2、始動
国葬の翌日はあいにくの天気で、灰色の重い空には朝から雪がちらついている。小休止を挟んだ魔導師たちはそれぞれ、動き出していた。
第二隊の隊長室に、カイと同期のフィル・ノーバスが呼び出されていた。机の向こうにイーラが座り、その横にエスカが立っている。
「久しぶりの潜入任務になる」
イーラが口を開いた。
「セレスタ・ガイルスがクーデターを企てたかどうか、現時点でははっきりとした証拠がない。証明する術もない。だが、叩けば確実に埃は出てくる。そこで、奴の身辺を洗いたい。フィル、ガイルス家と付き合いのあるデマン家に、従者として潜入してもらいたい。同じような任務は今までにあったはずだ」
「確かにありましたけど……」
フィルは数ヶ月前に、同じく従者として別の貴族の屋敷に潜入していた。少年の従者は主に屋敷の女主人がアクセサリーとして連れ回すもので、マナーや教養はもちろん、容姿の良さも必要だ。まさに、第二隊の若い隊員にはもってこいの潜入方法だった。
「あんまり気分のいいものじゃありませんでした」
そう言ってフィルは渋い顔をする。思いの外プライドが高い彼にとっては、飾りとして使われることが我慢ならなかったらしい。
「そう言うな。あの時は上手くこなしたじゃないか。だからお前に頼むんだ」
エスカがおだてると、フィルも少し表情を弛めた。
「分かりました。いつからですか?」
イーラは壁のカレンダーにちらりと目を遣ってから、言った。
「出来るだけ早い方がいい。セレスタは昨日、一ヶ月ぶりに屋敷に帰ってきたらしい。今まで姿を消していたのは、エイロンが生きていたことを知って身を隠していたからだろう。奴もエイロンについては脛に傷があると、エディト団長から聞いている。復讐を恐れていたはずだ。だがエイロンの死を知って、安心して戻ってきた」
フィルが首を捻った。
「セレスタはどこでエイロンの生死を知ったんでしょう? 自警団か近衛団しか知らないはずの情報です」
「いや、もう一つあるぞ」
エスカが口を挟んだ。
「今の反魔力同盟。奴らもエイロンと行動を共にしていたんだから、当然知っているはずだ」
「でも、セレスタが繋がっていたのは昔の同盟なんじゃないですか? 今の新しい同盟とも繋がっているなんて」
「アーレン・デミアの話だと、最初こそエイロンは偽名を使っていたが、セレスタのことを知って以降は堂々と本名を名乗っていたらしい。恐らく意図的にだ。セレスタが今の同盟とも繋がっているなら、エイロンの話は必ず奴の耳に入る。そして生きていることを知れば、何かしらの行動は取る」
フィルは感心したように頷いた。
「実際、そうなりましたね。セレスタの罪を炙り出すために、全部計算した上での行動だったんでしょうか」
「心が壊れていたとしても、元来の優秀さが失われたわけではなかった。……我々は惜しい人を亡くしたな」
イーラの言葉には哀悼が込められていた。エイロン亡き今、彼の蒔いた種に芽を出させることが、同じ魔導師として出来る唯一のことだ。
「全てが解決しなければ、彼を墓に納めることも出来ない。今は地下の保冷庫に安置してあるが……魔術で保存してあるとはいえ、そう長くは持たないぞ。エヴァンズも同様だ」
本部の地下には、冬の間に湖から切り出した氷を保管しておく保冷庫があった。便利なものとはいえ、遺体の保存は本来の使い方ではない。
「とにかく、セレスタが本当に9年前のクーデターに関わっていたのだとしたら、相当な危険人物ということになる。巧妙に動き、自分の手を汚したことは一度もないはずだ。……奴が同盟の人間と繋がっているなら、そっちを攻めるのも同時進行でやらなければならない。今度こそリスカスから、同盟を掃討する」
「第一隊に頼みますか。スタミシアの方は……第六隊辺りが適任でしょうか」
言うが早いか、エスカはナシルンを呼び寄せていた。イーラは首を横に振った。
「スタミシアはそれでいいが、第一隊は30人しかいないし、ルースに負担を掛けることにもなる。別に頼みたい任務もあるしな。人数的にも士気的にも、あっちの方が適任だ」
「了解」
エスカはにやりと笑い、ナシルンにメッセージを吹き込んで飛ばした。
第三隊の会議室に、フィズの怒声が響いた。
「街に潜んだ同盟の人間は、一人残らず牢にぶちこんでやれ。奴らがガベリアを拠点にするとかいう、ふざけた真似は断じて許さない。魔力で支配して理想郷を造る? くそ食らえだ。力は正しく使わなきゃ意味がねえんだよ。
魔力の秩序は復活している。つまりだ、魔術で攻撃されることはないと思っていい。武器もしくは丸腰相手なら、俺たちの出番だろ? 取り逃がしたり呆気なくやられたり……オーサンに笑われるようなヘマだけはするな!」
「了解!」
勢いのある隊員たちの返事が、ドアの向こうまで響いていた。
第四隊の会議室では、ブライアンが淡々と話していた。
「我々の任務は、第一に市民の安全確保だ。第三隊の戦闘に市民が巻き込まれないよう、十分に警戒を。……手柄を立てることも他の隊を出し抜くことも考えなくていい。もうエヴァンズ隊長はいない。それぞれに、魔導師として正しいと思う行動を取ってくれ。君たちには実力がある。今までそれを生かす環境に出来なかったのは申し訳ないが……」
隊員たちの目は、心なしかエヴァンズがいた頃よりも輝いて見える。彼のために意に染まないことを強要され、魔導師として腐りかけていた隊員たちにとって、ブライアンの言葉は再び自信を取り戻させるものだった。
「副隊長がいなかったら、俺、とっくに魔導師辞めてましたよ」
一人の隊員がそう言うと、別の隊員もそれに同意する。
「そうですよ。副隊長が間に入ってくれてたから、私たち、腐り切らずに済んだんです。せめてその髪の色、元に戻るまでは、第四隊でいさせて下さい」
「……ありがとう」
不覚にもブライアンは目が潤みそうになった。エヴァンズという敵を前に自分は無力だと思っていたが、そうでもなかったようだ。
理想を持って魔導師になった彼らに、魔導師が、そして自警団が腐ったものだと思わせてはいけない。変えていかなければ――犠牲者となったアーレンのためにも、ブライアンはそう誓った。