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Ecphore―闇を巡る魔導師―  作者: 折谷 螢
三章 再生
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16、拒絶

 チェルスの記憶が途切れ、辺りを包んでいた煙も消えると、隊員たちの前にはまた空虚な支部の光景が広がっていた。彼女の記憶とそれが重なると、悪夢がついさっき起こったことのように思える。少なからず冷や汗をかいている者もいた。


「……何か、音が」


 不意にカイが発した言葉で、全員が素早く耳を澄ませた。どこからか硬いものをごりごりと削るような音がする。


「動物か?」


 オーサンが窓の外に目を遣って呟くが、自分でそう言いつつ、今のガベリアに動物がいるとは思えなかった。

 出所の分からない不穏な音は徐々に大きくなり、微かに足元が振動し始める。


「……下だ!」


 エスカが叫んだのと、床を突き破って現れた黒い何かが支部の広間を縦横に覆い尽くすのは、ほぼ同時だった。

 黒い何か――それはオルデンの樹の枝だった。黒水晶の枝は天井や壁を破壊して突き刺さり、人がやっと動けるくらいの僅かな隙間を残して、複雑に絡み合っていた。

 土埃が舞い、枝の隙間のそこかしこに瓦礫が散らばっている。隊員たちの姿は、見えない。


「みんな、大丈夫? 誰か返事をして!」


 最初に声を上げたのはブロルだった。彼は広間の隅で枝に囲まれていたが、奇跡的に無傷だった。

 しかし、誰からも返事がない。気絶しているのか、あるいは……。ブロルは必死で隙間を潜り抜けて進み、人の姿を見付けた。


「セルマ!」


 彼女はうつ伏せに倒れていた。抱き起こすと気を失っているだけのようだった。頬にかすり傷があるが、それ以外は無事だ。


「セルマ、しっかり!」


 乱暴かと思いつつ何度か頬を叩く。セルマは一度呻き、目を覚ました。


「オルデンの樹が、拒絶してる」


 彼女はすぐに身を起こして、そう言った。


「私が洞窟に入るのを、邪魔しようとしてるんだ」


「僕もそう思う。首飾りは?」


 セルマはブロルから預かった首飾りを引っ張り出す。紐の先で揺れる透明な水晶に、微かなひびが入っていた。


「急がないと。割れてしまったら、きっと全員、ここでは生きていられない。みんなは?」


 セルマが切羽詰まった声を出し、忙しなく周りを見る。だが、見えるのは絡み合う黒い枝と瓦礫ばかりだ。


「セルマ、これ……!」


 ブロルが足元を指差した。瓦礫の間を縫って床を流れてくる赤い液体。誰かの血だ。

 二人は必死でその方向に進んだ。枝の尖った部分で服のあちこちをかぎ裂きにしながら、少しだけ広い空間に辿り着く。


「カイ!」


 セルマはほとんど悲鳴のような声を上げて、瓦礫の山に背を預けて倒れている彼に駆け寄った。太い枝が左の脇腹を貫通し、床は血溜まりになっている。


「カイ、目を開けて!」


 セルマは血を止めようと傷口に手を当てるが、どれだけ念じても巫女の力が全く使えない。指の隙間から生暖かい血が溢れるばかりだ。カイは目を閉じたまま、辛うじて息をしている。


「嫌だ。カイ、死なないで……」


「セルマ、落ち着いて」


 ブロルは冷静に、着ていたシャツの袖を裂いてカイの傷口に当てる。その上にポケットから取り出した小瓶の液体をかけた。カイが小さく呻き声を上げた。


「止血剤だ。無いよりはいい」


 そして、淡く光る瑠璃色の瞳をセルマに向けた。


「君は洞窟へ向かって。そうしないと、この枝はどうにもできないはずだ」


「でも、カイをこのまま置いていくなんて――」


 誰かの手がセルマの手首を掴んだ。カイだ。目を覚ました彼はセルマを見つめ、苦しげな呼吸の中ではっきりと言った。


「……早く行け。お前はガベリアの巫女だ」


「そうだけど、このままじゃ――」


 カイは渾身の力でセルマを押しやり、怒鳴った。


「ガベリアを甦らせるって、自分で言ったことだろ。約束くらいちゃんと守れ! それが出来るのは、お前しかいないんだよ!」


 突発的に溢れた涙が、床に座り込んだセルマの頬を濡らした。ガベリアを甦らせる。例え一人になってでも、巫女の洞窟へ辿り着いてみせる――イプタに、パトイに、仲間たちに、そして悪夢で消えた人々に、そう約束した。


「俺は死なない。約束する。だから、行け」


 カイはそう言って、精一杯微笑んでみせた。


「お前なら大丈夫だ、セルマ」


 セルマは頬を拭い、大きく頷いた。ガベリアが甦る代償に自分が消えるかもしれないことなど、今はどうでも良かった。カイがこうして傷を負ったのは、私のため。私が巫女の使命を果たすためなのだから、と。


「分かった。約束だ」


 決意が彼女を立ち上がらせた。そして思う。カイと会うのはこれで最後かもしれない。もしそうなのだとしたら。


「あなたがいなかったら、私はここまで来られなかった。ありがとう、カイ」


 いつまでも泣き顔を覚えていられるなんてまっぴらだ。


「行ってくるよ」


 上手く笑えているか分からないが、これでいい。セルマはカイに背を向け、洞窟へと向かった。





「もう喋っちゃ駄目だよ、カイ」


 セルマの背中を見送ってから、ブロルはカイの傷を押さえていた布をそっと外してみる。完全ではないが血は止まったようだ。


「他のみんながどうなっているか、見てきてくれ……」


 さっそく忠告を破ってカイが言った。さっきので力を使い果たしたのか、目蓋は閉じかかっている。


「うん。分かったから、絶対に動かないでね」


 ブロルは強目に言って、枝の隙間を潜り抜けていく。すぐ近くでエーゼルとエスカを見付けた。二人とも気を失っているだけで、かすり傷程度だ。

 更に奥へ進んでいく。ルースもいた。身動みじろぎしているところを見るに、意識は有るようだ。


「ルース、大丈夫?」


「ああ……。脚をやられた。このままじゃ立ち上がれない」


 そう言って、彼は右脚に視線を遣る。下腿の辺りに枝が突き刺さり、床に固定されて自由が利かないらしい。出血はそれほどでもなかった。


「僕は大したことない……。他のみんなは?」


「カイが怪我をして、僕が手当てした。セルマは無事で、洞窟に向かった。エーゼルとエスカも意識が無いだけだよ。オーサンは、まだ」


「分かった。オーサンを探してくれ」


 ルースは痛みに顔を歪めながらブロルに指示した。


「僕は自分で何とかしてみるから。早く」


「うん」


 ブロルは捜索を始める。しかし、オーサンは中々見付からない。やっとの思いで反対側の壁際まで来て、ブロルは見た。

 目の前の壁を伝っている、赤い液体。恐る恐る視線を上げる。


「オーサン……」


 言葉を失った。標本箱に針で留められた昆虫のように、胸の中央を貫いた太い枝が、オーサンを壁に留め付けていた。

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