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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
三章 再生
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19、見守る人

 エイロンの姿を見た瞬間、セルマの脳裏に、朧気おぼろげだった過去の記憶が鮮やかに甦った。


 ――6歳くらいのセルマは、キペルの街で店先からリンゴを盗み、店主に捕まっていた。彼は鞭を持って、恐ろしい顔でセルマを睨み付けている。


「泥棒がどんな目に遭うか、一度味わっておけ」


 店主が鞭を振り上げる。それが振り下ろされる寸前に、誰かの声が止めに入った。


「こんな小さな女の子に、手を上げるのか?」


 黒い制服姿の男性だった。左胸には鷲の姿が刺繍されている。自警団だと思い、セルマは血の気が引いた。捕まって施設に入れられるくらいなら、鞭で打たれる方がましだ。ただ、店主に腕を掴まれていて逃げようにも逃げられなかった。


「女の子?」


 店主が呟いた。キャスケットを目深に被ったセルマの姿は、どちらかと言えば少年に見えた。

 鞭を持った腕を上げた形のまま、店主は冷や汗を流して固まっている。魔術で動きを封じられたらしい。


「たとえ泥棒だとしても、この国で子供に対する体罰は禁止だ」


「わ、分かっております。少しかっとなっただけで……」


 魔術を解かれた店主は、もう関わりたくないとばかりにセルマの腕を離し、店の奥に引っ込んだ。

 男性はセルマの手からリンゴを取ると、棚に戻して言った。


「盗みは良くない」


「うるさい。じゃあ、どうやって食い物手に入れろって言うんだよ」


 セルマは彼に食ってかかった。


「一日中鉄屑集めて売ったって、パン一つ分にもならない。腹が減って死にそうな気持ちなんて、お前なんかに分かんないだろ!」


 言ってしまってから相手が怒るのを覚悟したセルマだが、男性は悲しい顔をしただけだった。


「分からないな。ただ、胸が痛いだけだ」


「あんた、自警団なんだろ。()のこと、監獄にでも入れる気か」


 女の子と分かれば怪しい人間に怪しい場所へ売られる、とセルマはスラム街の仲間に聞いていた。だから常に少年の格好をし、言葉遣いも乱暴にしていた。


「私は魔術学院の教官だよ。君を連行する権利はない。よっぽど、悪いことをしていない限りはね」


 男性はふと笑った。よっぽど悪いこと――数年前のことだが、セルマには覚えがあった。顔がさっと青ざめた。


「どうかしたのかい?」


「……正直に言ったら、許してもらえるのか」


 そして、ポケットに手を突っ込んで何か取り出した。開かれた小さな手の平に乗っていたのは、金のボタンだった。良く見ると、表面には獅子の姿が彫られている。


「拾っただけだ。盗んだんじゃない」


 セルマは弁解するように言った。それは事実だ。


「拾ったのは昔だけど、後で知ったんだ。その印、近衛団のだって。返しておいてくれよ。それなら、罪にならないだろ」


 男性はそのボタンを手に取り、しばらく眺めていた。


「……これを、売ろうとは思わなかったのかい?」


 セルマは男性から視線を逸らした。少し、恥ずかしそうに。


「そんなに綺麗なもの拾ったの、初めてだったから」


「そうか」


 ちらりと盗み見た男性は、微笑んでいた。そしてなぜかうっすら涙を浮かべていたので、セルマは困惑した。


「なんだよ」


「いや。実は、私が落とした物なんだ」


「えっ」


「売れば結構な金になったはずなんだが、……そうか。綺麗なものか」


 彼は金ボタンをセルマの手に握らせた。


「これは君にあげよう」


「いいのか? 今度は、売るぞ」


 セルマは驚いたが、正直嬉しかった。これでいくらか食べ物が買える。二、三日はしのげるかもしれない。


「ああ。好きにするといい」


「……ありがとう」


 ぎこちなくお礼を言った。男性は地面に膝を着いてセルマと視線を合わせると、こう言った。


「セルマ。君は強い子だが、本当に困ったときは私が助ける。約束しよう」


 どうして名前を知っているのかと不思議に思ったが、彼は何も言わず、去っていった――。



「あなたは、約束を守ってくれたんだ」


 セルマは目の前にいるエイロンに、そう言った。


「ずっと昔から、私を見守っていてくれた。そして、今、助けてくれた」


 エイロンは優しく微笑んだ。悪夢で負った傷も消え、もう、彼を変貌させた暗い過去の影はどこにもない。タユラが愛した人間が、そこにいた。


「これが俺の罪滅ぼしだ。少しでも君と……タユラの力になれるなら」


 エイロンは自分の後ろを振り返る。彼が指を差したその先に、明滅する小さな光の点があった。


「もう少しだ、セルマ。あれがタユラの魂だよ。ずっと君を待っていた。行きなさい」


 そう話すエイロンの体に、悪夢で取り込まれた人々の手が群がった。叫びが、また少しずつ聞こえ始めた。


「急ぐんだ。俺は大丈夫だから」


 闇に飲まれながらも、彼は微笑んでいた。なぜ笑っていられるのだろう。オルデンの樹に取り込まれることに、安らぎがあるとでもいうのだろうか? いや、違うとセルマは思う。私を信じているからだ。


「……絶対に、あなたも助けるから!」


 セルマは闇の中を走り出した。光の点は動かない。どのくらい距離があるのかも分からない。

 悲鳴と呻きが大きくなる。息が切れ、足がもつれてくる。

 徐々に光の点が大きくなっていた。間違いなく近付いている。

 光は人の頭くらいの大きさになる。手を伸ばせば届く。セルマは確信し、思い切り腕を伸ばした。指先が、その光に触れた。

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