3、あるべき場所
第三隊が市民を装ってキペルの街へ偵察に出た日の午後、エーゼルはライラックと共にスタミシアの『サリス狩猟専門店』に来ていた。
スタミシアでも、偵察任務にあたる支部の隊員たちをそこかしこで見掛けた。彼らも私服だったが、同じ魔導師であるエーゼルたちには雰囲気で分かるのだった。
建物の一階にある店舗は完全に閉店したらしく、窓やドアには板が打ち付けられている。物寂しい光景だが、二階の住居には店主のユフィ・サリスがまだ住んでいるはずだった。
ここを数日前に訪れたときには、オーサンもいた……。エーゼルはずきりと胸が痛むのを感じながら、二階へ続く階段を登る。ライラックが住居のドアをノックし、声を掛けた。
「自警団キペル本部の者です。ユフィ・サリスさん、いらっしゃいますか」
ややあって、ドアの向こうで物音がした。ドアノブが回り、開いた隙間からユフィが顔を出す。彼女はエーゼルの顔を見て、はっとした。
「この間の……?」
それからドアを大きく開いて二人を招き入れ、慌てふためいたようにこう尋ねた。
「あの、ガベリアが甦ったって、本当なんですか? 私、まだ信じられなくて……」
目の前にいるエーゼルがその立役者の一人とは、夢にも思っていないようだ。
「事実ですが、今は詳しいことはお伝え出来ないんです。安全のためにガベリアへは入らない、ということだけは守って頂けますか」
エーゼルが真摯に説明すると、ユフィは大きく頷いた。
「もちろんです。……それと、盗まれたスター・マニリス、見付けて下さってありがとうございました」
スター・マニリスは一般的な猟銃だ。1ヶ月ほど前、同盟に買収されたユフィの友人が店から盗み出していたが、ほとんどエスカの独力で犯人確保と銃の奪還に至っていた。
「そちらも、本部の方なんですね?」
ユフィはライラックに顔を向けて、少し怯えたように尋ねた。どちらかというと細身なエーゼルに比べて、がっしりと頑丈な体躯をしたライラックは威圧感があるようだ。
「キペル本部第一隊の、ライラック・グルーと言います。彼の上官になります」
ライラックは出来るだけ優しく微笑んだ。自身が強面であることは、常々自覚している。
「そうでしたか。……今日は、私に何か?」
一度はほっと弛んだ彼女の顔に、不安の影が差す。
「実は、十年前にこちらの店から出されていた盗難届のことを伺いに参りました。ユフィさん、ゴレム・サリスという名前をご存知ですね?」
ライラックが尋ねると、ユフィは頷いた。
「私の祖父です。十年前って、もしかしてスター・グリスの……」
彼女はさっと顔を青ざめさせ、後ろにふらついた。エーゼルが支えなければ、そのまま尻餅をついていたところだ。
9年前のクーデターで使用されたかもしれない猟銃、スター・グリス。自分の店から盗み出されたものが使われたのではないか――その嫌な予想が当たったと、ユフィは確信したのだった。
「ユフィさん、大丈夫です。私たちはあなたをどうにかしようと思って来たのではありません」
エーゼルはそう言って彼女を落ち着かせた。
「では、何をお聞きになりたいんですか?」
ユフィの顔はまだ青ざめたままだったが、言葉はしっかりしていた。やはり芯のある女性だ、とエーゼルは思う。初めて会ったときも、彼女が魔導師三人を相手に堂々としていたのを思い出した。
「その盗難届が、こちらにあるのではないかと思いまして。店の中を調べさせて頂いてもよろしいですか?」
アーレン・デミアの記憶の中で、エイロンはこのサリス狩猟専門店から出された『危険物等盗難届』をどこからか入手していた。セレスタ・ガイルスがスター・グリスの盗難を知りつつ、故意に放置したことを示す証拠だ。
エイロンはそれを、この店に隠したのではないか。そう読んだエスカが、エーゼルたちをここへ向かわせたのだった。
ライラックの言葉に困惑の色を浮かべながらも、ユフィは頷いた。
「……本当のことが分かるかもしれないんですよね」
彼女がクーデターのことを言っているのは、二人にも分かった。
「こちらへ」
そう言って身を翻し、部屋の中へと入っていく。小さな台所を抜けて廊下に出ると、一階へと続く階段があった。ユフィに続いて、エーゼルたちは階下の店舗へと降りた。
窓を塞いであるせいで、店の中は暗い。ユフィがぱちんと指を鳴らすと、部屋の明かりが一斉に灯り、物が片付けられて寂しい空間を照らした。
「魔力、あったんですね」
エーゼルが言うと、ユフィは小さく笑った。
「これと、台所のオーブンに火を入れるくらいしか出来ませんけど。この店を継ぐ前は、お屋敷でキッチンメイドをしていたんです」
台所の雑務を担当する使用人のことだ。彼女は過去のことを話せる程度には、エーゼルに心を開いているようだった。
「そうでしたか。つかぬことをお聞きしますが……ユフィさんは、今おいくつですか?」
「20歳になります。店を継いだのは、17歳のときでした」
エーゼルは彼女が自分と同い年という意外な共通点を見付けたが、任務には関係のないことなので黙っていた。
「それは、大変でしたね」
「キッチンメイドの方がずいぶん楽でしたよ」
ユフィは笑い、それから店の中を見回した。
「どうぞ、店の中は自由に探して下さい。壁も床板も剥がして頂いて結構ですので。私がいると、邪魔でしょうか?」
「そんなことはありませんが、破片で怪我をするかもしれないので、二階にいて頂いた方が」
ライラックが床板を剥がす前提で話しているので、エーゼルは心の中で苦笑した。しかし、実際のところ彼女はいない方がいいのだ。エスカはこう言っていた。
――あるべき場所にあるべき物がある。躍起になって探している時ほど、それを忘れるものだ。
盗難届だけではなく、クーデターで使用された後、行方不明となっていたスター・グリスそのものが出てくるかもしれないのだから。
獄所台総監室の空気は張り詰めていた。背筋を伸ばして椅子に腰掛ける総監は優に70歳を越えているが、総白髪で老齢の身ながら、未だに衰えを感じさせない威厳を放っている。
それが彼の持つ魔力のせいなのか、事の重大さのせいなのかは、机を挟んで彼に相対しているコールにも判然としない。
総監は読んでいた書類から視線を上げ、口を開いた。
「……君が自警団の医務官レナ・クィンと通じていた件に関しては、今回の状況に鑑み罪には問わない。レナ・クィンへの尋問も行わない。我々は甦ったガベリアの対応で、それどころではない。ただし」
彼は椅子から立ち上がり、ゆっくりとコールの前に移動した。
「私は言葉を弄するのが嫌いだから、はっきり言っておこう。君の行動は、獄所台にいる他の魔導師の士気を大いに下げるものだ。彼らは皆、自警団とは関わらないという鉄の掟を守ってここへ来ている。君だけが許されるという、特例は作れない」
「はい。承知しております」
コールは毅然とした態度で答えた。そもそもレナが無事であれば、自分はどうなっても構わないのだ。獄所台を追い出されようと、魔導師の資格を奪われようと。
「よろしい。君には、少々早目に引退してもらおうと思う」
総監はそう言って、フンと鼻を鳴らした。
「厳罰だ。屈辱的だろう、コール。……君の処罰が将来の礎になると思えば、心も波立つまい。今後の獄所台の在り方については、検討していくつもりだ。獄所台へ推薦された者に、断るという選択肢を与えなければならない。いくら優秀な魔導師とはいえ、愛する者との仲を引き裂いてまでここへ来させる意味などない」
彼は席に戻ると、深く椅子にもたれて目を閉じた。
「私は獄所台の魔導師として、個人の感情で規律を緩めることはあってはならないと思っている。ここは人を裁く組織として、今までと同様に多方面から独立している必要がある。しかし、君や……私のように、辛酸を嘗める人間を増やすことは、出来ればしたくないものだよ」
コールはただ黙していた。総監が自分と同じ側の人間であることは、薄々感じ取っていた。だからこそ、無謀ともいえる作戦に打って出ようと思えたのだ。別の人間に同じこと――自警団と繋がっていたと白状――をしていれば、即刻、檻の向こうにいたはずだった。
「40年近く前のことだ。振り返るには遠すぎるが」
総監は目を閉じたまま、そう言った。
「自警団に、結婚するつもりの相手がいた。だが、私は獄所台に推薦された。もちろん断ることなど出来ない。彼女が別の誰かと幸せになってくれることを願って、別れを告げた。しかし……」
大きく息を吸って、続けた。
「私が獄所台へ来て数ヶ月と経たない内に、彼女は殉職した」
総監はゆっくりと目を開け、コールに視線を遣った。
「君の場合は、まだ生きているだろう。後悔のないようにするといい」
そう言って、彼は姿勢を正した。
「コール・スベイズ。今この場で、獄所台刑務局長の任を解く。次の刑務局長への引き継ぎが済んだら、さっさとここを出ていけ。……魔導師として46年、獄所台では25年か。長い間、ご苦労だったな」
「お世話になりました、総監」
不意に込み上げた想いに目頭を熱くしながら、コールは総監に敬礼した。