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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
三章 再生
138/230

38、対面

「エイロン……」


 エディトは床の文章を書いた彼の心中を思い、叫びたくなるのを必死で堪えた。彼は監禁されて日付が分からないほどに追い詰められた中でも、近衛団としての使命と、仲間への思いを持ち続けていた。ますますエヴァンズの罪が許せなかった。


「立派な監禁の証拠にはなりますが……、この時点でエイロンは、セレスタの関与を知らなかったようですね」


 レンドルが立ち上がりながら、険しい顔で言った。思いはエディトと同じなのだろう。


「ええ、恐らく。そしてエイロンが再び姿を現したのは、クーデターの1週間後。つまり、監禁はほぼ3週間に及んだといえます。やつれ果てて見えたのも当然ですね。やっと出られたときには既に、クーデターは実行され、ベイジルが犠牲になっていた。気が狂いそうなほど辛かったはずです。その後、彼はしばらく入院し、現場に復帰した」


 エディトは淡々と言い、しばし口をつぐんだ。後悔を口にすることは簡単だ。あの時エヴァンズの脅しに屈せず、エイロンから話を聞いていれば。そして、助けることが出来ていたら。しかし今、後悔は時間を浪費させるだけだと彼女には分かっていた。


「それから彼が悪夢を起こすまでの二年の間、どういった心境で過ごしていたのか。本人に聞かねば分かりませんが、穏やかだったことはないのでしょう。復讐だけが生きる意味だった。最後に救いを求めてタユラに会いに行き、衝動的に殺してしまった……のかもしれません」


 そう言って、エディトは陰惨なその監禁部屋から出た。レンドルもそれに続きながら、口を開く。


「クーデターから数ヶ月経って、エヴァンズは自警団に異動させられました。私が、彼の犯罪の証拠をセレスタに突き付けたことがきっかけで。……それも、形だけということですね。セレスタはエヴァンズがどのような人間か、最初から知っていたのですから」


「あなたに疑問を持たれないように、形だけ処分したのでしょう。エヴァンズが近衛団を離れてから、エイロンは少しまともになっていましたね。それが我々を油断させた。彼の病気が良くなったなどと、勘違いを。そもそも病気ではなかったのに」


 声に悔しさを滲まながら、エディトは部屋のランプを消し、鉄製のドアを閉める。彼女が何か呟くと、ドアは姿を変え、煉瓦積みの倉庫の内壁と同化した。誰が見てもそこに部屋があるとは思わないだろう。

 ふと、レンドルが何か思い付いたように言った。


「彼を担当した医務官は誰ですか」


 診療記録に、エイロンがどのような原因でどんな状態にあったのか記されているのでは、と思ったのだ。しかし、エディトは首を横に振った。


「中央病院の医務官ですが、当たるだけ無駄でしょう。その人物もセレスタかエヴァンズに絡め取られているはずです。正しい医務官、例えばレナ医長のような人物なら、エイロンのような患者を見て黙っているはずがない。彼を担当した医務官は今頃、獄所台に栄転して、我々の手の届かない場所にいますよ」


「人でなしが権力を持つと、こういうことになる」


 レンドルにしては激しい言葉だった。


「だからこそ、我々で変えていかなければ。行きましょう。立ち止まる時間はありません。死んでいった者たちに恥じるようなことだけはしたくない」


 エディトは凛とした表情で、先を歩いて行った。





 病院にいるオーサンの元にカイとクロエが会いに来て、ラシュカはしばし穏やかな時間を過ごしていた。それから二人をそこに残し、ラシュカは病室を出た。三人だけの時間を作ってやりたかったし、行くべき場所があったからだ。

 ラシュカは自警団本部へ向かった。中に入るなり、何人かの隊員たちにちらちらと見られたのは気のせいではないだろう。私服とはいえ、自警団にもラシュカの顔を知る者はいる。その視線は息子を亡くした父親に向けられる憐れみであって、悪意が無いことは彼にも分かっていた。

 受付の隊員に声を掛けると、すぐに第三隊長のフィズが迎えに現れた。ラシュカは懐かしい気持ちを覚えながら、彼に会釈する。フィズはラシュカが第三隊にいた頃の上官でもあった。


「ご無沙汰しています、フィズ隊長」


「そういうのはいい。こっちへ」


 深刻な顔をしたフィズは彼を連れて廊下を進み、手近な部屋に入った。


「オーサンのことは、本当に申し訳なかった。俺の判断ミスだ。許されるとは思わないが、隊長として謝りたい」


 ドアが閉まるなり、フィズはその大きな体を折ってラシュカに頭を下げた。


「顔を上げて下さい、隊長。誰のせいでもないんです。私は息子を誇りに思っていますから」


 そう話すラシュカの表情は穏やかだった。それが嘘偽りのない言葉だからだ。

 フィズは顔を上げ、何とも言えない複雑な表情をする。ラシュカがここへ来た理由は見当が付いていた。


「……会いに来たのか? ナサニエル・ファーリーに」


 ラシュカは頷いた。


「認めたくはありませんが、彼はオーサンと血が繋がった実の父親です。あの子の死をどう思うのか、自分で確認したい」


「あいつは根っからの犯罪人だぞ。親子の情なんてものは期待しない方がいい。オーサンの父親はお前だ」


 乗り気ではないフィズに、ラシュカは寂しげな微笑みを見せた。


「何かを期待しているわけではないんです。私はただ、このままあの子を送り出すわけにはいかないと思って。自分の血に悩んでいたあの子を。だから、ナサニエル・ファーリーがどういった人間か知っておきたい。それだけです」



 ラシュカはフィズに促され、地下の一室に入る。すると、机の向こう側にある椅子に拘束された男がゆっくりと顔を上げた。ラシュカは思わず息を呑んだ。

 まるで、成長したオーサンがそこにいるようだった。一見優しげに見えるその顔も、視線を合わせた目の色も、オーサンと同じだ。


「どなたです?」


 ナサニエル・ファーリーは疲れた声でそう言った。今までの尋問で散々絞られたからだろう。声まで似ているのか、とラシュカは胸を締め付けられた。

 ラシュカがフィズを見ると、彼は頷いてドアの向こうへ消えた。部屋にはラシュカとナサニエルの二人だけになる。


「近衛団の、ラシュカ・メイだ」


 言いながら、彼はナサニエルの正面の椅子に腰を下ろした。血というのは、これほどまでに呪わしいものか……。正直、目を合わせるのが辛かった。そこにオーサンがいるような気になってしまう。


「近衛団の方が、私に何か?」


 声に微かな緊張を含ませ、ナサニエルは少し姿勢を正した。まだ、礼儀というものはわきまえているようだ。


「あなたの息子のことについて、話がしたい」


「息子……?」


 ナサニエルは視線を漂わせる。やはり彼にとってはどうでも良いことなのかとラシュカが思った、次の瞬間。


「オーサンのことですか」


 彼はもう一度、ラシュカに視線を合わせた。


「自分に息子がいるという自覚はあるんだな」


 思わずラシュカは言ってしまったが、ナサニエルはその心の機微には気が付かなかったらしい。起伏のない声で続けた。


「産まれてから一度だけ会った。それだけです。それが、何か」


「オーサンの母親、ダリアが亡くなってから、あの子を今まで育ててきたのは私だ」


 ナサニエルの顔に、少しだけ驚きが浮かんだ。


「あなたが……。まだ若いように見えますが」


「若かろうが年老いていようが、関係ない」


 ラシュカがどうしても突き放すような言い方になってしまうのは、自分がオーサンの父親だというプライドのせいだった。

 ナサニエルは小さく頷き、目を伏せた。


「そうですね。その通りです」


 聞いていた話と違って、彼は随分としおらしい。ラシュカはそう思った。同盟の仲間を取り返すためにカイを誘拐し、拷問した人間とは思えない。自警団に尋問を受けて反省したとでもいうのだろうか。


「話は飛ぶが、あなたにはかなりの嗜虐性があるらしいな。人を痛め付けることが楽しいんだろう」


 ラシュカがそう尋ねると、ナサニエルは視線を上げた。


「どのことを言っていますか。私が自警団にいたときのことか、ダリアに対して行ったことか」


 そこに関しては十分に自覚があるらしい。


「全てだ。自制することは出来なかったのか?」


 無理だったのだろうと思いつつ、ラシュカはそう言った。そんなに簡単に自制出来る性質のものなら、一緒に過ごしたこともないオーサンにまで受け継がれたりはしないはずだ。呪わしい血、その一言に尽きる。


「出来たなら、私はこんなところにいません」


 予想通りのナサニエルの返答だった。


「ただ一つ、言わせてもらえるなら……ダリアに対してのものと、他の人間に対してのものは違う」


「どういう意味だ」


 ナサニエルは真剣な目をラシュカに向け、言った。


「私はダリアを愛していました」

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