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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
三章 再生
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34、血の繋がり

 カイとクロエは中庭に出て、少しだけ冷たい風に吹かれながら並んで遊歩道を歩いた。流石にこの騒動の中で悠長に散歩している隊員はおらず、中庭はがらんとしている。

 抜けるような青空も、緑を繁らせる木々も、そこでさえずる鳥の声も、ガベリアが甦る前と何も変わらない。同じ景色を見ているはずだった人が、何人かいないだけだ。

 空虚な気持ちは拭えない。しかし、今はそれを忘れておかないと、カイの思考は止まってしまいそうだった。彼は自分を励ますように小さく息を吸って、口を開いた。


「あのさ」


 隣で、クロエが身構えるような気配を感じる。


「お前の父親のこと、まだ気にしてるのか?」


「え……」


 クロエは口ごもる。図星だったようだ。

 カイの視線を頬に感じつつも、クロエは俯いた顔を上げることが出来なかった。彼の目に冷たいものを見てしまうのではないかと思うと、怖かったのだ。

 カイは立ち止まり、クロエに向き直った。


「クロエ、ちゃんと俺の目を見てくれ」


 クロエは恐る恐るカイの目を覗いた。向けられていた眼差しは、予想に反して優しいものだった。


「もう十分だろ。自分を責めるのはさ。クロエは何も悪くないし、俺だって恨んでない。これからも友達でいようって言ったの、あれ、嘘じゃないからな」


 カイはそう言って、笑ってみせた。


「友達なんだから、そろそろ、おかえりって言ってもらいたいんだけど」


「……おかえり」


 クロエも笑ったが、その声は震えていた。必死で涙を堪えているのが傍目はためにも分かる。

 カイは一瞬迷った後、不器用に彼女を抱き寄せた。ルースやエスカだったら、実に自然にやるんだろうなと思いつつ。


「ただいま。ずっと心配してくれてたって、フロウさんから聞いたよ。ありがとうな」


「ずっと祈ってた。二人とも、無事に帰ってきてほしいって。……ごめん。オーサンに、もう泣かないって約束したんだけど」


 カイの腕の中で肩を震わせながら、クロエは言葉を絞り出した。二人とも、が叶わなかった悲しみはカイも同じだ。ただそれを上手く言葉には出来ず、代わりに、彼女の背を軽く叩いた。


「クロエも、夢であいつに会えたのか?」


 クロエが頷くのが分かった。


「そっか。素直だったか?」


「うん。素直なオーサン……、なんだか気持ち悪かったよ」


 カイはぷっと吹き出し、クロエもさっきとは違うふうに肩を震わせた。笑っているのだろう。

 しばらくして体を離した彼女は、素早く頬を拭って真剣な表情でカイを見た。


「私、オーサンの修復を手伝ったんだ。辛いけど、最後まで向き合いたかったから。彼、今は病院の特別室にいる。ラシュカさんがゆっくりお別れ出来るようにって、医長が配慮してくれたの。葬儀、明日だもんね。……カイ、会いに行く?」


「ああ。あいつがパパの元に帰れて満足してるのか、この目で確認しなくちゃならないからな」





 特別室は病院の最上階にあった。どこかの屋敷の客室と言われても疑わないくらい、部屋の中は広々としていて、調度品もベッドも高級そうなものが揃えてある。大きな窓の他に天窓も付いていて、明るさは十分だった。

 その病室らしからぬ部屋の真ん中で、オーサンはベッドに眠っている。側の椅子ではラシュカが俯いていた。今は私服姿だ。流石に、今日は非番にしてもらったようだった。

 ドアがノックされ、ラシュカは顔を上げた。彼の目元はまだ、微かに赤かった。


「……はい」


 ラシュカは立ち上がってドアまで行き、ゆっくりとそこを開ける。そして、その人物の姿に目を見開いた。


「カミラ……。どうしてここに?」


 オーサンの母親の友人で、一時期、幼いオーサンの面倒を見ていた女性だ。ラシュカに彼を預けて以降、一度も顔を見せたことはなかった。

 カミラは美しい貴婦人とでも形容出来るような身なりと雰囲気で、そこに佇んでいる。彼女はラシュカの顔を見て泣きそうな顔をし、深々と頭を下げた。


「あなたがお怒りになるのは分かります。ですが、どうか、お許しになって下さい」


 以前はわりと粗雑だった言葉遣いも、今はその容姿にたがわぬ上品さになっていた。ラシュカは困惑しつつも、彼女がどこか高貴な家に嫁いだのだろうと考える。オーサンを育てていた頃はやつれて美人の面影も無くなっていたが、彼女は元々、ラシュカも惚れるほどの器量良しだ。引く手は数多(あまた)あるだろう。


「……オーサンのことを聞いて?」


 ラシュカはそう尋ねた。カミラが会いに来るとしたら、理由はそれしかない。カミラは顔を上げ、憔悴した表情で頷いた。


「はい。夫が、ペレディントンの社長をしておりまして」


 ペレディントンとは、キペルの木製品を一手に担う大手商社だ。小さな食器や家具に始まり、家までも手広く扱っている。そして、棺も。


「従業員と夫が話しているのを、聞いたんです。国葬用の立派な棺が必要だって。自警団の、若い隊員が殉職したから。立派な棺には、名前を彫りますでしょう? その名前が……オーサン・メイだって」


 カミラは必死に涙を堪えながら、唇を震わせて続けた。


「あたし、いても立ってもいられなくて、夫に事情を話してここへ駆け付けたの。あなたにあの子を押し付けて、こんなときだけ都合がいいと思うかもしれないけど、あたしはあの子を大切に思ってる。ほんの少しの間だけど、母親だったのよ」


 彼女は貴婦人の言葉遣いも忘れ、ラシュカの腕を掴んで必死に訴えた。


「お願い、ラシュカ。オーサンに会わせて」


「……俺が拒否すると思うか? ほら、中へ」


 ラシュカはドアを大きく開いて、カミラを迎え入れた。怒る理由などどこにもない。オーサンと出会わせてくれたことを、彼女に感謝したいくらいだった。

 カミラは目を潤ませながら部屋に入った。すぐに、ベッドで眠るオーサンの姿が目に入る。彼女は立ち止まり、ラシュカに視線をくれた。本当にいいのか、と躊躇しているような表情だった。


「側で見てやってくれ。穏やかな寝顔だ」


 ラシュカは優しく促す。彼女は頷き、ゆっくりとベッドの側へ寄った。


「オーサン……」


 思わず声が漏れた。彼の寝顔は眠っているとしか思えないくらいに穏やかで、その頬にも唇にも、まだ生きているかのような血色があった。声を掛ければ目を開けて喋り出しそうなほどだ。クロエたちが、丁寧に修復した結果だった。


「こんなに立派な青年になってたんだ。あの小さかった子が……」


 カミラは小さな子供にそうするように、優しくオーサンの頬を撫でる。不意に、彼女の瞳からいくつも滴が落ちていく。


「あなたを見捨てたりしてごめんね、オーサン。ずっとずっと、謝りたかった」


「見捨てたりなんかしていないだろう。ちゃんと、俺にオーサンを預けてくれた。多少の苦労はあったが、俺はこの子の父親になれて、間違いなく幸せだった」


 ラシュカはそう言って、カミラに微笑んだ。


「それに、こうして会いに来てくれたじゃないか。この子のために泣いてくれる人が沢山いる。俺は、誇らしいよ」


「そうね……」


 カミラはハンカチで目元を押さえながら、ラシュカに向き直った。


「あなたに預けたから、オーサンはこんなに立派な魔導師になれたのね。あたしが育てていたら、人の道をれたままだったかもしれない」


「そんなこともない……とは言い切れないか。俺でも手を焼いたんだからな」


 ラシュカが笑うと、カミラもようやく笑顔を見せた。


「オーサンもきっと、あなたが父親で幸せだったね」


「そうだな」


 ラシュカは思い出していた。矯正院を卒業したときの、オーサンの言葉だ。


 ――俺、血は繋がってないけど、パパの子で良かったよ。


 その言葉だけで、ラシュカには十分だった。


「あのね、ラシュカ。こんなときに言うのも、心苦しいんだけど……」


 カミラは言いにくそうに切り出した。


「なんだ?」


「明日がこの子の葬儀でしょう。お墓の場所、もう決まっているの?」


「ああ。いつでも行けるように、中央墓地にしようかと思っていたんだが……駄目か?」


「いいえ、駄目ではないんだけど。あたし、母親の横にこの子を眠らせてあげたいと思って。場所は分かってるの。たまに、花を供えに行ってるから」


 ラシュカがはっとした表情になった。


「確かに、そうだな……」


「墓地は北1区にある。ここから、それほど離れていないでしょう? この子……口には出さないけど、ママが大好きだったから」


 カミラはまた目に滲み始めた涙を、ハンカチで拭った。


「いつもは我慢していたのか何も言わなかったけど、寝言で何度も、ママって呼ぶのを聞いたわ」


 それはラシュカも初めて知ったことだった。一緒に暮らしてから、オーサンは寝言でもパパ、パパと呼んでいた。それをどれほど愛しく思ったことだろう。彼の口から『ママ』という言葉を聞いたことは、ついに無かった。


「そうだったか。お前は我慢強い子だな」


 ラシュカは手を伸ばし、オーサンの頭を撫でた。


「ママの隣なら、寂しくないだろう」


 そう言いながら、彼はもう一つ別のことを考えていた。呪わしい血の繋がり――オーサンの実の父、今は自警団本部の地下牢にいる、ナサニエル・ファーリーのことを。

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