターの数日後に王宮の中で倒れて、その後に病院で亡くなったことになっている。でも、怪しい点が多々あるんだ。そこでエスカ副隊長が近衛団に掛け合って、第二王女に直接話を聞いた」
カイは目を見開く。
「そんな畏れ多いことを?」
「それを平然とやってのけるのが、あの人だよ。で、当時7歳だった第二王女はパウラが目の前で倒れるのを見ていた。偶然近くにいたセレスタが、彼女を抱え上げて運んでいったそうだ」
「本当に、偶然なのか」
「俺も疑わしいと思う。サモニールでも使えば、時間差で意識を奪うことが出来るだろ? パウラの食事か何かに忍ばせて、見張っていたんだろうな」
サモニールはポピーに似た植物で、その根から抽出したエキスは強い睡眠薬になる。リスカスでは、病院以外での使用が禁止されていた。
「他の、怪しい点は?」
「まず、倒れた時期がクーデターのすぐ後ということ。もう一つは、パウラの死亡診断書を書いた医務官が、監禁後に入院していたエイロンを診察していた医務官と同じだったことだ。更に……」
フィルはそこで少し言い淀んだ。
「何だよ。今さら俺に気を遣うな」
何か察したカイに強く言われ、続けた。
「ああ。クーデターの実行犯はその場で自害していたが、それはセレスタの思考操作の魔術によるものかもしれない。だが、それだと医務官に遺体を検案されれば分かってしまうだろ? だから」
「さっきの医務官が検案を担当して、誤魔化したのか」
「そうだ。どう考えても、セレスタの息が掛かった医務官だろう」
「じゃあ、そいつを捕まえて尋問すれば――」
「彼はクーデターからしばらく経って、獄所台専属の医務官になっている。こっちからは手が出せない」
フィルの言葉に、カイは険しい顔をした。
「くそ、やりたい放題だな。……でもそれだけだと、パウラが生きているってことにはならなくないか? セレスタは本当に口封じをしたかもしれない。どんな死因にしても、医務官に嘘の診断書を作らせることが出来るんだから」
「セレスタにはパウラを殺せない理由がある」
フィルは声を潜め、言った。
「自分の孫なんだ。ガイルスの血が入っている人間を、簡単に殺すとは思えない」
「……つまり、ファルンの娘?」
セレスタの子供はファルンしかいないから、必然的にそうなる。フィルは頷き、カイは驚愕の表情になった。頭の中で、それぞれの年齢を計算した。
「いや、冗談だろ。それだとパウラは……ファルンが15歳の時の子供ってことになるぞ」
「それで間違いない。第二隊員がヘミン家に行って、事情を聴いたんだ。22年前、ファルンは王立学校の生徒で、パウラの母ナタリアと同級生だった。二人は恋仲で、その内にナタリアに子供が出来たと騒ぎになった。相手はファルンだとナタリアは認めたんだが……、ファルンの方が認めなかった。事実無根だと。
ガイルス家に逆らうことなんて出来ないから、ナタリアは泣き寝入りだ。仕方なく子供を産んだが、そのときのトラブルで亡くなった。パウラはナタリアの妹として育てられることになった」
「二人もかよ……」
言葉がカイの口を衝いた。ファルンは二年前に幼いミミも妊娠させ、結果的に殺している。それだけでは済まなかったらしい。
「フローシュお嬢様の人を見る目は確かってことだ。ファルンは悪人というより、悪魔そのものだけど」
フィルも溜め息を吐いた。
「今回は、サーベルと魔術でどうにかなる相手じゃなさそうだな」
「ああ。……殺せない理由は分かったが、ヘミン家は、パウラは死んだと思っているのか?」
「いや、生きていることは知っている。だが、死んだことにしている。ヘミン家は、娘が王女の侍女見習いになれるくらいの高貴な家柄だ。未婚の娘が産んだ子供なんて、いては困る。ナタリアの父親がそう言ったらしい。
セレスタは彼に、クーデターで王宮が混乱している今のうちに、パウラは死んだことにし、今後は自分の屋敷で面倒を見たいと言った。今更だがファルンのしたことの責任を取りたいと。ナタリアの父親は、二つ返事でそれを了承した」
「人を何だと思ってるんだよ、どいつもこいつも!」
カイが怒りに任せて自分の膝に拳を叩き付けたそのとき、部屋の外からベルの音が聞こえた。廊下の壁に、使用人を呼び出すための呼び鈴があるのだ。
「お嬢様がお呼びなのかもしれないぞ」
二人は廊下に出た。壁に10個ほどの呼び鈴が並び、それぞれの下に部屋の名前を書いたプレートがある。呼び鈴に付けられた紐は各部屋に繋がっていて、それを引けば、ここにある呼び鈴が揺れる仕組みになっている。
今、揺れているのは、フローシュの部屋から繋がる呼び鈴だった。フィルはカイの肩を叩く。
「行ってこい。彼女の騎士なんだろ」
茶化すでもなく、大真面目にそう言った。悪魔のようなファルンに狙われているフローシュは、どこにいようと紛れもなく危険なのだ。
カイは頷き、彼女の部屋へと向かった。