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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
三章 再生
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33、痛み

 かちゃりと食器が鳴る音がして、美味しそうな匂いが鼻に届く。カイが目蓋を開けてみると、見慣れた医務室の天井とベッドを囲うカーテンが視界に入った。部屋は燦々(さんさん)と陽が射し込んでいるのか、カーテン越しでも寝起きの目には眩しいくらいに明るい。既に昼食の時間ということだろうか。

 カイはのそのそと起き上がって、自分の身体を観察した。いつの間にか清潔な寝間着に着替えさせられている。恐る恐る上衣の裾を捲り上げてみると、枝に貫かれた脇腹の傷は綺麗に無くなっていた。

 長い夢だったのか、とカイは一瞬思う。セルマと出会ったことも、ロットが殺人を犯したことも、オーサンが死んだことも、ガベリアが甦ったことも、何もかも全て。

 そんなはずはない、と彼の心が訴えた。胸を締め付けるこの苦しさは、紛れもなく現実のものだ。あの不思議な空間で会ったベイジルとオーサンの言葉も、全て覚えている。


 ――現実が辛くても負けるな、カイ。


 オーサンはそう言っていた。


(ああ、こういうことか……)


 カイは倒れ込むように枕に頭を預けた。嵐の中にいたときには耐えられた痛みも、嵐が過ぎ去った静けさの中では、耐え難い。


「……カイ?」


 カーテンの隙間から、ブロルが姿を現した。彼は寝間着ではなく、普段着を着ている。カイよりもっと前に目を覚ましていたのかもしれない。

 最初に顔を合わせるのが一緒にガベリアへ行った仲間で良かった、とカイは思った。少なくとも今は、それ以外の人と交わす言葉を持ち合わせていない。

 ブロルはベッドの側まで来て、カイの手を握った。


「大丈夫? とても辛そうな顔をしている」


 彼の瑠璃色の目に見つめられると、カイは嘘が吐けなかった。


「ああ。なんだか……心が千切れそうだ」


 ブロルは頷き、悲しげに微笑んだ。


「大丈夫だよ、カイ。僕もだ。みんなそうみたい。カイと同じ顔してた」


「俺以外は、もうみんな起きてるのか?」


「うん。みんなは遅めの朝ごはんを食べて、どこかへ行っちゃった。……あ、カイ、お腹空いてない?」


 そう尋ねられると、カイは途端に空腹を覚える。これだけ落ち込んでいるのに腹は減るのかと、心の中で苦笑した。


「そうだな」


「じゃあ、持ってくるよ」


 しばらくして、ブロルはトレーに乗せた食事を運んできた。具沢山のシチューとパン、それから湯気の上がるマグカップだ。

 彼はそれを枕元の小さいテーブルに置き、マグカップを指差した。


「これ、近衛団のエディト団長が、カイに飲ませてあげてほしいって」


 そう言って微笑み、カーテンの外へ出ていった。

 カイは体を起こして、マグカップを手に取ってみた。赤みがかった液体が入っていて、少々刺激的な香りがする。スタミシアで暮らしていた頃、何度か飲んだことのあるものだ。


「ハニー・シュープス……」


 父親のベイジルが好きだった飲み物だ。シュープという木の実を粉にして、蜂蜜と一緒にお湯で溶いたもの。独特の味がして、子供の頃のカイはそれが苦手だった。

 思い返せば、エディトはベイジルから過去にこれを教えてもらったと言っていた。二人の関係はどんなものだったのだろう。カイは今さら、それが気になった。

 とりあえず、マグカップに口を付けてみた。舌にぴりっと刺激があり、喉から胃にかけてじわりと温かくなる。苦手だったその味は、意外と美味しく感じられた。


 ――これの美味しさが分かるようになれば、カイも大人ってことだよ。いや、でも、お前は好き嫌いが多いからなぁ。誰に似たんだろうね。


 目を細めて笑うベイジルの顔が頭に浮かび、カイも思わず笑った。心が少しだけ、楽になった気がした。

 エディトの心遣いに感謝しながら、カイは黙々と食事を摂った。完食したところで、カーテンの向こうから遠慮がちな声が聞こえる。


「カイ、入ってもいいか?」


 第一隊のフローレンスの声だった。


「どうぞ」


 意外な人物だと思いながら、カイは答えた。フローレンスは畳んだ制服とシャツを手に入ってくる。彼は空になった食器を見て、にこりと笑った。


「食欲はあるみたいだな。安心した」


 そして、ベッドの上に制服を置いた。


「これ、着替え。その格好で外をうろちょろするなよ? 風邪引くぞ」


「ありがとうございます、フロウさん」


 カイはフローレンスの普段通りの接し方を有り難く思った。腫れ物に触るようにされては、余計に辛くなる。


「礼を言いたいのはこっちの方だよ。いや、リスカスの国民ほとんどがそう思っているんじゃないか? お前たちのおかげで、ガベリアは甦った。……尊い犠牲もあったけど。それでも、とんでもないことを成し遂げたんだぜ」


 そう言われても、カイはまだ実感が湧かなかった。喪失感が大きすぎるのだ。

 返事のない彼を気遣うように、フローレンスは言った。


「無理するなよ、カイ。休みたかったら好きなだけ休め。周りのごたごたは、俺たちが何とかする」


「ごたごた、してるんですか?」


 カイは自分たちがガベリアへってからのキペルの様子をほとんど知らないことに気が付いた。まさか、何も無かったはずはないだろう。

 フローレンスは少し肩をすくめてみせた。


「お前たちの苦労に比べたら、その辺の石ころみたいなもんだ。気にしなくていい。ただ……現実的な話をしても大丈夫か?」


 彼は憂いの籠った目でカイを見る。カイは頷いた。どれほど拒否したところで、現実からは逃れられないのだ。


「はい」


「すまないな。早目に伝えた方がいいと思って。……オーサン・メイの葬儀は、明日の10時に決まった。魔術で綺麗な状態を保っていられる内にって、父親のラシュカさんが希望していてな。それと、彼はリスカスのために命を落としたから、国王陛下自ら、国葬にするようにとおっしゃられた」


 国葬。カイにとってはベイジルの葬儀に続き、二回目だった。フローレンスもそれを知っているからか、声は沈んでいた。


「出席するかしないかはお前に任せる。あの場自体が、お前にとっては辛いものだろうし」


「もちろん、出ます」


 カイははっきりとそう答えた。


「最後まで見送ってやらないと、あいつに文句言われそうですから」


「……お前らしいな」


 フローレンスはほっとした表情になった。


「分かった。担当者にはそう伝えておく。それから、お前と話したいって人がいるんだが」


「誰ですか?」


 自分が知らない人なのだろうかとカイは思う。わざわざ間にフローレンスを挟むくらいだ。


「お前のことをずっと心配していた人。調子がいいなら、着替えてカーテンの外に出てみるといい」


 フローレンスはそう言って、そそくさと出ていった。

 一体誰なのか想像が付かないが、待たせるのも悪いと思い、カイは着替えを済ませてカーテンの外へ出る。

 そこにいたのは彼が良く知る人物だった。話すのに、遠慮などいらないくらいの。


「クロエ……」


 目の縁が微かに赤い彼女は、カイの姿を見て心なしか表情を強張らせた。


「良かった、目が覚めて」


 そう言って、目を逸らした。クロエがそんな態度を取る理由に、カイは心当たりがある。それは、ガベリアへ行く前に交わした最後の会話だ。

 クロエの父親が9年前のクーデターに関わっていたこと。カイはクロエには関係の無いことだと言ったが、心にわだかまりが残っていたのは確かだった。彼女もそれを感じ取っていたに違いない。

 今となっては、それがずいぶんと小さなことに思えた。クロエに何の罪があるというのか。彼女も自分と同じ年月、苦しんできたのだとカイは思う。

 じっくり話したくても、ここでは他の医務官たちの目もある。


「ちょっと外の空気を吸いたいんだけどさ。付き合ってくれるか?」


 カイの誘いに、クロエは無言で頷いた。

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