41、別れの言葉
薄曇りの朝だった。雲を透かして陽の光は届くが、別れの哀しみを拭い去るには少し心許ない明るさといったところだ。
そんな中、王宮の離れにある大広間ではオーサン・メイの国葬が粛々と営まれていた。
広間の大部分は整列した自警団の紺色で埋め尽くされ、数少ない近衛団の臙脂色は前方に並んでいた。彼らの中央を割るように敷かれた黒い絨毯は、扉からまっすぐに祭壇へと伸びている。
10時の鐘が厳かに響き、彼らは一斉に姿勢を正した。扉が開き、微かな足音と共に棺が祭壇へと運ばれていく。今まさに飛び立たんとする鷲の姿を描いた自警団の旗が、気高さを誇ってその上を覆っていた。
棺を運ぶのはフィズと第三隊の隊員たち、計6名だった。毅然とした態度で一歩ずつ歩を進める彼らが、この役割に何を思うのかは想像するしかない。
棺が祭壇の前に置かれた台にゆっくりと降ろされる。同期と共に会葬者の最前列に並ぶカイは、隣にいるクロエが思わず俯いたのを横目で見た。
通路を挟んだ反対側の最前列にはラシュカと、共にガベリアへ向かった隊員たちが並んでいた。ブロルも黒の喪服を着て、そこに混じっている。
祭壇の向かって右側には、黒一色の衣装を纏った王族が並ぶ。そこから国王が会葬者の前に進み出ると、耳鳴りが聞こえそうなほどに広間が静まり返った。
国王はガベリアが甦ったことに対する自警団と近衛団の功績を讃え、尊い犠牲となったオーサンに深い哀悼の言葉を贈った。
そして彼に、リスカスで最大の名誉である勲一等クシュ・エテイリの称号を与えると宣言した。
身近な人が二人も叙勲されたんだな、とカイはぼんやり考えた。父のベイジルも、同じくクシュ・エテイリの称号を与えられている。だが死後の名誉より、生きていてくれた方がどんなに――カイはそれ以上、考えないようにした。そんなことを言っても始まらないのは、誰よりも良く分かっている。
会葬者全員で冥福の祈りが捧げられ、次にラシュカが前へ進み出て言葉を述べた。そのときには、親として、また同じ魔導師として息子を送らなければならない彼の心中を思い、涙する者が後を絶たなかった。泣かないと決めていたカイもクロエも、他の同期たちも、それは同じだった。
そして無事に葬儀は終わり、身近な者と棺を運ぶ隊員たちを除いて会葬者は広間を出ていった。残ったのは国王とその侍従、最前列にいた人々と、各隊の隊長、医長のレナ、エディトとレンドルだった。
最期の別れの時間だ。棺の蓋は外され、全員がそこで穏やかに眠るオーサンの姿を見た。彼は自警団の制服を纏い、胸元に重ねられた手にはサーベルを握っている。カイはその姿に一瞬、あの日の父を思い出してしまった。ふらつきそうになったところを側にいたルースが支える。彼の目もやはり、赤くなっていた。
同期にしても耐え難い光景だったのだろう。一人の少女が、わっと声を上げて泣き出した。クロエが彼女の背を撫でながら辛そうに唇を噛んでいた。
国王が棺の前へ進み出て、侍従が手にした小さな箱から勲章を取り出した。三枚の花弁がある紫露草の花を精緻な銀細工で模し、中央に紅いルビーが光る勲章だ。
銀細工職人のフリム・ミードが夜を徹して作ってくれた、と国王は言った。後ろの方にいたレナが微かに頬を強張らせる。何の因果か、ここで娘の名を聞くことになるとは思っていなかったようだ。
国王は勲章をオーサンの左胸に留め付け、気高き魔導師、オーサン・メイをクシュ・エテイリに叙する、と言った。返事をすることが叶わないオーサンに代わり、ラシュカが敬礼した。
国王がその場を辞すると、同期たちがそれぞれ棺の中のオーサンに声を掛けていく。クロエが声を掛け、ブロルも古代ガベリア語で何か言い、最後にカイの番が来た。
「また会えるときが来たら、自慢してやるよ。辛くても胸張って生きてやったぜ、ってさ」
カイはそこでやっと、笑顔を作ることが出来た。やはり生身のオーサンには泣き顔を見せたくない。次に会ったとき、こう言われそうだからだ。俺が目を閉じてるからって油断するなよ、見てたぞ、と。
この痛みが消えるまでは、胸は張れないかもしれない。しかしその時期が過ぎたなら、あとは有言実行するのみだ。カイは今一度オーサンの顔を目に焼き付けてから、棺の前を離れた。
もう二度と開かれることのない棺の蓋が、ゆっくりと閉められていった。
門の向こうに広がる北1区の墓地は、よく整備された綺麗な場所だった。今の季節は芝生が青さを失っているものの、そこに整然と並ぶ墓石のおかげで少しも荒れた感じを与えない。
墓地を奥へ進んだ所に、花の模様を刻んだ美しい墓石があった。フレア・ダイル――娼館ではダリアと名乗っていた、オーサンの母の墓だ。そしてその隣には、長方形の深い穴が主を待ちながら口を開けていた。
墓地の管理人に続いて、その穴の前にオーサンの棺が運ばれてくる。運び手は彼と共にガベリアへ向かった隊員たち4人とフィズ、そして同期のフィルだ。その後ろにラシュカが付き従っている。
フィルは、やはり学生時代に同室者として過ごした仲間だから、最後まで見送りたいと希望していたのだ。棺の運び手に三人も容姿端麗がいるなんて贅沢な奴、とカイは思っていたのだった。
墓の周囲にはクロエとブロル、エディトとレンドルの他に、喪服姿のカミラも立っていた。
棺は地面に下ろされ、上を覆っていた自警団の旗は取り去られる。その旗をエスカとフィズが綺麗に畳んでいくが、フィズの手際が少々よろしくないのでエスカが一瞬彼を睨む。心の中ではこのクソ野郎と思っているに違いなかった。表面上は順調に畳まれたその旗が、ラシュカに手渡された。
隊員たちは棺に向かって整列すると、同時にサーベルを抜いて天に翳した。折よく空は晴れ、降り注いだ陽がその刀身を煌めかせる。
次いでその切先を前方に向け、肩の高さに揃えた。隊員たちが皆、カイを見て頷く。カイは小さく頷き返すと、視線をまっすぐにオーサンへ向け、朗々とその言葉を響かせた。
「クシュ・エテイリ、オーサン・メイ。誇り高きその名よ、永遠に!」
永遠に、と仲間たちが唱和する声が、墓地の空気を震わせた。驚いて近くの木から飛び立った鳥たちが、白塗りの棺に影を落としながら羽ばたいていった。
一通りの儀式を終え、管理人とその使用人たちによって棺が穴の中へと下ろされていく。ラシュカがそこへ寄って花を投げ入れる。その場にいる者たちが彼に続き、棺の上は僅かな時間、彩りに満たされた。
管理人からラシュカへシャベルが渡された。彼はシャベルを土の山に差し入れ、それを棺の上に掛ける。この世で最も辛い瞬間であるはずだが、彼の顔は穏やかだった。
カイはラシュカからシャベルを受け取り、同じように土を掛けた。徐々に埋もれていく棺の光景は、思ったほど彼の心を締め付けなかった。
オーサンの死は理不尽で、突然だった。しかし別れを受け入れるための時間はあった。カイはそう思っている。夢の中で会って話せたし、現実でも共に過ごせる時間があった。仲間と共に悼むことも出来た。
ただ一つ、カイが口にしていない言葉があった。それを言わなければ全ては終わらないし、新たに歩み出すことも出来ない。
カイは息を吸って空を仰いだ。雲間に覗く蒼い空は、セルマの瞳の色を思い出させる。心は一緒に生きていく、と彼女は言っていた。それはきっとオーサンも同じだろう。
たったの16歳、まだまだ先は長い。彼らが見られなかった景色の中を自分は生き抜いてやるのだと、カイは誓った。だからこそ、こう言うのだ。
「さようなら、オーサン」