29、計画
「正しくは、持っていた、だ」
イーラは冷静な表情を崩さずに言った。ハーリックがレナとコールの関係に辿り着くことを、初めから分かっていたかのようだった。
「コールが獄所台へ行くまでの関係だった。それ以降は、全く関わっていない。違法行為を疑っているなら見当違いもいいところだ。あいつは医務官だしな」
二つの組織間の違法行為とは、お互いの機密情報のやり取りや、手を組んで自分達に不都合な人物を監獄へ入れることだ。
「疑ってはいないさ。ただ、分からないんだ。コール局長が獄所台へ入ったのは25年も前。そこから今まで何の接触も無かったのに、どうして彼は自分を犠牲にしてまで彼女の頼みを聞いた? まさか、純愛だなんてことは言わないだろう。レナの性格からして」
ハーリックが冗談めかすと、イーラもほんの少しだけ笑みを漏らした。
「昔、自分が振られたからそう思うだけだろう」
「ほじくり返すなよ、そんな40年近く前の話……」
決まりの悪そうな顔をして、ハーリックは彼女から目を逸らした。
魔術学院二年生の頃だった。入学当初から惚れていたレナに、ハーリックは意を決して告白したのだ。しかし、返ってきたのは「遊びに来ているなら退学しろ」の一言だった。意気消沈する彼に、イーラがこっそり、あれは照れ隠しだと教えてやったのだった。
「未だに引きずっているから、あいつのことを気にかける。違うか?」
イーラは意地悪く彼を攻める。
「やめてくれ。今じゃ俺も妻子持ちだぞ。……話を逸らすな。コールがレナの頼みを聞いた理由は?」
「純愛だ」
笑みを消し去り、イーラは大真面目に言った。
「コールもコールだが、レナも自分が監獄に入れられることを覚悟している。お互いに庇い合っているんだ。ただ一人の大切な存在を守るために」
ハーリックはその言い方に引っ掛かりを感じる。お互いが大切な存在、ではなく、ただ一人の……。
彼は思い返す。コールが獄所台へ行った時期、レナがどうしていたか。しばらくは普通に勤務していたはずだ。しかし二ヶ月くらい経って、突然休職した。実家の母親の具合が良くない、と噂では聞いていた。
驚いたのは、復帰した後の彼女の奇抜な容姿だった。かつての可愛らしい面影を消し去るほどの変貌。恐らく最愛の母親が亡くなった故だろうと、ハーリックは推測していた。
だが、イーラの言葉で一つの可能性が浮かぶ。まさかとは思うが、それならば納得出来るのだ。
「二人の間には、……子供がいるのか?」
ただ、レナがその子を手元で育てていなかったのは確実だった。彼女は常に、自警団本部か病院で仕事に没頭していた。まるで、他のことは考えたくないとでもいうように。
どこに預けたにせよ、レナは自分が母親であることを一生、その子に隠し通すつもりだったのではないか。だから、面影もないほどに容姿を変えたのだ。ハーリックの思考はそこに辿り着いた。
「私は独身者だから理解出来ないが、お前には分かるんだろうな。自分の命より大切な存在というものが」
イーラはそう言った。子を持つ親として、ハーリックには彼女の言葉が良く理解出来る。自分の命より大切な存在。それを守るためなら、監獄に入ることなど痛くも痒くもない。
ハーリックは重ねて確認した。
「否定はしないんだな。レナに子供がいることについて」
「肯定もしない。私はただ、あいつの味方をしたいだけだ。だから、コールにもレナにも自棄を起こされると困る。私なりの計画があるから」
イーラの強い視線が、彼に刺さった。
「どんな計画だ。コール局長は既に、今回の件について総監に話をしている。『石みたいな総監たちを、少しでも柔らかくしておく』としか言っていないから、何を話すかは不明だが」
「コールはそこまで浅はかな人間ではないと思っている。彼は昔、第二隊にいたことがある。私の上官だった。どの程度の力量かはよく分かっているつもりだ。
私は二人を監獄に入れずに済む方法を探っていた。それに必要なのは、結果だ。自警団と獄所台が裏で組む必要があったと決定付ける、圧倒的な結果。それは既に出ているだろう」
「ガベリアが甦った、ということか」
「そうだ。それによって救われた命もある。近衛団長もその一人だ。もう一つ必要なのが、あの二人が今までに何の接触も無かったという証拠だ。手を組んだのが今回限りで、それ以外は何の情報のやり取りも、手引きもしていないということを証明しなければならない」
ハーリックの表情が険しくなる。
「無いものを証明するのは、とてつもなく難しいぞ」
「簡単だ。どちらかを魔術で尋問すればいい。尋問で真実を引き出すのは、獄所台が得意とするところだろう。尋問されて、会っていないと言えば、それが証拠だ」
「審理局の尋問は自警団の比じゃない。危うく精神が崩壊しかけた犯罪人を、俺は何人も見ている」
ハーリックたち刑務局の人間が実際の現場を見ることは出来ないが、審理局から引き渡された犯罪人のあの怯えようを見るに、そこでどんな尋問が行われたかは想像が付く。もしかすると、精神的な拷問に近いのかもしれない。
「言っただろう、私はコールの力量を知っている」
イーラはきっぱりと言った。
「……つまり、彼が尋問を受けるように仕向けろということだな」
「ああ。私はレナの味方をする。あいつに尋問を受けさせるつもりは無い。コールにそう伝えろ。お前に言いたかったのはそれだけだ」
「お前、俺がここへ来たと知ったときから、そのつもりだったな?」
ハーリックが目を細めて彼女を見た。流石は第二隊の隊長だけあって、侮れない人間だ。
「のらりくらりと質問を躱して俺を試し、信用出来るかどうかを見ていた」
「気付けるようになったか。成長した証だな」
イーラは不敵に笑った。
「ここへ来たのが別の刑務官だったらどうするつもりだった」
「別の人間なら、そもそもレナのことは話題に出るはずもない。必要なやり取りだけして、さっさとお帰り頂くだけだ」
納得せざるを得ない。そもそもハーリックたちも、市民が暴走しないよう協力を要請するためだけに自警団へ来たのだ。思わず彼の口からため息が出た。
「俺も第二隊に入りたかった」
「今の隊員たちを見てから言え。諦めろ」
イーラに斬って捨てられ、ハーリックは苦笑するしかなかった。ここへ来てから廊下ですれ違っただけでも、第二隊の隊員たちは一瞬で分かるほどの美形揃いだった。
「ところで、第一隊長は?」
あまり期待せず聞いたハーリックだが、イーラはこう答えた。
「地下牢にいる。いや、入れてある」
ハーリックは目を見開く。
「地下牢? 一体何をしたというんだ」
「それは全て事後報告にさせてもらう。情状酌量の余地がない獄所台に、任せるつもりはない」
「だから、俺は――」
「お前も組織の一員だろう。知っていて何もしないのと、知らずに何もできないのでは、前者の方がより悪い。だから私は何も言わない。……全てが明らかになったら、必ず報告する。それまで待って欲しい」
イーラの真剣な目がハーリックを正面から捉える。彼女の言葉が保身でもその場しのぎでもないことは、ハーリックにも分かっていた。
「信じていいんだな」
「自警団トップとしての言葉だ。責任は持つ。……これ以上話すことはない。さっさと帰って、コールに伝言しろ」
イーラは席を立ち、一瞬、ふらついた。
「イーラ、大丈夫か?」
「疲れているだけだ。気にするな」
彼女はそう言って笑い、足早に部屋を出ていった。