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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
三章 再生
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18、尊い名前

 ブロルは我に返り、急いでエスカとエーゼルの元へ向かった。オーサンを助けるには、怪我をしていない彼らに手伝ってもらうしかない。何度か平手打ちを食らわせて二人を起こし、ブロルは震える声で言った。


「早く! オーサンが、壁に……急いで助けないと!」


「どこだ」


 尋常ではないブロルの様子に、状況を察したエスカがすぐに立ち上がる。エーゼルもそれに続いた。

 ブロルの先導で、二人はオーサンのいる場所へ辿り着く。そして視線を上げ、胸を貫いた枝で壁に固定された、もの言わぬ彼の姿に言葉を失った。

 胸の傷口からも、俯いたその口元からも、絶え間無く血液が流れ出ている。床の血溜まりがじわじわと広がる。彼の目は見開かれたまま、どこにも焦点が合っていなかった。


「……オーサン!」


 エスカの呼び掛けにも、当然応じることはない。ぽたりと、血溜まりに新たな血が滴る音だけが響く。


「エーゼル、オーサンの体を支えろ。彼を下ろす」


「はい」


 二人は青ざめた顔のまま、縦横に伸びる枝を足場にオーサンの元へ登った。エスカがサーベルを抜き、オーサンを壁に固定している枝に振り下ろす。一度ではびくともしない。二、三度繰り返して、やっと折ることが出来た。

 胸に枝が刺さったままのオーサンを、二人はゆっくりと床に下ろした。ブロルはカイにしたのと同じように、千切ったシャツの袖で傷口を押さえる。数秒と経たずそれが赤く染まる。

 涙が止まらないのは何故なのか。ブロルは小さな呻きを漏らし、祈るように手に力を込めた。怖くて、オーサンの顔は見られなかった。

 しばらくして、彼の肩にそっと手が置かれた。


「ブロル……、手を離してやってくれ」


 そう言ったのはエスカだった。ブロルが振り向いて目にした彼の頬には、涙が伝っていた。


「もう瞳孔が開いている。何をしても助けることは出来ない」


「嘘でしょう」


 ブロルは恐る恐るオーサンの顔を見た。エスカが言うように、虚空を見つめる彼の瞳に、命の気配が無いことは明らかだった。


「胸を貫かれた時点で、既に……」


 エスカの言葉は萎むように消えていった。エーゼルが背を向け、声もなく肩を震わせていた。

 物音がして、ルースが脚を引き摺りながら現れた。下腿に刺さっていた枝は引き抜いたのか、傷口に布が巻かれている。


「オーサン?」


 彼は横たわるオーサンの側に膝を着いた。信じられないといった表情でその顔を見て、指先でくびに触れ、動きを止める。やがて、状況を悟ったようにゆっくりと手を引いた。頬には静かに、涙が伝っていた。


「……ブロル、カイとセルマは?」


 エスカが尋ねる。声だけは冷静だった。


「カイは脇腹に枝が刺さってて、動けない。処置はしたけど、今は意識もないと思う。セルマは洞窟に向かったよ。きっと、やり遂げてくれる……」


 顔をぐしゃぐしゃにしたまま、ブロルは答えた。


「カイには、僕が伝えます」


 ルースはそう言って、俯いた。覚悟の上とはいえ、一番の友人が犠牲になったことをカイが受け止められるはずがない。


「無理をするな。お前にとっては残酷な役目だろう。俺が伝える」


 エスカの申し出に、ルースは顔を上げた。


「いいえ。上官として、最後まで責任を持ちます」


 覚悟を決めた目だった。エスカは頷き、こう続けた。


「分かった、任せよう。そしてオーサンは必ず、キペルへ連れて帰る。待っている人がいるはずだから」


 彼の父であるラシュカは、息子の無言の帰還をどう思うのか……。想像するだけで胸を裂かれるような思いになりながら、エスカはそっとオーサンの目蓋を下ろした。壮絶な最期を遂げたはずなのに、彼の表情は不思議なほど穏やかだった。


「お前は立派な魔導師だ。どうか、安らかに眠ってくれ。……尊いオーサン・メイの名よ、永遠に」


 永遠に、と全員が唱和し、目を閉じてこうべを垂れた。





 タユラの呼ぶ声がする。セルマは必死で枝の隙間を潜り抜け、地下の扉の前へ辿り着いた。既に体中傷だらけだ。

 頑丈な扉の向こうで、風の唸る音が聞こえている。オルデンの樹が、最後の抵抗をしているかのようだ。

 迷っている時間などない。これ以上、オルデンの樹を暴走させてはならない。セルマは覚悟を決め、扉を開け放った。

 次の瞬間、激烈な突風が彼女を扉の中へと放り込んだ。

 セルマの体は、何もない闇の空間に浮いていた。彼女はこの場所に覚えがある。スタミシアの巫女パトイに会ったときに、一度入れられた場所。ここは、オルデンの樹の中だ。

 徐々に、悪夢で取り込まれた人々の叫びが聞こえ始めた。それは以前よりも大きく、轟々と濁流のようにセルマを包む。


「……っ!」


 人々の見えない手が、セルマの手足を掴んだ。彼らは渾身の力で、彼女を闇の底へ引き摺り込もうとする。


「やめろ、離せ!」


 叫ぶ声は彼らのうめきに掻き消される。


 ――もう嫌だ。楽にさせてくれ。


 ――ここから出して。


 ――どうして私たちがこんな目に。


「私が何とかする。約束しただろ!」


 彼らの力は強くなる一方だ。オルデンの樹が暴走すればするほど、彼らの苦痛も増すに違いない。

 顔にも手が伸びてくる。口を塞がれる。息が出来ない。


(嫌だ! こんなところで終わりたくない!)


 イプタの顔、パトイの顔、仲間たちの顔が瞬時に頭に浮かぶ。自分を信じてくれた人たちを、裏切るわけにはいかなかった。

 しかし、抵抗も虚しく彼女の意識は遠退いていく。その時だ。

 誰かの手がセルマの腕を掴んで、力強く引き上げた。彼女の手足に絡み付いていた数多あまたの手はするりとほどけ、声も聞こえなくなる。

 荒い息を整えながら、セルマは自分を救った人物を見た。闇の中なのに、その人の姿ははっきりと見て取れる。

 近衛団の制服を着た、精悍な顔立ちの男性だった。タユラの記憶の中で見た、あの人だ。


「エイロン……?」

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