17、取り調べ
時刻は朝の三時を回ろうとしていた。本来ならば深い眠りの中にある時間帯、自警団本部の聴取室で、ロットは椅子に縛り付けられていた。逃亡の恐れは無いが、念のためだ。
机を挟んで、正面にイーラが座っていた。その横に、ペンを持った副隊長補佐リゴットがいる。記録の作成係らしい。
「始めようか」
イーラが口を開いた。リゴットは紙の上にペンを置き、ロットは頷いた。
「はい」
「私の質問には、嘘偽り無く答えろ。尋問なんてものはしたくない」
「ええ」
ロットは既に疲れ切った顔をしていた。殺人、数日間に及ぶ逃亡、そしてエイロンの死と続けば、気力を削がれるのも無理はない。
「倒れるなら今の内だ、ロット。医務室のベッドが空いている」
イーラは冗談のように言って、リゴットに顔を向けた。
「今のは書くなよ」
「分かってますよ。これ、獄所台に提出するんですから」
苦笑しつつ、リゴットは視線を紙に戻した。イーラもロットに向き直る。
「それで、ロット。いくつか確認したいことがある。まず、第四隊長エヴァンズ・ラリーを殺したのはお前で間違いないか」
「はい」
ロットは淀み無く答えた。リゴットがペンを走らせる音が響く。
「方法を具体的に」
「壁抜けが出来るナシルンを使用しました。それに、思考操作の魔術を仕込んで。自分で喉を裂くようにと」
「凶器も指定したか」
「はい。彼の机の上に、いつも真鍮製のペーパーナイフが置いてあることは知っていましたから」
イーラはロットの目を見ていた。嘘を見破るためではない。その瑠璃色の目に、今まで一体どんな光景が映っていたのか考えていたのだ。
「明確な殺意はあったか?」
「はい、ありました。明確に殺そうとして実行したことに、間違いはありません」
やはり、ロットの答えは淀み無い。保身に走るつもりは微塵も無いようだ。
「では、理由について聞こう。なぜエヴァンズを殺した?」
「……」
ロットは急に沈黙した。イーラは彼の目の奥に、紛れもない闇を感じ取った。
「黙秘するのも自由だ。質問を変えよう。殺害をいつから計画していた。それとも、突発的なものか?」
「両方、かもしれません。機会があったから殺した。しかし殺そうと思ったのは、もう35年も前になる」
イーラは顔には出さず、驚いていた。35年前というと、現在41歳のロットはまだ子供だったはずだ。エヴァンズは、当時27歳ということになる。彼は既に自警団の隊員ではあったが、接点が不明だった。
「その頃に、お前とエヴァンズの間に何かがあったと考えていいか」
沈黙。イーラは質問を変えた。
「お前が自警団に入ったのは、エヴァンズに接近するためか」
「はい。ですが、日々の任務を疎かにしたことはありません。やりがいも感じていた。近衛団でも自警団でも、自分が出来うる限りのことはしてきました」
「それは部下の反応を見ても分かる。第一隊の人間はお前を信頼している。犯罪者として捕まった、今もだ」
その言葉に、ロットの頬は微かに動いた。だが、固く閉ざした心までは溶かせなかったようだ。
「殺害の理由はまだ述べられないか」
「はい」
「分かった。次に行こう。エヴァンズ殺害の後に逃亡した理由だ。これは話せるか?」
「ええ。エイロンを追うために、捕まるわけにはいかなかったからです」
「彼も、殺すために?」
「……はい」
僅かな間があった。これも一筋縄ではいかなそうだ、とイーラは考える。
「話は変わるが、お前の家族について調べさせてもらった。妻はミケル・ジェア、娘はマーガレット・ジェア。娘の認知はしているが籍は入れていない。間違いないか」
「はい。家族の安全を確保するためです」
「彼女らは悪夢が起きた当時、ガベリアに住んでいた」
「ええ。そうです」
ロットが質問から逃れるように目を伏せたが、イーラは確認しないわけにはいかなかった。こちらが意図的に誤魔化そうとすれば、獄所台の審判でロットが不利になる。
「二人はガベリアの悪夢で、消えた。そうだな?」
「間違いないでしょう。この世のどこを探してもいないのだから、そういうことになります」
取り付く島もない返答だ。彼にとっては、苦痛以外の何物でもない質問だったのだろう。
「家族が消えたのは悪夢のせいで、それを起こしたのはエイロンだ。そして、エイロンをそこまで追い詰めたのはエヴァンズ。だからその二人を殺そうと考えた……というのが私たちの、いや、私の立てた仮説だった」
「エヴァンズに関しては、少々当てはまります。それも一つの理由だった、というくらいには。しかし、エイロンについては見当外れですね」
ロットは視線を上げた。
「彼は今も、私の尊敬する上官です」
「では、なぜ殺そうと?」
またも沈黙。しかし今度は、しばらくしてロットの方から口を開いた。
「エヴァンズのせいで、近衛団は腐りかけていた」
吐き捨てるように、彼はそう言った。
「……想像に難くない。何があった?」
「自分の気に入らない人間は、罪をでっち上げてでも近衛団から追放する。団長のセレスタ・ガイルスにも取り入って、やりたい放題だった。エイロンは何とかして、奴を副団長の座から引きずり下ろすつもりでした。そのために、情報を集めていた。それに気付いたエヴァンズは、報復のためにエイロンを同盟に潜入させた」
エイロンがなぜ拒否しなかったのか、その理由を説明するために、ロットは彼の言葉を引用した。
――あの卑怯な人間が逃げ道を作ると思うか? エヴァンズは、俺が行かなければベイジルを潜入させると言った。もしくはレンドルか、お前を。だから従った。
「想像以上のクソ野郎だ」
イーラは口走り、ちらりとリゴットを見る。書きませんよ、と言わんばかりに、彼は記録の手を止めてイーラを見返した。
「彼が潜入を終えた後のことについては、上長会議で話した通りです。正気を失い、犯罪者を斬り殺した。それを目撃したベイジルがエヴァンズに報告した。エヴァンズは自分の駒であるエイロンを守るために、クーデターを利用してベイジルを葬った」
「そこなんだが」
イーラは口を挟む。
「エヴァンズがクーデターを利用してベイジルを葬った。恐らくはエイロンの記憶から知った事実だろう」
「はい。正確には、エイロンの記憶を見たタユラの記憶です」
「具体的には、どんなものだ」
「『これでお前の罪を知る者はいなくなった』。ベイジルの死後、エイロンがエヴァンズから言われた言葉です」
「なるほど。エヴァンズのその計画を、エイロンは事前に知っていたのか、知らなかったのか」
「知らなかったはずです。……いえ、そう思いたいだけかもしれません。どちらにせよ、エイロンはクーデターのことを知りつつそれを阻止しなかった、あるいは出来なかった。それが事実です」
イーラは一度下を向いて考え込み、また顔を上げた。
「ベイジルを葬りたいエヴァンズにとっては、クーデターは起きた方がいい。だが、エイロンにとっては違うはずだ。お前も言っていたが、彼は王族や仲間が死ぬことを望んでいたわけじゃないだろう。では、彼はあのクーデターの前後で、何をしていた?」
「分かりません」
初めてロットの目に困惑が浮かんだ。誤魔化そうとしているわけではない、とイーラは思う。本当に、分からないのだ。
「私が言えるのは、クーデターの当日、あの場にエイロンの姿は無かったということだけです。当時の近衛団員……レンドルやエディトの話では、クーデターの少し前から、エイロンは姿を消していた。体調不良で休養していると。しかし、団員が暮らす隊舎に彼はいなかった。かといって、病院にも」
「行方不明か。不審に思った者はいたはずだろう」
「言ったはずです、エヴァンズのせいで近衛団は腐りかけていたと」
ロットの言葉に憤懣の色が混じる。
「奴が問題ない、これ以上探るなと言ったら、誰も逆らえなかった」
勢いは急激に萎み、ロットは視線を下げた。
「エイロンの口から全てを聞くには、時間が無さすぎました」
疲労が溜まっているのだろう。ロットは俯いて、そこからしばらく黙っていた。
「……っ」
イーラはこめかみを押さえ、一瞬顔をしかめた。ロットは気付かなかったようだが、リゴットはそれをしっかりと見ていた。
「少し休憩しよう。リゴット、彼を地下牢で休ませろ」
そう指示して、彼女は部屋を出ていった。