31、自尊心
キペルの街が動き出す朝8時、イーラは再び本部の聴取室に入った。机の向こう側には椅子に縛られたロットがいて、その表情は休憩に入る前よりも生気を取り戻しているように見えた。
「おはようございます、イーラ隊長」
彼の方から言葉を発した。
「ああ。良く眠れたようだな」
そう言ってイーラも席に着いた。隣には記録係のリゴットがいる。
「昨夜の聴取の続きを始めたいんだが、その前に」
イーラはリゴットの方にちらりと目を遣る。紙の上に置かれたペン先は、止まっていた。聴取も二回目とあって、彼も要領を得ているようだ。
ロットに視線を戻す。陽が射した明るい部屋の中で、彼の瑠璃色の瞳が美しく輝いていた。
「夢の中で、家族には会えたか?」
「はい」
「そうか」
短いやり取りだが、同じ経験をした二人の間ではそれで十分だった。リゴットは怪訝な顔をして首を傾げている。そろそろかとペンを持ち直した彼を、イーラはすっと手を伸ばして止めた。
「ロット。気になるのは部下たちのことだろう」
「はい。ガベリアが甦ったことは、夢の中で知りましたから。彼らは無事ですか?」
「ああ、全員帰ってきた。医務室でまだ眠っている。全員が無事だと言いたいが……、オーサン・メイは、殉職だ」
イーラの表情がほんの僅かに翳ったのを、リゴットは見て取った。自警団トップとして、彼女がその責任を感じていないはずはない。しかし、立場上冷静でいなければならない彼女の苦しい胸の内を、リゴットも理解していた。
一瞬言葉を失ったロットだが、彼もまた、イーラの胸の内を読み取ったようだ。自分の感情は押し殺し、静かにこう言った。
「私が責務を放棄して逃亡したせいで、あなたに全てを背負わせてしまった。それについては、本当に申し訳なく思っています」
「謝る必要はない。私が今求めているのは、謝罪ではなく真実だ」
イーラは表情を引き締めると、リゴットに顔を向けて頷いた。彼はペンを構える。
「昨夜の続きを始めよう。お前の容疑はエヴァンズの殺害と、もう一つある。レビー・ジックに対する傷害だ」
「レビー・ジック?」
聞き慣れない名前に、ロットが怪訝な顔をする。
「同盟の使い走りの少年だ。キペルとスタミシアの境界辺りの森で、両手が無い状態で保護された。魔術による損傷だ。記憶に無いか?」
「……あります。私がやりました」
ロットはあっさりと認め、目を伏せた。
「銃を出されて、冷静さを欠きました。危機を感じたという意味ではありません。ベイジルの死を、思い出して。……しかしまだ年端もいかない少年に、残酷なことをしました。彼は無事ですか?」
「ああ、レナが治療した。では、お前が魔術でやったということで間違いないな」
「はい」
「その時、レビーに対する殺意があったか?」
「いいえ。それは、否定します」
「衝動的、かつ、殺意はなかった。ベイジルの死に関しては、別の資料を添付することにしよう。話が繋がらないと獄所台の奴らも困るはずだから」
リゴットが記録にペンを走らせ、ロットの発言に注釈を入れた。
「我々はエヴァンズ・ラリーに対する殺人と、レビー・ジックに対する傷害の罪でお前を獄所台に送るつもりでいる。……こうして罪状を並べ立てるのは簡単だ。単なる事実なんだから。私が聴取するまでもない」
イーラは机の上に少し身を乗り出し、続けた。
「まだエヴァンズを殺した理由については、黙秘するつもりか?」
「いいえ、全て話します。覚悟を決めましたから」
ロットが真っ直ぐにイーラを見返した。
「ただその前に、証拠を見付けなければなりません」
「証拠?」
「はい。近衛団のレンドル・チェスと話をさせてもらえないでしょうか」
近衛団員は全員が回復し、今は王宮に戻っていた。呼び出して話をすること自体は可能だが、イーラは疑問に思う。
「なぜ団長のエディトではなく、レンドルなんだ?」
「私にも自尊心というものがあります。お願いします」
頑なな彼の態度に疑問は増すばかりだが、ここで無駄に費やす時間はない。イーラは了承し、レンドル宛てにナシルンを飛ばした。
十分と経たないうちにレンドルは到着した。彼は椅子に縛られたロットの姿を見て、微かに表情を歪める。かつての仲間の憐れむべき姿は、出来れば見たくなかったようだ。
「面と向かって話すのは、久しぶりですね」
レンドルはロットの向かいの椅子に腰を下ろし、そう切り出した。話したいことは沢山あるが、彼は冷静に、要点だけを口にした。
「私に話があると聞きましたが」
「はい。あなたに頼みたいことがあるんです。近衛団本部の広間に、獅子の像がありますよね」
ロットの言葉に、レンドルは広間の光景を思い浮かべる。確かに、広間に入って右の壁際には4体の獅子の像が等間隔に並んでいた。
「その像が何か?」
「そこの台座に、資料が隠されているはずです。それを見付けて貰えませんか。エイロンが、過去に隠したものです」
レンドルの後ろに立つイーラが僅かに目を見開いた。リゴットが記録にペンを走らせる音が響く。
「何の資料ですか」
「エヴァンズの罪に関する資料です。あなたが見付けられなかった、今から30年以上前のもの」
「ちょっと、いいか」
イーラが記録の手を止めさせ、思わず口を挟んだ。
「エヴァンズはかなり昔から、何らかの罪を犯していた。その証拠の一部を、レンドル、あなたが持っている。その他にも、エイロンが近衛団本部に隠した証拠があるということでいいな」
「間違いありません」
レンドルは認めた。
「元々は、エイロンが追っていた証拠です。エヴァンズを近衛団から追放するために」
「……場合によってはあなたの聴取も必要になりそうだ」
どうやら自警団の中では収まりそうもないと思うと、イーラの眉間には自然と皺が寄った。
「構いませんよ。エイロンもロットも、かつての私たちの仲間です。最も好ましくない終わり方は、彼らの真実が闇に葬られること。そうならないためなら、私はいくらでも協力します。では」
レンドルは立ち上がり、ロットに尋ねた。
「私に頼んだということは、その資料、私以外には見られたくないということでいいですか」
「はい」
「分かりました。時間は掛かるかもしれませんが、一人で捜索しましょう」
一時間程が経ち、レンドルは聴取室に戻ってきた。手には資料の紙束を持ち、心なしか青い顔をしている。
「……まず、彼に見せても?」
レンドルは有無を言わせぬ様子でイーラに尋ねる。彼女は頷き、指先を振ってロットの手首を捕縛していたロープを外した。手先の自由が無ければ、ページを捲ることが出来ない。
レンドルはロットの前に資料を置き、静かに席に着いた。
「そこにあるブラットという名前……、あなたの本名ですね?」
「はい」
ロットは資料に目を落としたまま、上の空で答えた。資料は公式な書類などではなく、誰かの手記のようだった。右上がりで、跳ねが大きい、癖のある字。
「ロナー先生……」
ロットが呟いた。彼がいた孤児院の、世話役の女性だ。恐らくは、口封じのためにエヴァンズに殺された。その手記は彼女が書いたものに違いなかった。